タダで乗せてもらったバス(これ、いま流行りの、マルトリートメントじゃないっすか⁉㉕)
どうも、こんにちは。ゴンベーでございます。
お正月を過ぎましたね。
お正月といえば、親族で集まるとか、祖父母の家に行くとか、
ごちそう的なものを食べるとか、諸々イベントがございますが。
子どもにとってのお正月イベントは、やっぱりコレ。
お年玉でございましょう。
冬休み明けのクラスでは、「今年は5万円もらった」などなど、
喜びの声であふれていたもんでございます。
ちなみにゴンベーは、お年玉0円です。
「親」からのお年玉は、Z家には存在しませんでした。
祖父母からはもらいましたが、ポチ袋をあけることすら許されず、
もらったままの状態で、袋ごと「親」に取り上げられておりました。
この点は、「兄妹」も、多分同じだったと思います。多分。
疑わしい点は、あるんですが、まあ同じだったと思っておきやしょう。
ただ、ゴンベーには、小学生時代、お小遣いもありませんでした。
この点は、「兄妹」と差別されておりました。
「兄妹」は、小学校のころからお小遣いをもらってましたんで。
お小遣いがないと、小学生にとって、どんな困りごとがあるでしょう。
たとえば、一緒に習い事に行っている子たちが、途中、お菓子を買って、
シェアしながらワイワイやってても、その輪の中に入れない。
1円も持ってないんスから。うまい棒やチロルチョコすら買えません。
たとえば、クラスの子がお誕生日会やクリスマスプレゼント交換会に
呼んでくれることがあっても、自分でプレゼントを選べない。
こういう会のプレゼントは、「親」が選んで買ったものを持たされました。
なので、ゴンベーは自分がその子たちに何をあげたのか、知らないんです。
ただ、プレゼント交換会用の品は、どうやらショボかったようです。
ゴンベーの持っていった包みが当たった子は、会の間ずっと、
ゴンベーに聞こえるように「え~、なにこれ~、ヤなんだけど」
「他の番号にすればよかった~」と、悪口を言い続けてましたから。
以前にも書いてますが、「親」は「公立の小学校に通う子ども」を
「レベルが低い」と見下していますので、おそらくプレゼントなども、
「公立の小学校の子どもにはこの程度でいい」と、ショボいものを
選んでいたのではないかと思います。
その点に関しては、まことに申し訳ないと思います。
ゴンベー自身は、「親」たちのそういった価値観を、幼稚園のころから
「きもちわるい」と感じていたし、だからこそ小学校のお受験の時、
「面接で一言もしゃべらない」という抵抗をしたわけですが。
そんな、よその家の価値観がからむ事情など、プレゼント交換を
楽しみにしていたクラスメートにはカンケーないわけで。
ただ、ゴンベーとしても、楽しいはずの会で、
自分のプレゼントが他の子を失望させたことは辛かったですし、
その後ずっと、「聞えよがしな悪口」という悪意を向けられたことも、
今でも涙が出てくるくらい、悲しい出来事でした。
さて、そんな習い事仲間やクラス内での弊害も多かったのですが。
お小遣いがないために、一番迷惑をかけてしまったのは、おそらく、
ゴンベーが習い事に行くために乗っていたバスの運転手さん、
ではなかったかなぁと思います。
塾や習い事の中には、バスに乗って行くものが、いくつかありました。
もちろん、そのための交通費は、「親」から支給されておりました。
バスに乗って行く塾や習い事のある日は、その日の朝などに、
交通費として決まった金額を入れたお財布を渡され、
帰ったらすぐに、決まった金額のお釣りを「親」に返していました。
ところが、一時期、ゴンベーの交通費用のお財布から、
「お金が消える」ということが続いたのです。
消え方は、一定ではなく、
行きのバス代だけはあるけど帰りの分がなかったり、
バス代が全部消えて、なぜか代わりに30円入っていたり、
すっからかんの時もあったりと、毎週、金額が違うのです。
最初は「親」に、
「どこかで落としたんでしょ」
「かばんの中をよく見なさいよ」
などと、ゴンベーが怒られていました。
でも、「親」がゴンベーのかばんを徹底的に改めても、
お金は出てきませんでした。
習い事では、ロッカーにかばんを入れて
鍵をかけることになっていたので、
「ちゃんとロッカーに鍵はかけたの?
