ボクがどうしてもやりたい事。
初めまして!まず僕のことを知らない方が圧倒的に多いと思いますので自己紹介からさせて頂きます!
1992年生まれの28歳。
本業で福祉関係の仕事をしながら副業でアパレルブランド:COMPLEX XOXOを運営させて頂いております。スキルもない状態からsuzuriで3ヶ月で売上15万弱を獲得し、今は自ら業者に依頼し服を制作販売しております。こちらの方も今後noteに書いていこうと思っております。
タイトルにあるようにボクがやりたい事。
”居場所がないと感じる子に居場所を提供したい”
なんでやりたいかって自分がやりたいからやりたいってことなんですが
きっかけはボクの幼少期にあると思います。
物心着く前にはもう既に父親と一緒に住んでいませんでした。シングルマザーの母は殆ど仕事で遊んでもらった記憶がなく祖父母に育てられたようなものでした。父親とも定期的に会っていたし母の兄弟も居たので寂しさはなく子供らしい子供だったと思います。
小学校3年生で母親が付き合っていた方と結婚をするとのことで祖父母とは離れ新しい家族で生活が始まりましたが、今考えると馴染めなかった。生活の違い、食生活の違い、義父とは18歳差でお父さんって呼ぶのがとても慣れなかった。それだけならまだいいのですが転校先の学校で僕と入れ替わりで転校してしまった男の子がいたらしく、転校して数日経ってある女の子がこんな事を僕に言ったのです。
「キモイあんたが来るぐらいなら〇〇くんの方がよかった」
その一言で僕の人生は転落して行きました。
その女の子というのがリーダー的な位置にいた為に”キモイ奴”ってのが浸透、定着し始めてしまったのです。
そこから1年ほど経ったある日弟が生まれました。義父は僕を実の子として育ててくれてたと肌感でわかっていたと思うのですが、やっぱり血が繋がっている子と繋がってない子では感覚的に違うのです。僕とは距離感が出始めた感じがし始めて実の母も変わり始めました。
こんな出来事がありました。いじめを受け始めて本当に辛く”死”を意識した時、母に「もう死にたいんだ」と勇気を持って打ち明けました。その時母親は鼻で笑いながら当時5階に住んでいてベランダに指を指し「じゃあ今から飛び降りろ」と言われた瞬間、味方だと思っていた母親は僕の中で敵になりました。
当時の事を今考えてみると本当にしんどかったんだと思います。
結論いじめは中学卒業まで続きました。
僕には居場所もないし、生きててもダメなやつなんだって考えるようになった時に唯一味方でいてくれていた祖母が抱きしめてくれたんです。中学生にもなって大泣きしたことを思い出します。
「大丈夫、おばあちゃんがいるよ」って言葉が当時の僕にとって何よりの宝物になりました。
多分、祖母が居なければ僕は道をもっと間違っていたと思います。世の中にはもっと大変な人生を送らければ行けない子が多いんだとも思います。「大丈夫、大丈夫」って言ってくれる大人がいない子もいます。今にも首を吊ろう、今にもリスカをしてる子もたくさんいます。リスカしてる人を見て皆さんは何を思いますか?ファッションメンヘラって思うでしょう。中にはいるかもしれません、ですが普通に幸せだったら絶対しないんですよ。する必要性がないから。何かのサインなんです。それに気づける大人に僕はなりたい。
そう思ったから居場所を提供出来る場を作りたいって思いました。誰にだって居場所は必要で必要とされている自覚があればその人の為に頑張ってみようって思えるから。
この記事に関して不幸自慢とか叩かれる事もあるのは覚悟してます。それでいいんです。ただ僕は僕のやりたいことをやりたいだけ。
具体的な事業計画は次の記事に書いていきます。