悪い奴です
居酒屋で友人と待ち合わせをしていた。
少し遅くなるとメールがきて、一人でビールを飲んでいると、隣の席で飲んでいる二人の会話が自然と入ってくる。特に気を入れて聞くつもりはなくてもBGMのように耳に流れてくる。
「まったくなぁ。えらい目にあったよ」
「いくらやられたんだ」
「20万とちょっと」
「そんなにか。そりゃ多い」
「だろぉ。俺の全財産だよ」
「うん」
「俺も欲をかいてたかもしれないけどさ。ひどいよな」
「そうだよな」
「あいつ、そんなに悪い奴には見えなかったもんな。いい奴だと思ったんだ。信用できるってさ。騙されたな」
「悪い奴ってわかるようにしといてほしいよ」
「そうそう、見るからに悪そうにしてたら、だまされないもんな」
「そうだよ」
「こう、なんていうか。おでこんところに悪い奴です、なんて張り紙があるといいよな」
「あはは。そうだよな。わかりやすくていいや」
「笑い事じゃないんだけど」
「ああ、ごめん、ごめん。今日は俺のおごりでいいよ」
「そうか。お前のおでこにいい奴ですって書いてるみたいだ」
「あはは。そうだろ」
二人の会話に聞き入って思わず頬が緩んだ。
みんないろいろあるんだな、なんて柄にもなく人生を考えたりして。それでつい、二人を見てしまった。
あ。
どっちがどっちかはわからなかったけれど、たぶん、だまされたと言っていた方の男の額に
『悪い奴です』
という張り紙が張られていた。
え。
眼をちょっとこすって二度見したけれど、やっぱり同じだった。
「うそ」
思わず漏れた僕の言葉に、二人は同時に僕を見た。
「すみません。独り言です。メールに驚いちゃって」
と、胡麻化したけれど、やっぱりそわそわと何度も横目に確認していた。
そんな僕の態度が気に障ったらしく、二人は何やら話したと思ったら、すぐに立ち上がりレジに向かった。
どうにも落ち着かない僕は二人の姿をやっぱり目で追ってしまう。二人の額を確認したい思いに駆られるけれど、まさか追いかけて確認するわけにもいかない。僕が見たのは何だったんだろうか。
「ごめん、遅くなった」
その声といっしょに友人が入ってきた。
「仕事が終わんなくてさ。さぁ、バリバリ飲むぞぉ」
いつもの明るい笑顔で席に座った。
今仕入れてばかりのとっておきの話をするつもりで、ちょっと小声になった。
「あのさ」
「うん」
友人は、目深に被っていたコットン帽子をひょいと取り、傍らに置いた。見えなかった額が露になった。
『悪い奴です』
額には張り紙がへばり付いていた。
「え」
僕の言葉は止まった。
「なに?」
僕の言葉を催促するようにまっすぐに見てくる友人の額から目が離せなかった。
「なんだよ。どこ見てんだよ。何かあるか」
そう言って僕の目の先の自分の額に手をやったら、一瞬その文字は隠れたけれど、手を外すとやっぱりまぎれもなく、
『悪い奴です』の文字が見える。
僕は一度下を向いた。さっきと同じで気のせいだ。すぐに消えるはずだ。
「どうかした?」
不服そうに僕に声をかけながら、
「ビールくださぁい」
いつも通り陽気に注文する友人。
僕はそっと、顔を上げた。
ニコニコと覗き込む友人。
「どうかしたのか?」
あ。
『悪い奴です』
文字は消えていなかった。
「額にごみがついてるよ」
「え、そぉか」
友人が慌てて額をこすると、その手の動きに合わせて見え隠れする
『悪い奴です』。
消えなかった。
「とれた?」
「うん」
そういうしかない。
『悪い奴です』の文字が目に付いて、いつも通りとはいかないけれど、友人の話に相槌を打つのが精いっぱいの時間が過ぎて、いざ帰ろうとしたときに友人は言った。
「あれっ、俺、財布忘れちゃった」
つい額を見る。
『悪い奴です』
「しょうがないな。僕が払っとくよ。今度会った時に払ってくれたらいいから」
「悪いな」
さほど、恐縮していない。いやな感覚が広がっていく。
僕はあまり飲み食いしなかったにも拘らず、かなりの支払いになっていた。支払いを済ませ外に出ると、先に出ていた友人は陽気に
「じゃぁ、俺これからこの娘を送っていくからさ」
いつの間に知り合ったのか、いや元々知り合いだったかもしれないけれど、隣の席にいた女の子と、しゃらっとタクシーに乗り込んだ。
笑顔で手を振る友人の額には、
『悪い奴です』がヒラヒラしていた。
それから、僕はよく『悪い奴です』に会うようになった。
意外と多い。予防線が張れるから結構便利かもしれない。
『いい奴です』というのにもたまに会うけど、だからって、どうということはない。
久々に彼女に会う日。
彼女は額を隠すように前髪を下ろしていたことにほっとした。とりあえず、ずっとそのままにしていてほしいと思う。
でも、会うなり、彼女は
「え」と驚いていた。
「どうしたの?」
「なにそれ?なんかのジョークなの?」
「だから何?」
「額に変な文字が書いてるよ」
僕はすぐにトイレに駆け込んで鏡を見たけれど、額には何もなかった。いや、見えなかったと言うべきか。
ドキドキして戻ったら、彼女はいなかった。
結構、見える人もいるのかもしれない。
『悪い奴です』