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エンジニア人生で苦しかった話

「エンジニアになって良かったですか?」

今の僕は、迷わずYESと答えられます。

フルリモートで猫たちと過ごしながら仕事ができて、海外にも気軽に行けるようになりました。

自分のやりたいことや経験にも惜しみなくお金を使えるほど、経済的にも余裕ができました。

エンジニアを軸に人生の舵を切れるようになりましたし、今は充実した生活を送れています。

でも、4〜5年前は不安でしょうがなかった。

正直、最初の1〜2年は本当に苦しかったですし、毎日が試練の連続で何度も心が折れました。

「自分には向いていないんじゃないか」
「周りと比べてレベルが低すぎる」
「何が分からないのかさえ、分からない」

自分の不出来に落ち込んで押しつぶされそうな毎日。

実際、僕の周りにも同じような経験をした人がたくさんいます(むしろ大半の人がそうだと思います)。

エンジニア転職した時の同期も、Xで相談してくれる方も、みんな同じ気持ちで最初は不安だらけ。

今でこそフリーランスエンジニアの友人と「あの時はマジで何もわからなかったよな」って笑い話にできてますが、当時は笑えないくらい辛かったなと。

この経験を同じように悩んでいる誰かに伝えられたら。そんな思いでこの記事を書いています。

  • エンジニアとして歩み始めたばかりの方

  • なかなか思うように進まなくて諦めかけている方

大丈夫です。
僕みたいな人間でも乗り越えられました。

「自分にもできるかもしれない」

って、背中を押すきっかけになれば嬉しいです。


ゼロからの挑戦


急に語り始めて「誰だこいつ?」と思われたかもしれません。

自己紹介もせずに始めましたが、ごんと申します。

地方のど田舎育ち。
「大学行くお金ないよ」という親の一言で、無難に公務員を選びました。

今考えると安直な選択でしたが、将来のことなんて何も考えていなかったんです。

でも、当時はそんな感じで、何も考えず公務員試験を受け、1次試験の筆記から3次試験の最終面接まで通り、なんとなく公務員になりました。

そこそこ安定した生活。でも10ヶ月で辞めました。

ふと「これからは死ぬまでやりたいことだけをやって生きよう」と吹っ切れたんです。

辞めた後の行動が、今考えると完全に無謀でした。

周りに相談できる人も誰もいなければ、特別なスキルや実績もない状態。

とりあえず「海外 旅 自由 仕事」でググるところから始めましたね(笑)

そんな中で出会ったのが、フリーランスエンジニア。

最初は「年収1,000万円で自由に生きる」みたいな広告を見て「怪しいな」とは思いましたが、タイピングだけは得意だったので「これだ!」と即決。

その日のうちにヤマダ電機へ直行。

なけなしの貯金で、MacBook Airを購入しました。

公務員時代に購入した250万円の車のローンを抱えながら「なんとかなるはず」という根拠のない自信だけで独学を始めました。

少し寄り道


すみません、少し脱線しますが。

皆さんは、なぜエンジニアを目指したんでしょうか?

