【ネタバレしかない】君たちはどう生きるかを見て徒然
君たちはどう生きるかを見て、勢いで2万字弱書きなぐってたので、
どこかに出力場所が欲しくなりここへたどり着きました。
お恥ずかしながら初投稿です。
正直この時間(午前4時半過ぎ)なので、推敲なんてする元気出ず、
書きなぐったそのままの状態で投下します。
誤字だらけ、敬語断定入り交じりの駄文乱文だと思いますので、
申し訳ないですが許してください。
さすがにこの時間に全部直すのは嫌だし、
この熱の状態で投稿したいんですm(__)m
鉄は熱いうちに打て!!!
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以下、ネタバレばかりなので、未視聴の方は見てからをお勧めします。
個人的にほぼネタバレ踏まずに見に行けて最高だったので、
踏んでいないのであれば是非に……
見に行ってないし、あんましネタバレ踏んでないけど、
視聴を迷ってこの記事にたどり着いてくださった方へ
今回は宮崎駿氏から食材をたくさん与えられています。
お任せ調理です。
レシピブックは駿語で書いたよ。
どんな料理になるかは見てくださった皆さん次第。
そんな感じの作品です。
ワールドトリガーでExcel叩いているタイプの方、おすすめです。
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ネタバレ防止の空白です。
戻っていただけるなら今です。
まず、映画を見終わって一番に感じたことは、
「一つの時代が終焉し、新しい時代が始まり、
自由に羽ばたく時が来た。さあ、君たちはどう生きる?」
という投げかけ(問いかけ)を感じた。
最後、塔が崩れて眞人と夏子(とキリコおばあちゃん)が
現代に戻ってくるシーン、
あれが丸ごとタイトル回収シーンなのだと、そう感じた。
また、友人氏との感想戦と、
紹介してもらった感想ブログ(賛否両論)を見て、
色々感じたことや考えが深まったことなどがあり、
ツイッターにネタバレを垂れ流すのも忍びなく、
この度徒然書きとして、筆を執る(もとい、PCを起動する)こととなった。
ここから先は、記憶のある限りシーンごと
順番に思ったこと等記載しようと思う。
まだ1回しか見てないので、
実際の映画と相違があるかもしれないが、ご了承ください。
-戦時中の病院の火事のシーン
映画はけたたましいサイレンとともに始まり、
素直に火垂るの墓を想像した。
正直「え、ここで戦時ものやるの?? マ???」と思った。
(火垂るの墓苦手で、あまり視聴できていないため)
ただ、空襲警報ではなく普通に火災警報だった。
いや普通でもないのだけれど。
このシーンで印象的だったのは、以下2点
1. 子供扱いされて置いて行かれる眞人
2. 眞人の一人称視点で描かれる顔も表情も曖昧な群衆
1については、後々より印象的に思うようになった。
というのも、眞人の成長が話の軸として描かれていると考えた時に、
「個人として何もさせてはくれない子供」の状態が
ここから描かれているのかな~と。
危機にいち早く気づき(真っ先に起こされてもいる)、
現状を把握し、対応する大人と、
バタバタしている騒がしさで目を覚まし、大人の後をついて状況を理解し、
寝巻から着替えもせずに家を飛び出し、
いったん戻って着替えてから再度出ていく、
実母の危機にもかかわらず「家にいなさい」と
危険から遠ざけさせられる点など、
「人」というより分別のついていない「子供」として
あまりにも自然に描かれているなぁと。
実際、ここで特別感のない普通の子供だなぁという印象を受けたし、
感情移入もしやすかったと思っている。
ここが君たちはどう生きるかにおいての主人公のスタートラインになる。
2については、最初のシーンの中で最も印象的だった。
というのも今までなかったような映像表現を採用されており、
危機的状況に脇目も振らずに疾走する状況の、
切羽詰まった息苦しさや、眞人の不安、心配、
それを視聴者に体験として感じさせるに十分以上の躍動感があったと思う。
見るアトラクションといっても過言ではないレベルの躍動感で、
これぞスタジオジブリの真価と言わんばかりだった。
また、周りの人間の顔がはっきり描写されていないところについて、
勿論、そんなの見ている余裕もないというのが第一だとは思うのだが、
眞人はまだ周りを見る(逆に周りの視線を気にして周りを見るを含め)
余裕がないほどに幼いということを示している
と言えなくもないようにも感じた。
(これは深読みすぎかなぁとも思うが、周りの視線が気にならないって
素直に子供の方が大人より圧倒的に気にならないと思うので)
そのため、この病院大火災シーンは主人公眞人の心に
大きな傷をつけるとともに、
眞人がまだ十分に幼い子供で、
非常に危うい存在であることを示しているシーンだと
個人的には感じた。
また、宮崎駿氏の年齢を考えるに、
自分の幼少期が最後の戦争と重なっているため、
自分が戦後の何もない世界をどのように生き抜いてきたか、
それを暗に語っていく上で前置きとなる世界の準備としても
重要であると考えている。
この最初のシーンにおける眞人側と宮崎駿氏側での共通点は、
「ただただ現実はこうだったのだ」というところではないかと感じている。
