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【創作のきっかけ】なぜ、稲荷狐・狛犬を描くようになったのか。


なぜ、稲荷狐・狛犬等を描くようになったのか

自己紹介に続き、今の創作を始めたきっかけを紹介しようと思います。
まとめた自分で言うのもなんですが、長い上に結構読んでいて「キツイ」です。
しかし、「今、上手くいかない…」と思っている方が読んでくだされば、
少しは勇気が付くかもしれません。
私の上手くいかなかった時期のお話です。

1)元々、絵を描くのが好きだった

思い返せば、絵を描くこと自体は幼い頃からやっていて、
あまり喋らずにずっと絵を描いているような子供だったと、母からは聞かされております。
本当は絵に関する職業に就きたかったので、中学三年生の時の三者面談でその事を話したら、親には「ウチには美大の予備校に通わせる金はないから諦めろ、手に職を付けられる国家資格が取れる職業にしなさい。」とピシャリと言われたのを覚えております。
その為、大学については奨学金を借りながら、建築関係の学科に入りました。
ですが、やっぱり絵を描くのは好きでしたので、サークルなどは創作関係のものに入って隙を見つけては描いておりましたね。

2)一番最初に就職した会社

一番最初に就職した会社は、「店舗の内装を設計する意匠設計会社」でした。少し説明すると、スーパーや薬局・コンビニ等…様々な大手会社と契約をし、設計に関してのことはほとんど引き受けている様な会社でした。とはいえ内装だけであったため、建築で言う「躯体・構造」については全くやっておらず。元々建っていたものを改装する際の設計や、はたまた大きい商業施設の一室の内装設計など、「内側」に関すること、もしくはデザインに関した、看板や什器などの設計も担っておりましたね。会社としては中小企業でした。
建築業界というものは、元々「ブラック」が多いと言われておりましたが、上記の職場は、「残業を行う前提」の会社でした。大手企業様が相手であったため、納期が非常に早く、仕事の回転が速いような会社でしたね。
「ブラック」かどうか聞かれたら、「この業界では普通」と言われてしまうような感じでしょうね。設計職というのは皆忙しいものと聞いていたので、忙しさについて何の疑問も感じておりませんでしたし、私の直属の上司はとても良い人ばかりでしたので、その点については「ブラック」とは感じたことがございませんでした。

3)社会人したての筆者自体は…

さて、仕事自体は「ブラック」ではない…と書きましたが、筆者本人自体は「非常に容量が悪い」人物でありました。ええ、使えねー奴ですよ。
今思えば、本当に仕事が出来ない奴だったのではないかと思います。何時も「眠そうだね」と言われているような人間でしたし。(本当に眠かったのですが…)

建築学科出なので、二級建築士を取る必要があったのですが、仕事をしながら勉強をする必要がありました。が、日々フラフラ、勉強しても頭に入らない。「馬鹿なのか自分は。」と思うくらい頭に入らない。カフェインの錠剤やエナジードリンクを飲んでも眠い状態であったので、今思えば頭に入るわけないであろうとは思いますが。
(年齢がばれてしまうのですが、私が卒業した年までは学生が建築士を受けられるような体制ではなかったのです。私が卒業した年から学生が受けられるようになったんですよ…容量が悪い私では学生から受けても受からなかったのでは?とは思いますが…)
また、会社まで通勤距離が結構遠く、一時間半はかかる位でしたので、家に帰るのは何時も夜12時から1時くらいでしたね。眠いわけですよ…

容量が悪いし、いつも眠い。そんな奴が仕事が出来るわけなく、失敗も多くなりました。精神が可笑しくなったのか、本当に言われているのか分からないのですが、仕事場から悪口ばかり聞こえるようになりました。直属の上司が言わなかったのが本当の救いですが、あんまり関わりの無い職場の人から聞こえる様になりました。
このような状態でしたので、好きな絵が描ける状態ではなく、色々上手くいかなくてこの時期は、精神が可笑しくなっていたのでしょうね。
この時期は、本当に泣いてばかりでしたよ。

