宿題を自分でやると怒鳴られるカオスの巻(これ、いま流行りの、マルトリートメントじゃないっすか⁉(31))
なつがく~れば おもいだす~
わけわからん~ どなりごえ~
どうも、こんにちは。ゴンベーでございます。
猛暑っすねー。
だからってわけじゃないんスけど、本日も、ちょい軽めのお話で。
軽めったって、子どもが罵倒されたりする話ですから、
決して軽くはないというか、軽く見ていいことではないんですけども。
日常的にやられてたモンですから、自分の中で
「普通」だと思ってしまってた現実が、たくさんありまして。
罵倒の内容が意味不明すぎて、なんで怒鳴られてんのかわからん、
てなことも、日常茶飯事だったんですが……。
それこそ、マルトリートメントなんじゃないか、と。
そういうのも、書いてみようかなと、思います。
同じ目にあう子どもが、一人でも減るかもしれないから。
では、始めて参りましょう。
小学生の時の話なんですけどね。
大事なことなので、2回言います(゚∀゚)
小学生の時の話なんですけどね。
夏休みにね、絵を描く宿題があったんですよ。
今どきは、夏休みに宿題が自由研究だけ、なんて学校も多いそうですが、
ゴンベーや、「兄」が子どものころには、まだありました。
ゴンベーは、元々は、絵を描く宿題は嫌いじゃありませんでした。
元々は。
何しろ、日ごろ、絵なんか描いていようものなら、
「遊んでいる」とみなされて、例によって罵倒されるんですが、
宿題ってことなら、大っぴらに描けますから。
はい、ここ大事。テストに出ます(?)。
日ごろ、絵を描くことは、許されていなかったんです。
なので、ゴンベーは、絵を描く技術を習得したことがないんです。
そもそも、絵を描くのに、技法があるということすら、
知る機会が一度もなかったのです。
知っているのは、絵の具のベタ塗りだけです。
小学校の授業でも、基本的な絵の具の使い方以上のことは、
教わってませんので。
その状態で、夏休みの宿題の絵を、描くわけです。
ゴンベーは、自分で描きました。
一年に一度しかない、家で絵を描ける時間を、
それなりに楽しんで描いていたと思います。
無事に仕上がり、裏に名前を書きました。
「父親」が、その宿題を、見せろと命令してきました。
見せたとたん、怒鳴り散らされました。
最初の方は、何て言ってたか覚えてませんけど、
「なんだこの絵は!」などなどと、罵倒され続けました。
そして、極めつけの怒声が、こちら↓。
「こんなもんは、小学生の絵だ!」
はい、ここで、冒頭の一文を思いだしてみましょう。
大事なことだから、二度言いましたね。
「小学生の時の話なんですけどね」と。
ね。意味不明でしょ?
描いてるの、小学生なんですよ。
小学生が、小学生の絵を描いたことを、怒鳴られて罵倒されてるんです。
しかもこの小学生は、日ごろ絵を描くことなど許されず、
絵の描き方なんて一ミリも知らない、知る機会すらない小学生です。
そんな小学生が、絵の宿題をやる時だけ、いきなり、
大人並みの絵や、画家の描くようなハイレベルな絵を、描けるとでも?
ちなみに、こういう時、「父親」は、絵を破いたりはしません。
そんなことしたら、「破かれた絵」という証拠が残るからです。
Z家のような連中は、自分たちの鬼畜の所業の証拠を残しません。
暴力は、バレないように振るいます(詳しくは記事15で)。
メインは罵声・怒声・存在の否定などの、精神攻撃です。
子どもの精神に、どれほどの傷を残そうと、外からは見えませんからね。
やりたい放題です。
この時も、ゴンベーが自力で楽しんで宿題をやった経験は、
ゴンベーの心と共に、ズタズタのボロボロにされました。
外からは、見えませんけどね(^^)v
この話、実はウラがあったのです。
「兄」の学校でも、絵の宿題が出ていたわけですが、
「兄」はどうだったのでしょう?
「兄」は、絵を趣味にしていた「母方」の祖父に、
宿題の絵を描かせて、学校に出していました。
その絵、賞をとりました。
何の賞だか、ゴンベーには分からないんですが、とにかく、
この「快挙」に、「両親」が大喜び!
「お兄ちゃんが、おじいちゃんに描かせた絵が、賞をとった!」ですって。
その後、何年も何年も大喜びで言っていました。
お分かりでしょうか。
要するに、連中にとって大事なのは、
「自分たちの子どもの名義がついた絵が、賞をとること」なのです。
学校の宿題を、自分でやることに、価値はありません。
自分で描いて賞をとれないくらいなら、
絵の上手な大人に描かせて賞をとるべきなんです。
小学生が、「小学生の絵」しか描けないくらいなら、
大人に描かせて、賞をとるべきなんです。
それなのに、あろうことかゴンベーは、
「宿題を自分でやる」などという愚挙をおかし、
「小学生の絵」を学校に出そうとした。
何よりも自分たちの見栄と世間体を大事にしている「親」は、
このあるまじき愚行に激昂した、と。
愚行に激昂。
グコウにゲッコー。
オウマイガッ!俺たちの見栄と世間体に、傷がついちまうぜっ!
子どもなんかよりも、ずっとずっと大切に慈しみ育んできた、
俺たちの見栄と世間体がっ!
傷つけるなら、子どもの心と脳を傷つけるべきなのに!
俺たちの見栄と世間体に傷をつけるなんて、言語道断だぜっ!
このグコウにゲッコーせずにはいられないぜ、マイガッ!
みたいな感じっスかね。
この「親」たちの言動も意味不明ですが、ゴンベーにはもう一つ、
当時からずっと不思議だったことがありまして。
「兄」の学校の先生たちは、提出された絵を見て、
普段の授業で描く絵と全然違うじゃねぇか、とか、
こいつ誰か大人に宿題やらせやがったな、とか、
一人も気づかなかったの? ってことです。
「兄」は小学校受験に受かって、国立大学付属の、いわゆる
「名門小学校」みたいなのに通っていたんですが。
そういう小学校って、道徳はおしえないの?
名門と謳われる小学校に、不正はいけません、と
「兄」を指導する先生は、一人もいなかったのかなぁ。
この出来事は、子どものゴンベーにとって、まさに意味不明でした。
自力で宿題をやったゴンベーが罵倒されたことも、
祖父に宿題をやらせた「兄」が賞賛されたことも。
こういう歪みや理不尽を、ただただ飲みこまされ続けて、
自分は何をどれだけやっても、罵声しか浴びないゴミ箱なんだと、
子どもは自己否定を強くし、無力感に支配されていくのです。
今回も、お付き合いいただき、ありがとうございました。