僕の場合、最初は自由な働き方に惹かれただけでした。エンジニアというより、フリーランスという生き方に魅力を感じていました。

でも、この世界に入って、思わぬ発見がありました。

「ITエンジニアって、めちゃくちゃカッコ良い。」

特に影響を受けたのは、NetflixやAmazon Primeで配信されている映画やドキュメンタリー作品でした。

いくつかご紹介させてください。

  • 『リターン・トゥ・スペース』

    • イーロン・マスクとスペースXのエンジニアが、民間宇宙飛行の実現に挑む記録。

  • 『プレイリスト』

    • 2006年の創業から「Spotify」の歴史を追いかけた作品。

  • 『ブラックベリー』

    • スマートフォンの元祖といえる携帯電話端末である「BlackBerry」の開発から衰退まで描いた作品。

  • 『スノーデン』

    • アメリカの情報収集プログラムの存在を告発したNSA(米国国家安全保障局)の職員、エドワード・スノーデンに迫る作品。

  • 『ソーシャル・ネットワーク』

    • ハーバード大学の青年(マーク・ザッカーバーグ)が、世界最大のSNSである「Facebook」を創設する過程を追う作品。

  • 『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』

    • マクドナルドを世界的チェーンへと成長させたセールスマン、レイ・クロックの物語。

こういったエンジニアやファウンダー系の作品を見ると、すごくワクワクして興奮するんです。

思い返すと、きっかけは高校3年生の時。

数学の授業中に、先生が授業の2コマを使って「イミテーション・ゲーム」を見せてくれたんです。

衝撃でした。面白すぎて。

それまでマーベルやジュラシックパークのようなアクション映画ばかり見ていた僕に、全く新しい世界を見せてくれました。

今でも大好きな映画の一つで、繰り返し見ています。

こういった作品や物語を見ているうちにエンジニアが今の世界の最前線で、未来を作っている。それが純粋にカッコ良かったんですよね。

現代で言えば、特にイーロンマスクの存在。

Netflix「リターン・トゥ・スペース」を見てから彼のカッコ良さに惹かれ、伝記も上下巻購入。
今では部屋にポスターまで飾っています(笑)

デスクの正面に配置した彼の写真。いつでも視界に入る状態にして、自分を奮い立たせています。

彼の生き方や事業を見ていると元気がもらえます。

特に惹かれたのは、彼の考え方のベースにある『第一原理思考』という物理学的な考え方やアプローチ。

既存の概念に縛られず本質的な問いから始める。

そして、TeslaやSpaceXなどの具体で、圧倒的なスケールで実現されてる。

本当にカッコ良い人だなと思います。

歴史や背景

すみません、もう少しだけ寄り道をお許しください。

ふと考えてみると、今でこそ、僕自身もIT業界で仕事させていただいてますが、ITがここまで最前線に来たのはここ20〜30年の話。

その変革のスピードに、僕は純粋に興奮を覚えます。

もし見ていない方がいらっしゃれば、ぜひお勧めしたいのが、Netflix『世界の"今"をダイジェスト:コーディング』の回です。

パンチカードを使った自動織機の時代から、アセンブリ言語、高水準言語への進化、そしてGUIの登場まで。さらには機械学習による新たなパラダイムシフトへと続く、壮大な技術の歴史が描かれています。

これが本当に面白い。見ていてワクワクします。

プログラミング学習を始めて間もない頃は「何が分からないかも分からない状態」になりがちです。

全体像が掴めていないから、今何をしているのかも分からない。そんな意味不明な状態が続きます。

正直、仕事をしていても面白くないですよね。

でも、こういった歴史や背景を知ることで、エンジニアという仕事の本質的な面白さが見えてきます。

▼ 動画はこちら

あと、もう一つお勧めさせてください。

ルビーDog さんの『プログラミング言語の歴史』の動画です。

時系列でプログラミング言語の歴史が分かりやすく説明されている素晴らしい動画です。

50分があっという間に感じるくらい、面白くて見入ってしまう動画でした。

本当に感謝です。

▼ 動画はこちら

どんな物事においてもそうですが、表面的な理解や浅い知識だけでは本当の意味で楽しめないと思います。

僕自身も、こういった歴史や背景を知っていくことで、少しずつではありますが、エンジニアの仕事やITの仕事が好きになっていきました。

だからこそ、今の仕事に物足りなさを感じている方は、技術の歴史や背景から見直してみると、また違った面白さが見えてくるかもしれません。

今この時代に生まれて、テクノロジーの進化に立ち会えることに感謝したいですね(まあ、AIに仕事を奪われる不安もありますが...笑)