4)ひょんな「きっかけ」

会社の健康診断で、白血球の数値が多くなり「ストレスですね。」とか医者に言われるようになった頃、母に「会社の近くに神社があるだろう。月一でいいから、生きている感謝の気持ちを述べに行きなさい。」と急に言われました。
これを聞いて驚きました。母の実家は特にこれと言って、宗教などに入っているわけでもなく、今現在も特にこれと言って思い当たるものもないのです。きっと精神的に参っている私に何か助言をしたかったのでしょうね。

さて、この頃の私は若干気が狂っていたので、色々おかしいのですが、月に一度、場合によっては数度にわたり、良い日本酒を買って、それを供えに、会社の近くの神社に行き、その際に自分が今生きている事について感謝と報告をしておりました。自分自身、狂いそうな精神をこの行動で保っていたような気がします。
ある時、いつもの様にお酒のお供えと、生きている報告をしに神社に入った際に、狛犬と稲荷狐が目につき、頭の中にフッと「この子達を絵に描こう。」と思いました。何故か、その時泣いておりましたね。仕事帰りの夜遅くでよかったです、人に見られなくて…。
この時の事が、今の創作活動のきっかけになります。
(夜に参拝をするのは賛否ありますが、通っていた神社は駅前のちょっと高台にあり夜も明かりがついて参拝が出来るようになってました。あの時はありがとうございました。)

5)環境が変わって

若干精神が落ち着いたころ、「このままでは二級建築士受からないぞ」と自分で思うようになり、上司と相談をし、二年間勤めていた会社を一度退職し、三か月間仕事はせずに猛勉強し、二級建築士の学科が無事受かりました。
学科が受かったとともに再就職をし、無事に中途採用で今の会社に勤める事が出来ました。小さい意匠設計事務所ですが、環境が良く家からそこそこ近いので、前の様に毎日泣くことは無くなりました。(よく言われる、アトリエ系設計事務所です。)
精神も肉体的にも余裕が出来たので、数年前に、狛犬・稲荷狐を描く創作活動を始めました。
仕事をしながら合間に描く状態なので、創作を行うスピードは速くはありませんが、展示会に出展したり、イラストをSNSにupしたり、心から創作を楽しめるようになりました。今が楽しいです。
まだ、本人が在中するタイプのイベント(いわゆるコミケやコミティア的な形式のもの)に出したことがないので、落ち着いたら出展してみたいです。

6)まとめ

文章を見返すと、「ここまで来るので色々あったなあ」と笑って思えるようになりました。(辛いことも思い出すので、少し泣いてしまいますが…)

本当は、学生時代の話も書こうか悩みましたが、あまりにも長くなるのと、今の創作にはつながりにくいので、外しました。それはまた今度描こうと思います。

私は結構なネガティブ人間なのですが、上に書いた事があってから、極力下を向かないようにしようと思えるようになりました。

「今、上手くいかない」と思っている方もいらっしゃるかと思います。
私もそんな時期はありました。しかし、時が経つにつれて、少しづつですが改善していきました。そして、創作活動を再開することも出来ました。
「無理にやれ」とは言いませんが、どんな形であれ、やりたいことは諦めないことも大事だと思います。趣味でも仕事でも。諦めなければ、いつかきちんと出来るようになる日が来ますよ。
その日まで、ちゃんと「生きて」くださいね。

なんだかんだ、あの神社参りは、母が「私が死なないように」する助言であったと思います。

私は、創作では稲荷狐と狛犬・獅子について、身近に感じてもらえるような作品作りをしたいと考えております。
本業では、神社仏閣の改修や建築に、役立てる仕事が出来るように一級建築士を取ることを目標にしております。
(これを書くと笑われそうで、ずっと書くか悩んでおりました。)

なんだかんだ、あの神社参りがなければ、私は今「死んでいた」可能性が高いと、思い返せば思います。
宗教については考え方は色々あると思いますが、
神社やお寺は、場合によっては人の心のよりどころになると考えております。
当時の恩返しと、今ある建築物を保つために私はこの目標を建てました。将来どうなるかは分かりませんが、目標に少しでも近づけるように日々精進して生きていこうと思います。

この文章を読んでくださった方、
夢や目標のある方、やりたいことがある方へ…
貴方にも良きことが起こりますように。生きていればどうにかなりますよ。


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