誰もが「どくさいスイッチ」を持つ社会 ひろゆき・河野太郎・SNS・Daigo
きっかけ
本稿を書くきっかけとなったのは文藝春秋2021年11月号與那覇氏の「口下手は災いの元か」を読んだことだ。菅総理が引きずり降ろされ、自らの領域で論破するひろゆきが持て囃される現状を取り上げコミュ力や対話力について疑問を投げかける記事である。その中では
ちょっとでも「イラッ」と来たら相手をブロックし、「こいつはクズだ!」などと拡散して、「私もそう思ってた」と同意する人どうしでつながりあう。そうした集団が数を頼みに「私達をイラつかせるものは、この世から消してしまえ」として発動するのが、昨今話題のキャンセル・カルチャー(自分が問題視する思想等の持ち主に対して、出版や登壇を妨害する活動)ですね。 文藝春秋2021年11月号 153P
と記述されている。まさにドラえもんの「独裁者スイッチ」だと感じた。
独裁スイッチ
まず、独裁者スイッチとはなにか説明をすると藤子・F・不二雄原作の漫画・アニメ作品『ドラえもん』に登場するひみつ道具の一つである。このお話の中ではジャイアンにいじめられたのび太が「ジャイアンさえいなければ」といつものようにドラえもんに泣きつくのだが、ドラえもんは「この道具で邪魔者は消してしまえ。住み心地の良い世界にしようじゃないか」と「どくさいスイッチ」をのび太へ渡す。(ドラえもん邪悪すぎる台詞回し笑)この道具を受け取ったのび太は流石にいくらジャイアンであっても消すのをためらうがいつものようにいじめられている最中に「ジャイアンなんていなくなれ!」とこのスイッチを使ってしまう。するとジャイアンは目の前から消え、のび太が周りにジャイアンのことを聞いてもその存在自体が消し去られ記憶すらなくなってしまう。しかし、スネ夫がジャイアンの代替を果たして、のび太をまたいじめ始めてしまう。のび太は再度スネ夫も同じように消してしまうのだが、のび太は流石にこの道具の恐ろしさに気づきドラえもんに泣きつくがドラえもんはもとに戻せないと突っぱねる。(何故かドラえもんは独裁者スイッチの影響を受けずに記憶を保持している)のび太は二度とこの装置を使うまいと決心するが、みんなからバカにされる悪夢にうなされている最中に誤って「みんな消えてしまえ!」とスイッチを使ってしまい自分一人残してすべての人々が消えてしまう。当初は誰もいないまちなかを自由気ままに楽しむのび太だが孤独感からみんなに戻って来てほしいと後悔をする。
という子供向け漫画としては恐ろしくも独裁者が行う過程を描いたかなりの良作である。このあとドラえもんがひょっこり現れて実は「どくさいしゃスイッチ」は独裁者を懲らしめるためのもので反省したのび太はもとの状態へ帰ることができる。というものである。私はこの日本社会では皆がこの「どくさいしゃスイッチ」を持ち始めているのではないかと感じるのである。
どくさいしゃスイッチ=ブロック機能が与える世界
SNSでは大概ブロック機能という物がある。説明するまでもないが、相手をブロックするとそのSNS上では一切の関わりを断つことができる。まさに「こいつなんていなくなっちゃえ」とどくさいしゃスイッチのごとく使える機能である。ドラえもんの話のようにこの世をすべてブロックしてしまうことはできないが、目に見える空間を自分と同じ思考をする人々で囲ってしまうことはできる。正しく意に介さない人々を抹殺した独裁者のと同じように。このような分断はフィルターバブルによっても加速される。(インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能)ブロックを多用していなくてもGoogleやツイッター側が予めユーザーの好まないものを勝手にシャットアウトさせてしまうのだ。例えばアメリカ中西部では環境問題と検索すると「嘘」、「環境問題はでっち上げ」といったような検索例が出てくる。一方西海岸や東海岸で検索を同様の語彙で検索をかけると「深刻」といったような検索例が出てくる。これは保守層の多い地域とリベラル層の多い地域で好まれる結果が異なるためにGoogle側で検索結果をアルゴリズムに則り変更しているためである。そうすると同じワードで検索しても得られる情報が異なる。そうすると考え方も必然分断が起きてくるのである。(この手の話題に興味がある人は是非ネットフリックスの「グレート・ハックというドキュメンタリーをおすすめする。https://www.netflix.com/jp/title/80117542)
この先に生まれる世界はどのようなものだろうか。互いの違いを排除し、同一性をもとに構成されていく社会は歪であると言わざるを得ない。現実にその弊害はアメリカでの分断社会という形で目に見えている。Qアノンといった陰謀論者がアメリカ連邦議事堂を占拠した事件は最も象徴的であると言えよう。しかし、このような社会の変容は日本社会も例外ではない。
ひろゆき・Daigo・河野太郎・切り抜き
題名に上げた3人はどくさいしゃスイッチを活用していると私が個人的に感じる人物である。河野太郎はネット番組で堂々と私はブロックをしますと宣言をしている。無論政治家であれ、ブロックすることは個人の自由の範疇に入るだろう。しかし、岸田新総裁は国民の声を聞き取る姿勢と比較するとどちらに支持が集まるかと見ると疑問である。
メンタリストDaigoは自身のホームレス生活保護者への差別発言で炎上したが、彼の言動は排他的であることの象徴である。自らの理論を駆使して
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