10年パワハラ受け続けて、やっと10歳 の巻(これ、いま流行りの、マルトリートメントじゃないっすか⁉(27))
どうも、こんにちは。ゴンベーでございます。
ブラック労働や、職場でのパワハラが、新聞などでも取り上げられますね。
ゴンベーもよく、
「職場で〇年にわたり、人格を否定するような暴言を浴び続けて
心を病んで退職。今でもPTSDに悩まされている人がいる」
というような新聞記事を、読んでおります。
最近読んだ記事では、3年間パワハラが続いたそうです。
最近読んだとある本では、著者さんが2年もパワハラ受けたとか。
2~3年も、暴言を。
上司や会社組織という、絶対的な権力者から。
それは、さぞかし疲弊なさったことでしょう。
PTSDに悩まされるのも、当然です。
3年も。
3年。
いや、うん。3年。
3年は、長いよねぇ。
今から3年間、暴言を浴び、人格を否定され続けるとしたら、
そりゃ長すぎます。
心が壊れるのに、十分すぎる長さです。
ところで、3年ていうと。
子どもの年齢でいったら、0歳から3歳までっすよね?
ちょっと待ってくれぃ。
暴力や暴言や、罵声や怒声を浴びて、人格を否定されて、
人としての尊厳を踏みにじられる、そんな生活って、
だいの大人でも、3年もすりゃ限界むかえるんスか?
じゃあ、家庭で虐待受けてる子って……。
ゴンベーの知ってる限りでは、虐待されてる子どもって、
そういう環境に、ヨユーで10年以上は置かれてるんですが。
「親」という絶対的な権力者から、
10年くらい暴力暴言浴び続けて、
それでやっと10歳なんですが。
小学生で既に10年、深刻なパワハラ受けてんですが。
生まれた時から、それがフツーの環境で、
それが異常だって、気づけないまま、
さらに10年以上延びたりするんですが。
あ、「パワハラより虐待のほうが被害が重い」とか言いたいわけじゃ
ないですよ。
後述しますが、パワハラも虐待も、本質は同じって話です。
と、その前に、ちょっといいですか?
CHECK、CHECK。マイクテスト、マイクテスト。
えー、コホン。
全国の、虐待されて育った諸君っ!
今生きてる自分を、誇ろうぜっ!
俺たちゃ、大人ですら潰れるような過酷な環境を、
小さな子どもの身で、生き抜いてきたんだYO!
自分よりも2倍も3倍も4倍も5倍も長く生きてる大人が、
2年や3年で精神を病んでPTSD発症するような環境に、
俺たちは軽く10年や20年はいたんだぜっ!
この世に生まれ落ちた、その瞬間から!
まだ自我も芽生えてない幼子のうちから、
もうPTSD負っちゃう地獄にいたんだぜ。
心が病む以前に、まだ心が育ってねえ。育つ前に病んでたよ心。
芽ばえる前につぶされてる自我。
物心ついた時には、しみ込んでた絶対服従。
罵声を浴びて心が折れたんじゃねえ。
折るまでもねえ、最初から粉々だったぜ心。
病んだ心を引っ提げて、
「スンマセン、うつ病って診断出たんで、今日から家庭休みます」
いやどうやって休むんだ家庭。
休める場所なんざありゃしねえ。
あ、失礼しました。
マイクテスト、終了しましょうね。
んで、何が言いたいかといいますと。
虐待とか、イジメとか、パワハラ・モラハラとか、
言いかたは色々ありますけれど、これらって、
本質は全部同じだと思うんですよね。
ただ、それが行われる場所と、当事者の関係性が違うだけ。
虐待だったら、場所は家で、当事者は、だいたいは親子。
イジメだったら、場所は学校や職場で、当事者はクラスメイトや同僚など。
パワハラだったら、場所は職場が多いかな。当事者は上司・部下とかね。
だけど、場所がどこだろうと、当事者がどんな関係だろうと、
やってることは、同じっすよね。
強いモンが、弱いモンを、一方的に痛めつける。
本質は、これでしょ。
イジメも同じで、家の中で、きょうだい間でも、イジメは存在します。
だけど、家の中、きょうだい、という場所と関係性があると、
「きょうだいゲンカ」で済まされる。Z家では、そうでした。
本質をごまかし、表面的な場所や関係性だけ取りあげて、
「虐待じゃないです。しつけです」
「イジメじゃないです。遊んでただけです」
「パワハラじゃないです。指導です」
とか言いだすんですよねぇ。
立場振りかざすほどおエラいんなら、
教育と虐待
イジメとケンカ
指導とパワハラ
の区別くらいは、つけやがってくださいまし。
で、改めて申し上げますと。
毎日毎日、暴力や暴言を浴び、人格を否定され、
自分の存在を責めたてられ叩かれ続ける環境って、
大人でさえ、そう何年も耐えられるモンじゃないっすよね。
ちゃんと自我が出来上がってる大人でさえ、壊れるんです。
壊された心を回復するのに、たくさんたくさん、時間も
ケアも必要になるんです。
なのに、なのに、それなのに。
どうしてなんでしょう。
幼い子どもが、今日も、道で、家の前で、
てことは多分家の中でも、大人から暴言を浴びているのは。
正常な心を育んできた大人でさえ、数年の暴言で心が折れる。
その心の回復に、長い期間、休息や適切なケアが必要になる。
新聞でもニュースや情報番組でも本でも、色んなメディアが、
パワハラ被害の過酷さを、その後遺症の深刻さを、伝えています。
なのにどうして、年齢ひと桁の子どもには、何年も暴言罵声浴びせ続けて、
それを「親」の、大人の、正当な権利だと思ってるんでしょうか?
そういう環境下で育ってきて、何のケアも助けもないままに
大きくなってしまった、かつての子どもの一人であるゴンベーは、
こういう ↓ 実感があります。
虐待・マルトリートメントを受けて育った人は、
最初から壊されてる心の破片を、どうにかかき集めて、
つなぎ合わせて、かろうじて普通っぽい形を作り上げてる、と。
自分の心が出来上がっていたことがありません。
回復しようにも、元の形がありません。
自我が芽ばえそうになるたびに、つぶされてきました。
人格が形成されそうになるたびに、否定され捻じ曲げられてきました。
この状態でいるのって、実はかなりの無理ゲーなんです。
高難度の綱渡り状態。今にも切れそうな細い糸の上で生きてます。
「大人だって完璧じゃない」って言う人いますけど、
だったら子どもだって、完璧じゃないでしょ。
同じように完璧じゃないのに、片方だけが、子どもだけが、
一方的に大人から暴言を浴びせられることに、正当性がありますか?
パワハラやモラハラで病んだ経験がおありの方には、
ぜひ想像していただきたいのですが、
虐待・マルトリートメントを受けた子どもというのは、
人生の最初から、あなたが陥ったその状態にいます。
それを正当だと、思いますか?
あるいは「無理もない。相手も完璧じゃないんだから」って
思いますか?
虐待・マルトリートメントは、家庭内のパワハラであり、モラハラであり、イジメです。
強者による、弱者への、蹂躙です。
そこに正当性はありません。
関係性が「親子」だというだけで、本質を見誤らないでください。
被虐待児は、10年パワハラ受け続けても、やっと10歳なんです。
職場は最悪、休職や退職はできますが、家庭はその最悪すらできないんです。
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。