あなたが鍵をかけ忘れて、誰かにとられたんでしょ」
「かばんをロッカーに入れる前に、その辺に置きっぱなしにして、
その場を離れたりしたんじゃないの。その間に盗まれたのよ」
など、習い事先の子たちに疑いをかけられたりもしました。
ですが、どんなにゴンベーが気をつけていても、何週間も続きます。
そもそも、行きのバスに乗ろうとした時点で、もう消えているのです。
つまり、交通費入りのお財布を「親」から支給された後、
行きのバス停に着くまでの間に、消えているわけです。
これはさすがに、
「ゴンベーがボーッとしているせいで、習い事先で盗まれた」
は通用しません。
「親」は、一緒に習い事に行っている子たちにも、疑いをかけましたが、
その子たちと落ち合ってからバス停に行くまで、ゴンベーがしっかり
かばんを持っています。かばんのチャックもしめてあります。
その子たちにも、お金を盗めるはずはありません。
しばらくすると「親」は、
「またお金なくなった…」とゴンベーが報告しても、怒らなくなりました。
これが決定打になりまして、ゴンベーは何となく、犯人が分かりました。
多分ですが……。
犯人は「兄」ではないかと思います。
証拠はないし、今となっては分かりませんけどね。
ただ、他に、「交通費入りのお財布を『親』から支給された後、
行きのバス停に着くまでの間」に、お金を盗める人、いないんです。
それとね。
「兄」は、前述のように、小学生のころにはお小遣いを
もらっていましたが、派手に使うのでいつも金欠でした。
「母親」の肩にぶら下がるようにして、「前借りちょうだい~」と
お小遣いの前借りを、いつも要求していました。
「兄」の部屋にあった大量のマンガ雑誌とコミックス。
雑誌は週刊のものを2~3種類は買っていたようですし、
コミックスは普通のよりも大きなものもありました。
あれ、今思うと、青年誌のコミックスなんですね。
ジャンプコミックスとかより、高いんですよね。
「兄」が一体いくらもらっていたのか知りませんが、
小中学生の一か月のお小遣いで、あれだけのものが買えただろうか。
(「兄」は年齢ではゴンベーの4つ上ですが、学年では3つ上で、
ゴンベーが小学校高学年の時は中学生でした)
雑誌だけでも、毎週毎週、2~3冊ですよ。いくらになるんだろ?
まあとにかく。交通費、消えます。
バス停でそのことに気づいても、ゴンベーは家に戻れません。
一度家に戻って交通費をもらいなおしていたら、習い事や塾に遅刻します。
そんなこと、「親」が許しません。塾などの教室でも、怒られます。
家庭で虐待・マルトリートメントを受けていたゴンベーにとって、
「親」「教師・講師」などの「権力を持っている大人」は恐怖の対象であり
事情を説明したり助けを求められる相手ではありませんでした。
ゴンベーにはお小遣いがないので、交通費が消えたら、無一文です。
冗談抜きで、一円も持ってません。マジで。
だから、ゴンベーは毎回、バスの運転手さんに
「お金、ないんですけど……」と、頭をさげていました。
運転手さんは、毎回、「いいよ、乗っていいよ」と、
数十円で、あるいはタダで、乗せてくれていました。
あの運転手さん、もしかしたら、毎回同じ人だったのでしょうか。
同じ曜日の、同じ時間帯のバスですから、同じ人だったかもしれません。
もちろん、行きと帰りは、違う人だったろうと思いますが。
当時はまだ、小学生が携帯電話を持っている時代ではないですし、
無一文では公衆電話も使えません。
バスに乗れなかったら、ゴンベーは一人で途方に暮れていたと思います。
運転手さんのお心遣いで、ゴンベーは毎回、無事に
塾や習い事に行き、帰ってくることができました。
あの時の運転手さんたちには、今でも本当に感謝しております。
当時のゴンベーは、大人が怖かったのと、お金がないのが恥ずかしくて、
運転手さんに、はっきりとお礼を伝えることができませんでした。
小さな声で、モゴモゴとお礼を言うのがせいいっぱいで。
あの運転手さんたちが、この記事を読むことはないと思いますが、
それでも、気持ちは通じると信じ、この場を借りて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
ゴンベーは、一番安全であるはずの「家庭」内で、
「親兄妹」に危害を加えられながら育ちましたが、
家庭の外の人たちの善意に、助けられることもありました。
虐待・マルトリートメントそのものから助けてもらえるわけでは
なかったですし、当時はその親切をかみしめる余裕はなかったですが、
それでも、親切にしてもらったことが、後になって、あたたかく
思いだされるんだなと思います。
ちなみにゴンベーは、多分幼稚園くらいのころだったと思いますが、
電車の中で 見知らぬおば様に、お菓子をもらったことがあります。
金色や銀色の包みに包まれた、キラキラのチョコレート。
そんなことも、ずっと覚えているんですよ。
家庭では得られなかった、ほっこりするような体験は、
小さなことでも、ずっとずっと、記憶に残るんです。
7歳くらいのころには既に、「この世から消えたい」と思っていましたが、
それでもまだ生きてこれているのは、こういった記憶のおかげ、なのかも
しれません。
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。