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藤由達藏のショートショート「余命売買の悪魔」


 俺は喫茶店のテーブル席について、辺りを見回した。まだ夢の中に出てきた黒いスーツの女は来ていない。
 俺は昨日、俗に明晰夢と言われる鮮明な映像が展開する夢を見た。意識もハッキリした夢の中で、黒いスーツを着た女と出会い、この喫茶店に来るように言われたのだ。俺は目覚めてから、この夢はきっと何かの知らせなのだろうと思い、夢の中で指定されたこの店に、約束の時間よりも早めににやってきた。
「ごめんなさい、待たせたかしら」
 突如、あの黒いスーツの女が目の前に立っていた。女は悪魔だと名乗った。俺は驚かなかった。夢に侵入するような輩だ。大概そんなところだろうと思っていたのだ。
「あなたを呼んだのはほかでもないわ。取引をしたいの。私が欲しいのは、あなたの余命。あなたは今三十五歳だったわね。十分な長さの余命があるわ。あなたが余命を私に譲渡するなら、私の方はあなたに、お望み通りの来世を約束するわ」
 黒いスーツの女が言うには、俺が余命を譲渡すれば、望み通りの来世を約束し、即座に来世に俺を送り込んでくれるというのだ。俺は二つ返事で、了承した。
 そもそも今の生活にうんざりしていたのだ。前の会社ではリストラに遭い、転職した先ではパワハラに遭い、果ては「心療内科で診察してもらえ」と言われ、鬱と診断され、大量の薬を飲まされ、最近では体調も悪くなってきたところだ。こんな人生を続けるくらいなら死んだ方がましだと考えるようにさえなっていたところだ。ちょうどいい。
「あら、ずいぶん潔いのね。じゃあ、気が変わらないうちに、来世のプログラムを組んでいきましょう」
 俺は女の指示に従って、来世でやりたいことを書き出していった。
「もしも思いつかなかったら、今世でやり直したいこととか、やりたかったことを思い出すといいわ」
 女の助言は的確で、俺は来世でやりたいことを次から次へと書き出していった。
「あら、すばらしいじゃない。あなた、お笑い芸人になりたいのね」
 そうだ。お笑いは俺の唯一の救いだった。けったくそ悪い現実をつかの間でも忘れさせてくれる漫才やコント、落語に講談、喜劇芝居など、お笑いはなんでも好きだった。お笑い芸人になりたいと思ったこともあった。俺は次から次へとやりたいことを書いていった。
 来世では、子どもの頃からお笑いが好きで、友だちとコンビを組んで漫才をする。最初はコツがわからないが一年もしたら人気が出て、五年もしたら大人気。自分で漫才の台本を書いて演ずる。コントも書く。コントでも大成功。世界一の漫才師兼コント師になる。俺のネタが世界で大受けする。どんどん書き出してみたものの、こんなことすべて来世で実現できるのだろうかと心配になった。
「心配はいらないわ。あなたのために健康な肉体を用意するし、ここに書いたすべてを来世で実現できるようにするのがプロとしての悪魔の仕事よ」
 悪魔にもプライドがあるようだ。俺は、一刻も早く来世に生まれ変わりたいと言った。
「もう書き忘れたことはないわね。じゃあ、この、契約の石に右手をのせて。そう、そして左手をその上にのせて。目を閉じて」
 俺は契約の石に両手を重ねた。
 まぶたの外で強烈な閃光を感じた。次の瞬間、俺は暗黒の中に落ちていった。

 ずいぶん時が経った気がする。
 十年か、百年くらい経ったのではないか。目を開けた。
 なんだ。
 見覚えのある喫茶店の中だ。あのときいた黒いスーツの女はいない。契約の石もない。その代わり俺の指先は、白い封筒をつかんでいた。表には「感謝状」と書いてある。
 中身を取り出して読んでみた。
「感謝状
 あなたは、自ら囮(おとり)となって自身の余命を差し出し、人間界を食い物にしてきた悪魔の逮捕に絶大なる貢献をされました」
 なんと天界警察所長名による感謝状だった。俺は、余命簒奪詐欺犯の悪魔をつかまえるための囮として利用されたのだった。あの夢は、天界警察の仕業だったらしい。実際に余命を奪われ三途の川も渡ったようだ。
 来世に誕生する直前に悪魔は逮捕され、俺の転生は保留にされた。なんだ、来世に転生できなかったのか。そして、悪魔の有罪が確定するとともに、俺の余命が返還されたのだと書いてある。それであの喫茶店に今いるということなのか。
「よってその功績をたたえ、ささやかながら粗品を贈り、ここに深く感謝の意を表します」
 粗品だと? 
 ふとテーブルの上を見ると1冊のノートが置いてある。粗品とはこのノートのことらしい。表紙には、
「ネタ帳」
と書いてある。中を開いて見ると、全ページ白紙だ。
 俺はペンを取った。来世ではなく、今世でやってやる。

(了)
 
(初出掲載:2,023年1月9日発行の「夢が実現するメルマガ」第292号)

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