挫折と苦悩の日々


すみません。
ここまでかなり寄り道をしてしまいました。

ここからは、本題に入らせていただきます。

エンジニアを目指してからの挫折や苦悩、その乗り越え方について、これまでの自分の実体験をシェアできればと思います。

独学時代 - 自己満

独学の時期は、正直楽しかったんです。

自分のペースで進められる。誰にも怒られない。
「これならいけるかも」って思えた時期でした。

今思えば、完全な自己満足だったんですけどね。

実は、最初はWeb制作からスタートしました。

海外でノマドワークされてる方の多くがWeb制作をされていると知り、自由な働き方への一歩めになると考えました。

1ヶ月目に学んだ内容でポートフォリオを作成し、地方の制作会社にメールや電話で直営業。2ヶ月目には数万円稼ぐことができました。

小さな成功体験が積み重なっていきました。

Web制作で営業していた当時、Trelloでの進捗管理の記録。

ただ同時に、Wixのような簡単なツールの普及を目の当たりにし「これは誰にでもできるようになる」という危機感も芽生えました。

正直、何もなかった僕が2ヶ月目で数万円稼げるようになるくらいなので、やる気があれば誰でもできるなと素直に感じました。

そこで本格的なプログラミングへの転換を決意。

Progate、ドットインストール、UdemyでPHP(Laravel)を学び、掲示板やTODOアプリを制作しました。

Udemyの教材を2〜3周くらいぶん回して、できた掲示板やTODOアプリに自分なりの機能を肉付けして理解を深めていました。

当時はGitすらまともに使えておらず、GitHubにただコードをあげるのみ。

今から思えば、Gitの使い方も分からないレベルで現実の仕事とは程遠いものでしたが、その時は気にも留めていませんでした。

ただ、その"無知の幸せ"があったからこそ、前に進めた気がします。

ある程度形になった段階で、フリーランスを目指すには実務経験の必要性を痛感し、転職活動を開始。

Web制作の実績と、PHP(Laravel)で作成したなんちゃってポートフォリオを武器に、Wantedllyをメインに手当たり次第応募を進めていきました。

転職活動中、Trelloでの進捗管理の記録。約150~200社近く応募しました。

その中で、最終面談に進んだのは2社。

一次・二次はWebでしたが、最終は東京での対面。

学歴や大した技術力もなかったため、自分のポテンシャルをとにかくアピールする方向で進めました。

当時は、19歳という若さを逆手に取り「覚えが早い」「素直」「無茶が効く」「賃金やすくて良い」という点を全面に押し出しました。

あとは、土日祝日問わず、全ての時間を業務に捧げますくらいの勢いで、当時は、自分を売り込むための30枚のスライドを用意して臨みました(笑)

実際に使用したスライド。1枚目から熱量でゴリ押し。
独学期間での制作物まとめ。
自分が入社することでのメリットや提供できる価値。

結果、自社開発企業から内定をいただき

晴れてエンジニアとしての第一歩を踏み出すことができました。

そして、いよいよ実務という名の修行の日々が始まるのです。

会社員時代 - 修行

この記事の本編はここから。

配属初日からの衝撃は、今でも鮮明に覚えています。

いきなりのOJT配属で、自社サービスの改修作業から始まりました。

開発環境は少し古めで、JavaをメインにSVNでのバージョン管理、レビューはZoomで画面共有しながらの具合でした。

結構古い現場でしたが、正直それは気にしていなかったです。

当時は、とにかくIT業界に潜り込んで、実務経験を積むことを最優先に考えていたので
仕事の全体像やチーム開発の進め方、そこら辺さえ学べれば、あとはどうにでもなると考えていました。

ただ、想定していた以上に独学のレベルの低さが如実に出ました。

今思えば、システムが複雑かつレガシーな技術を多用していたので、初学者には到底理解できるような内容ではなかったのですが(言い訳です)

そもそも、自分の基本的なスキルや知識が足りなかったのが全てだなと。

オブジェクト指向?関数の使い方?戻り値?引数?同期と非同期?ビルド?基礎的なことが全く分かりませんでした。

厳密には知識としては理解していましたが、実際のプロジェクトコードを読み解き、処理の流れを追うことが難しすぎました。

更に辛かったのは、

コロナ禍での全面リモートワーク。

質問したくても、周りには誰もいない。
これが一番辛かったです。

シェアハウス暮らしで在宅の環境がなかった僕だけが、唯一の出社組。

初日は環境構築から始めたのですが、ドキュメントを渡されただけで、周りに聞くこともできず、結局、手元でビルドできるまでに1週間かかりました。

というか、他のメンバーは自身の業務で手一杯で、教育の余裕もありませんでした。

面接では強気にアピールしていた分、周りからの期待も重圧に。

最初の進捗MTGでは作業がほぼ進んでおらず、的外れな質問ばかり。

周囲の「あれ?」「この人大丈夫なのか?」という視線が痛く、自尊心がボロボロになる日々でした。

ただ「もう今の状況は仕方ない」解決策は量でカバーすることしかないと腹を決め、毎日7時出社、22時退社の生活を始めました。

週末も朝から晩までカフェで勉強。

「見返してやる」という一心で必死にやりました。

また、もう一つ苦しかったことがあります。

それは、新天地での生活です。

東京に移り住んだ後は、港区の家賃3万円のシェアハウスで生活を始めました。

オフィスに徒歩で通える距離に住んで、全てを仕事と勉強に注ぎ込みたい。

その思いだけで、貯金もほとんどないまま「とにかく住める場所」として、シェアハウスを選びました。

ナイジェリア出身のジョン、レバノン出身の男性、日本人女性と僕の4人で、5畳ほどの部屋を共有していました。

2段ベッドが2つ設置されているだけの狭い空間。

夏は蒸し暑く、冬はものすごく冷えて、暖房器具からは嫌な臭いがするし、湿気の多さで服にカビが生えることもありました。(笑)

