見出し画像

身近な別れは、想像以上に呆気なく、感謝の気持ちであふれていた。

これまで、身近な人の最期は未経験だった

いろんな人の最期、その後、残された家族は悲嘆に暮れ、辛い日々がしばらく続く… そんな情報に振り回されず、できれば穏やかな時間を過ごしたいと願っていた。

高齢者の方々に関わる仕事についていたこともあり、人生の最期・その家族の方々に多少とも出逢ってきた。その度、自分が遺族になった時、どうなってしまうのだろう。ぼんやりとした、不安だけが大きくなっていた
(きっと、第三者の立場と、遺族・当事者では、ずいぶん違うだろうな
とだけ想像していた。)



遠く無い未来と思っていたものの、その時は、想像以上に急にやってきた。



正月〜元旦に実家の母を訪ね、寝正月を過ごしたその翌日、
父が入所している施設から電話が入った。

「いつもと違い反応が悪く、血圧が測れません。
  いつ面会に来られますか?」


結局、その電話に応えるように、家族揃って父を訪ねた、
10分ほどで
静かに息を引き取った。
とても穏やかな最期だった


その後、どこか冷静で、あまり大きな心の動揺がなかった第一の要因は
いつもならヒステリックな母が、
「何にも考えられへん。みんなあんたらに任すわ」
とはいうものの、想像していたような、悲嘆にくれ泣き喚かなかったからだと思う。
(思い起こせば、母が親がわりほど頼っていたひと回り上の実兄が長寿を全うし、しばらくしてからのほうが落胆がキツかった。〜今は実感が湧かないだけなのかもしれない)


正月、2日と続けて火葬場が休みのため、葬儀(母の希望で直葬)は最短の7日となった。
それまでは安置所で休む父に毎日会いに行けた。(自宅へ帰らなかったのも母の希望)


タマシイ ダッシュツ セイコウ


で、そこにあるのは肉体だけだと
頭ではわかっているものの、その別れまで、何度も何度も姿を見ることができたのも、落胆の度合いが低く済んだのかもしれない。

はじめ、遺影にする写真は、ここ数年の写真から選び、服装や背景の加工も頼んだ。程なくして、ふと父の机にあったファイルの中に、旅先で好物のビール片手に満面の笑みをたたえた写真を見つけた。大きく引き伸ばされていた。

楽しかったんだろな🍻


急遽、葬儀場の担当者の方と相談し、その笑顔の写真を一切無加工で変更した。(きっと、父はお気に入りの写真を見つけて欲しかったんだろな。)

葬送の際、会場の担当者の方が、粋な計らいを。
写真の変更依頼をした際、父がビール好きだったが、痛風を患い、その後は焼酎を毎晩飲んでいた話をした。家族は、棺に入れるため、生前よく飲んでいた「いいちこ」を持参した。
一緒にどうぞ と、担当者の方はビールとおつまみを用意されていた。

通常、死に水を口にするところを、死にアルコールをと、そのビールといいちこを差し出された。
立ち会った家族は、それぞれ、父の口を死にアルコールを。

後から、「アルコールも入って、今頃は いいアンベェ やろね」

こんなエピソードが、その夜、楽しかった思い出に浸してくれた気がする。


森に還る予定の妙見山に登ってた父


最近、身体は借り物で、霊をおさめる器と感じている。
人生は、その人の『役割が全うされました。お疲れ様でした。』
その時期に、霊は旅立てる気がする。

旅立ちの最初から送り出すまで、残す家族に、いろんな感謝を感じる機会を、
父は用意してくれた。

最後に改めて伝えたい。

おつかれさまでした。そして、ありがとう。






いいなと思ったら応援しよう!