〈メソッド開発に向けての道標〉
今日は、ゴンドラの唄(今野誠二郎、牧大我、それと僕:川村勇仁)が目指すものへの道標を、今までのこととこれからのことに分けて書きます。
●今までのこと、問題意識の芽生え
僕が誠二郎と大我に出会ったのは去年6月だったと
思う。
誠二郎が運営している神楽坂F/Aactoryで、大我が主催していたボンボン映画祭に遊びにきたときだった。
作業場で、大我とビートルズの話で盛り上がって、映画を一緒に作ろうって話になった。
(そのとき、1Fでみんなの様子を静かに観察してた誠二郎が、まさかここを運営している人だと思わなかった笑)
早速その週末に二子玉川の河原に出かけて映像を作った。BMPCCは持ってきたけどマウントを忘れて、結局僕のiPhoneで撮った。
持ち寄った脚本を読み合ったけど、その場の勢いだけでアクションを組み立てて、あーだこーだ言って、陽が落ちるまでに、と奇天烈な映像を撮った。
とりあえずワクワクしていた。
それからまた別に書いた会話劇を、幡ヶ谷の家で撮ってみた。このとき、演技(演技指導)の壁を思い知った気がする。
映像表現のアイデアは湧いてくるのだけれど、書いたキャラクターとそのキャラクターのセリフのイメージを、俳優と共有し、映像に落とし込むことにどれだけ困難を伴うのか。まさかこんなところで踏みとどまってしまうとは思いもよらず。7月。
8月には、とりあえず短編を撮る話が出て、提出期限が9月の映画祭に出すことを決めた。2週間ほとんど寝ずに、大我とこれからのことを色々話した。
9月になって、構想から編集まで2週間で撮り切って映画祭に間に合わせた。
この頃から、演技(演技指導)のメソッド開発のことについて真剣に考え始めた。何か哲学というか、演技(演技指導)を行う上で、確固たる精神的支柱が僕たちには必要じゃないかと。
たとえば、スタビライザーや編集ソフトの使い方、レンズの選択に困ったら、チュートリアルがたくさん出てきて、習得にあまり困難を伴わない。
「ヒト」が「モノ」を扱う指南は、世間に溢れている。
でも、演技(演技指導)では扱う対象は「モノ」ではなく、「ヒト」が「ヒト」を扱う話になる。(変数が増えて系が複雑になる)
誠二郎が昔スタジオで学んでいたものを少しみせてくれた。既存のメソッド(浅学なりに調べるとたぶんマイズナーのメソッド)に影響を受けたものだった。
僕と大我も映像作家として、誠二郎もドキュメンタリーアクターとして、各々の作家性に最適化された、「ヒト」が「ヒト」を扱うための独自のメソッドを、深い人間理解を持って打ち立てなければいけない。
誠二郎ともこの問題意識を共有して、ドキュメンタリーアクティングのリサーチャーとしてバックアップさせてもらった。
演技(演技指導)の壁をどう破るかという大きな課題がずっと頭の片隅に残ったまま、今まで観てきた映画の脚本を分析しながら、大我と幡ヶ谷の家で脚本会を続けた。年末くらいまでやってみて、なんとなく要領を得てきた感じがした。
●これからのこと、問題解決への道標
1. 先行研究(守)
まず既存の方法論を知る。スタニスラフスキー、ストラスバーグ、チェーホフ、マイズナーのメソッドやテクニック、イタリア式本読み、などなど。
#備忘----------------------------
※色々と読み漁った浅学の覚書です。座学だけでなく、身をもって知っていきたいものです。
スタニスラフスキーのシステムは、意識したアクションを繰り返すことで目的のエモーションを肉体に染み込ませるような、アクションからエモーションを獲得する方法論?
ストラスバーグのメソッドは、相似するエモーションを追憶することで目的のアクションを再現するような、エモーションからアクションを獲得する方法論?
チェーホフのテクニックは、双方向からアクションとエモーションのリンクを獲得する方法論?
マイズナーのテクニックは、外部のアクション(とエモーションのリンク)に反射するように、自分の(リ)アクションを獲得する方法論?
つまり
スタニスラフスキーは唯物論的
アクション→エモーション
ストラスバーグは唯心論的
エモーション→アクション
チェーホフは弁証論的
アクション←→エモーション
(サイコフィジカル)
マイズナーは現象論的
アクション←→アクション
エモーション←→エモーション
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2. 仮説提唱(破)
既存のメソッドをいかに破り、発展させるかを探る。スタニスラフスキーやストラスバーグはフロイトやユングなどの近代的な心理学に影響を受けている。そこで、ゴンドラの唄では、因子分析以後の現代的な心理学の見地を取り入れることを試みたい。具体的にはTEG・NEOなどで扱われるエゴグラムやパーソナリティのモデルを応用する。
またそれらの成立の過程にある
質問紙的アプローチによる、あるキャラクターが、ある場面において、どのような言動をするかという、種々の場面設計から帰納されるキャラクターの人格モデルの設定
と
辞書的アプローチによる、人間理解のための枠組みはさまざまな人格表現語を調べることによって得られ、重要な特性は必ず自然言語に符号化されているはずという基本的辞書仮説から演繹されるキャラクターの人格モデルの設定
を試み、新しい演技(演技指導)の理論を仮説として提唱する。
誠二郎(筒|tsu-tsu)の取り組むドキュメンタリーアクティング(演技者が演技対象を異化し演じることで、演技対象のドキュメントを鑑賞者に提示し、演技対象への複眼的視座を共有する究極的なリアリズム、と現時点の僕は解釈している)への応用も同時に図っていきたい。
3. 実践応用(離)
実際の寸劇や会話劇あるいは映像の中で、2で仮定した理論を実践し、効果を測定し、改良していく。
最近、AA(アルコホーリクス・アノニマス、アルコール依存症の相互援助団体)の研究をしている同僚でもある友人に教えてもらった言葉があります。
ニーバーの祈り
「神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。」
作家として、自分たちの作品に触れ、関わった多くの人がより良く生き、人生というドラマの最高のカタルシスを迎えられるように。そういう気持ちで取り組んでいきたいと思っています。今後とも宜しくお願いします。