上のベッドで寝ているジョンは、寝返りを打つたびに物音がすごいし、洗濯物も洗わずにベッド内に放置する人もいれば、いびきがありえないくらいうるさい人もいて、とにかく最悪な環境でした。

部屋の写真。人生で初めて耳栓を買いました。
僕の寝床は2段ベッドの下。唯一の作業スペース。

家に帰っても休まらない日々。

当時は感覚が麻痺していたので「これが当たり前」と思い込むしかありませんでした(というかそう思わないと無理でした)。

もう二度と同じ生活はしたくないです。

港区のオフィス街で働きながら、高級車を横目に3万円のシェアハウスへ帰る日々。地方出身の自分には、全てが別世界のように感じられました。

そして、仕事では

  • 分からないことが押し寄せてくる

  • 1つ調べると5つの新しい疑問が出てくる

  • 周りができて当たり前のことができない

その結果、自分を責める。

出来ないことでの重圧や周りの視線を嫌というほど感じ、自分の無力さを実感する日々でした。

ただ、人間は適応する生き物です。

実務という高強度の環境と、自分の時間を全て学習に費やしたことで、3ヶ月目くらいから確実に成長を実感できるようになりました。

とにかく「実践あるのみ」は、結果として良かったのかもしれません。いきなり実務に飛び込ませてもらっていたからこそ、格段に成長できました。

半年後には、バグ修正から新規開発まで一人で担当できるようになり、周りにサポート求めなくても一人で調べて自走できるようになりました。
(最初から質問できる環境はなかったのですが)

さらに、社内の開発環境改善にも取り組むようになりました。

SVNからGitへのバージョン管理の移行、VMwareからDockerへの仮想環境の刷新など。

業務外で個人的に学んだモダンな技術をドキュメントにまとめ、提案から導入までを担当。

新人の教育も任されるようになり、Javaによる開発の現場なら、どこでも通用する自信がつきました。

当時、使用していたノート。
アウトプットや思考整理のためにとにかく書いてました。

ただ、手取り18.7万円という給与では、親への仕送りや車のローンを抱えながら、東京での生活を続けることが難しく感じ始めていました。

娯楽や食費にはほぼお金を使っていなかったものの、東京で暮らしていくには経済的にこのままではやっていけない状況。

そして、シェアハウスでの生活から抜け出したい。

元々の目標「1年以内の独立」を実現したい。次のステップへの思いが日に日に強くなっていきました。

会社新時代の手取り。

また、会社での昇給も年間数万円程度。

大幅な収入UPには4〜5年の勤務と役職昇進が必要不可欠でした。

技術者として成長させていただいたことには感謝していますが、自分の将来と東京での生活を考えた時、独立という道を選ぶことを決意しました。

フリーランス初期 - 挑戦

独立は早かったのかもしれません。

実務経験半年かつ19歳という年齢では、どのフリーランスエージェントからも全く相手にしてもらえず案件を探してもらえませんでした。

ただ、転職のタイミングからずっと仲良くさせていただいていたフリーランスエンジニアの方に、エージェントの営業さんを紹介してもらうことに。

その営業さんに猛アピールして、スキルシートも添削してもらい、営業に尽力していただいた結果、いくつか案件を紹介してもらうことに。

面談には自信があったので、あっさりと合格をもらい、2020年12月フリーランスのJavaエンジニアとして独立することができました。

僕一人の力で転職まではできましたが、実務短期間で独立できたのは間違いなくこの営業さんにサポートしていただけたからですね。

後の話にはなりますが、現在に至るまで一度も案件が途切れることなく、順調に単価UP、Kotlinへのスキルチェンジも実現でき、休みも自由に調整できているのは間違いなくこの営業さんのおかげです。

本当に感謝しても仕切れないです。

そして、最初の案件は、月単価42万円でした。

こんな大きな金額が振り込まれたのは人生で初めて。思わず一人でガッツポーズしました(笑)

