趣味人間万歳!【プロレス編】(6)U.W.F.⓵
前田日明
タイガーマスク引退の前に、新日本プロレスでは1人の若手が注目を浴びました。後に「格闘王」と呼ばれる前田日明です。
第1回IWGPトーナメントになぜか欧州代表として参加した前田日明。「七色のスープレックスを操る男」というキャッチフレーズは心を躍らせました。
タイガーマスクのことがあったので「帰国第1戦」にはいやが上にも期待してしまいます。相手は確かポール・オンドーフだったと思いますが、期待通りのキレのいい試合を見せました。
新日本プロレスクーデター
1983年、新日本プロレスで内乱が発生します。
当時は外野のファンとしては何がなんやらわかりませんでしたが、現在ではその内情が明らかにされています。タイガーマスクの引退もこれとは無関係ではなかったわけですが、
で、そのゴタゴタの結果、なぜか前田日明が新日本プロレスを退団することになります。当時は「なぜか」だったのですがこれも現在では事情が明かされています。
その前田日明をエースとして、ラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田などのメンバーで、ユニバーサルプロレス「UWF」という団体を作ることになりました。
U.W.F.旗揚げ
当時の僕としては、新しいプロレス団体が出来る、ということに心ときめきはしましたが、一方「華やかさに欠けるなぁ」という思いもありました。
何よりUWFはテレビ中継が無かったので、情報は紙媒体が頼りでした。
最初はごくごく普通のプロレス団体でしたが、後に藤原喜明、高田信彦が参加。前田の弟分といわれた高田の参加には「おっ!」と思いました。
つまり新日本プロレスにおける「カール・ゴッチ門下生」が期せずして集まったことになるわけで、UWFはゴッチスタイルを全面に出すようになりました。
ザ・タイガー
一方同年に突如引退したタイガーマスク。名前を「ザ・タイガー」に改め、格闘技指向に転じたことは前回書きましたが、一方のUWFもゴッチスタイルを前面に出した、言わば格闘技スタイルに変わっていきました。
その結果、ついて行けなくなった木村、剛、浜田らが離れていくことになるわけですが、後の「UWFスタイル」の基礎が作られていくことになりました。
こうなるとタイガーと前田の両方のファンである僕は当然こう思うわけです。
「一緒にやりゃあいいのに。」