会社員時代の収入から倍以上になり、シェアハウスから家賃7万円の家に引っ越すことができました。

よくフリーランスで月40万は低単価でまともな生活できない、と否定されがちですが、人それぞれ価値観や考え方が違います。

確かにフリーランス市場で見たら低いですが、それでも会社員時代18万の僕からしたら2倍以上。

リスクや税金面の話も出されますが、手取り18万の環境で4〜5年居続ける方がよっぽどリスクでした。

Xだと「その程度で贅沢な暮らしなんてできない」とも言われてましたが、意味が分からない。

シェアハウスから抜け出して毎日のご飯代に縛られなくなっただけで、本当に生きやすくなりました。

また、在宅の作業環境にもどんどん投資できるようになりましたし、それを経費としても計上できました。

会社員時代より使えるお金、可処分所得が増えただけでなく、経費を柔軟に使える分節税もでき、手元に残るお金が圧倒的に増えました。

いちいち批判してきたり、実際に経験すらしてない人がネガティブなこと言いますが、無視でOKです。

間違いなく僕の生活は変わりました。

ただ、独立後の道のりは平坦ではありませんでした。

フリーランス初出社を終えて、電車の中で書いた日記。

やはり実務経験半年の状態で独立したこともあり、最初はアウトプットを出せない日も続きました

今までの会社と異なるツールやプロジェクトの動き方もあり、キャッチアップにも苦労しました。

特に辛かったのは「Node.js、Express、AngularJSを使用して、クライアント向けのデモアプリを一人で作るよう求められたこと」です。

最初は新しい技術を学べることが嬉しくて、Udemyの教材で0から学んで開発を始めましたが、そううまくはいきませんでした。

また、現場にこれらの技術を使用している有識者がおらず、質問できる人が一人もいない状況でした(なぜその技術を選定したのかは不明)。

それに、期日もわずか3週間と短く、毎日朝から晩までそのことで頭がいっぱい。もちろん土日も休まずに作業しました。

その期間は本当にしんどかったですね。

毎日朝起きたら、納品の期間に追われ、期日が迫る中で進捗も思ったように出ず「自分はエンジニアに向いていないのでは」そう思うようになり、毎日、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

エンジニアでもある友人に泣きながら相談したのを覚えています。

進捗報告は毎日行っていましたが、最終的には現場の上長に呼び出され緊急MTGが開かれることに。

その日から数日間、終電まで作業を行い、最終的にはなんとか成果物を出すことができました。

今となっては新しい技術でも3週間あれば十分成果物は出せますが、当時はそうではありませんでした。

振り返ると、自分の技術不足はもちろんありましたが、経験のない技術でバッファもなく無理な要求をされ、案件先にも有識者がいない技術を選定したのが問題だったと思いますけどね。

(結局、フリーランスになってこのような経験をしたのは最初の案件だけで、他の現場でこのような過剰な要求はされることは一度もなかったです)

その後は実務にも慣れたことで、仕事も楽になっていき、今後はフルリモートかつ高単価で自由度の高い働き方を実現したいと考えました。

そこで、業務外でKotlinの個人開発をスタートし、独立から7ヶ月後にはKotlinを用いたAndroidアプリ開発の案件に参画することができました。

Kotlinを用いたAndroidアプリ開発案件へのシフトにより、環境も大きく変わりました。

  • 業務時間:9時~18時 → 10時~19時

  • 作業PC:Windows → MacBook

  • 作業形態:常駐 → フルリモート

  • ツール:社内ツール → Google関連ツール

  • 身なり:スーツ → 服装髪型自由

全てにおいて環境がモダンになりましたね。

何より、ネイティブ開発はUIからユーザに近いところで作業できるので、開発していてすごく楽しいです。

実際に、普段利用しているような有名なアプリの開発にも携われますし、リリース後にユーザからフィードバックや評価がいただけるのも嬉しいです。

そして、その後は実務経験を積みつつ単価を上げながら、2023年の3月にフルリモートで月80万円の案件に参画することができました。

案件の切れ目や月の作業時間を調整するなどして、柔軟に自由に休みも取れるようになり、憧れていた海外旅も実現させることができました。

2ヶ月間一人でヨーロッパに行き、オランダ・スペイン・フランス・スイス・ドイツ・フィンランド… など約10カ国旅して、念願だったエジプトにも行くことができました。タイにも5回ほど行きましたね。

また、2~3週間の休暇を取り、アルゼンチンのブエノスアイレスに。
そこからさらに「世界最南端の街」ウシュアイアを訪れ、2週間の南極クルーズにも参加してきました。

クルーズ代は約200万かかりましたが、フリーランスとして独立したことで金銭面にも余裕ができ、やりたいことにお金が使えるようになりました。

最初は「プログラミングで年収1,000万円」なんて胡散臭いって思っていましたが、何一つ怪しいことしなくても、正しい方向性で継続し続ければ全然達成可能なんだと知ることができました。

エンジニアの道を選択し、諦めずに続けてきて本当によかったなと今でも実感しています。

伝えたいこと


具体的なテクニックや困難の乗り越え方について、何も書けておらずすみません。

この記事を書きながら気づいたのは、小手先のテクニックや効率的な勉強法は正直ないなと。

(人それぞれ最適な方法は変わるのもありますが)

やはり「なぜエンジニアになりたいのか」という動機と、具体的な目標・期限を明確に設定することがすべてだと思います。

あとは、目標達成のために制限なく時間を使うだけ。

「平日30分の勉強」「毎日5分でも継続」…. 僕はそういうの嫌いです。モチベーションとかも嫌いです。

そんな方法論ばかり考えて、本質を見失っている人が多い気がします。

エンジニアを目指す人の9割が途中で諦めるという話は、実体験としても納得できます。

「なんとなくやってみた」「良さそうだから」
こういう人は、気づいたらいなくなってます。

僕みたいに学歴もなく頭が良くない人は、量をこなすしかない。その上で質が生まれます。

もちろん、辞めたいと思ったことも何度かありましたが、自分が実現したい状態がどれだけ魅力的か、それを考え続けました。

例えば「1週間ランニング継続したら1億円もらえる」としたら、どんなに苦しくてもやりますよね。

それくらい「絶対やった方が良いよね?」って自分で素直に思えるくらいマインドを傾けること。

要は、どれだけの熱量と覚悟を持っているか。

達成したいなら、空き時間は全てそれに使った方が良いに決まってます。

「誰でもできることを誰もやらないレベルでやる」

何一つ難しいことはなくて、動機づけの部分を明確にして、誰よりも強く踏み込んで、時間を投資すれば早期に結果は出ると思います。

他の人の成功体験にはうんざり

少し、話は変わりますが。

僕は「成功者の体験談」みたいなものには、少しうんざりしています。メディアや本を見ても、自己啓発っぽいものに溢れてる。

誰かの成功体験や過去の経験が、勝手に教訓として一般化され、そのメッセージにうんざりしている人も多いと思います。

人それぞれ置かれている状況も、目指すものも違う。

実際、僕の経験だってただの一例。

その中で得た教訓も偏りがあり、誰かの参考になれば嬉しいけど、全ての人に当てはまるわけじゃない。

だから「頑張れ」なんて言葉は使いたくない。

むしろ「似たもの同士一緒に歩んでいこう」という気持ちで書きました。

大切なのはメッセージを聞くことではなく、とりあえず無理やりにでも足を踏み出し続けること。

って考えると、今感じている苦しみは、その一歩を踏み出しているからだと思います。

エンジニアとして日々しんどい思いをしているのも、何かやりたいことや達成したいことがあって一歩を踏み出した結果です。

前に進んでいるから躓くこともあるし、日々辛いことに向き合ってるからこそ逃げ出したくもなります。

その事実に気づくだけでも勇気をもらえる。

もし本気で向き合ってダメなら素直に辞めて良いと思います。全力でやってみて無理だったら、後悔なくスッキリ次に進めると思いますしね。

辞めることが悪いなんてこと一切ないので。

ただ、それ以上に何か実現したいものがあるなら、もう一度原点を明確にしてやっていきましょう。

最後に


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

点と点が繋がる瞬間は、必ず来ます。

僕も2〜3年目のタイミングで「なんか分かる!」みたいに感じた瞬間がありました。

実は、僕の周りでも地元の友人や彼女が異業種からエンジニアに転職したり、兄は料理人からエンジニアに転職し去年の4月にはフリーランス独立して、今ではバリバリJavaのエンジニアとして働いています。

エンジニアで軸足を作れると本当に強いなと実感していますし、何より生きやすくなります。

エンジニアという選択が、人生をより豊かにするきっかけになりますように。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

皆さん、素敵なエンジニアライフを!


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