-叔母が継母になり、新しい環境に適応できない眞人
火災から一気に4年の時が過ぎ、眞人は父とともに田舎に疎開する。
待ち受けていたのは母そっくりで、母親面をし、
父との間の子がおなかにいるという叔母。
「まだ十何歳の子供と思しき眞人には、キッツ過ぎる現実じゃん」
が一番最初に来た。
しかも描かれ方がえぐい。
人力車に乗り、日傘をさして優雅に現れた、母にそっくりで、
夫の子を身ごもり、夫と暮らせる未来に希望を見る幸せそうな女性。
電車に揺られ、重い荷物を持ち、生まれたころ以来来たことがない田舎に、
父に言われるがまま連れてこられた、母を亡くして数年の、
まだ希望なんて考えられないような悲しみの中にいる子供。
ここでもうえぐい。
その真反対の感情ともいえる二人をおいて、仕事に行く父。
「いや置いていくんか」
おいていかないでとか言わない眞人、素直にえらいと思います。
この時点でも大分えぐいが、まだまだ終わらない。
継母は、身ごもった子供がいることを、直接腹を触らせて知らせる。
不気味に広い、薄暗い屋敷
(屋敷の外観は日本らしいが、
中身は洋風もあるなど、昔っぽいが落ち着かない)
父の鞄に群がる老婆
(父が精悍な顔つきの男性なのもあり、
金銭的にだけでなく、性的にもかなりいやらしく描かれている)
家の隅に追いやられている老爺(主人公と同性)
父の土産をありがたがりまじまじと眺める老婆(金銭的ないやらしさ)
寝ている眞人の部屋に勝手に入ってお茶とお菓子を置いていく継母
部屋を出て庭を探検しているだけで心配されて探される状況
(心配なのもわかるが過保護で、軟禁や束縛を感じる)
行ってはいけない場所やその話を秘密にされていた疎外感
行ってはいけない場所がある不自由さ
常にアオサギに粘着ストーカー・監視状態の窮屈さ
父が家にいないさみしさ、不安感
夜に帰ってきた父は継母と仲睦まじくすることによる嫉妬
そのシーンを見てしまった罪悪感
いや、家に居場所なくね??????
これが、家や庭の薄暗さや、再度の低い色使いで描かれており、
見ていて非常に息苦しい。
胸が窮屈で、息をしたくないし、目を背けたいとすら思った。
(ガン見してたけど)
まあそれなら、学校に居場所を作ればいいのでは、となるかもしれないが、
そもそも母の死にまだ気持ちの整理がついていない状態の眞人。
お友達を作ろうなんて思える状態じゃないし、
今いる人と関わるのでさえ精一杯である。
ただ、父はそんな事全く考えてくれない。
学校関連のえぐいエピソードだが、
登校初日は父が車で送る
当然噂になってHRで笑われている描写
奉仕活動は未参加
同級生からは奇異の目で見られるし、もちろん喧嘩に発展
友達なんてできるはずもない。
家にも学校にも居場所がない眞人は、
自傷行為(大きめの石を頭にぶつける)を行う。
びっくりするほどの出血だった(表現で大げさになってるとは思うが)
継母や老婆が治療をするも間に合わず結局医者を呼ぶ。
父もここまで来るとあわてて帰ってくるし、
犯人探し(学校への寄付付き)を行う。
ここで眞人は自分で傷をつけたことを告白しなかったため、
最後に罪を告白する重要シーン来るなと思ったので、
しっかり身構えました(報告)。
この自傷行為について、鬱屈がたまった結果でもあるし、
学校の同級生への当てつけもあるし、父や継母への反抗でもあるし、
自分を見てほしいという甘えでもあったと認識している。
眞人の成長段階としては
ここで反抗期であることを示されているのではないかと考えた。
火災時の右も左もわからぬ子供から、1段階成長した状態を感じる。
またお屋敷での日常パートだが、継母夏子や老婆・老爺は眞人を受け入れ、
かわりばんこに夜そばにいたり、
アオサギに連れていかれそうになる眞人を弓矢で留めたりなど、
眞人が心を開いてくれるのを待つ体制にあることが分かるが、
それさえも眞人の心を無理やりこじ開けて入っていこうとするような
生々しい気持ち悪さもあるように描かれているのがいやらしい。
眞人のプライベートはどこ?????
当然眞人は心なんて開けないし、
再三老婆に言われてやっと夏子の見舞いに行くが、
一言だけ言って退室。
ここでもいやらしすぎるのが、眞人の顔をなでる夏子は左手。
薬指の結婚指輪が気落暉らきれいに描かれていて、
「いや、世界中の数多の作品で一番えぐい結婚指輪の描き方じゃん」
と思った。
眞人は眞人で、この環境にストレスがたまるので度々物を盗む。
たばこや米や、木刀も勝手に持ち出して壊して(壊されて)いる。
自傷行為に盗みなど、現代の非行少年少女と違わぬだろう様子に
いやらしい生々しさを感じた。
見たくないとまで思うくらいの生々しさ。
「いやマジでジブリ見に来たんだっけ?????
作画だけジブリ?????」
まあまだ掘り下げればいろいろあるのですが、
一旦止めないと先に進めなさそうなので、
あとで戻ることも考えつつ進みます。
-眞人、圧倒的成長。母は偉大。
そんな非行少年(言い過ぎたかもしれん)眞人君。
アオサギ殺害計画に用いる弓矢を作成中
(何気にアオサギの羽を矢羽根にしているのもえぐいな)
に、母が「大人になった眞人君へ(文章記憶曖昧)」
と書き残した本を見つけ読みふける。
母の愛に飢えていた眞人はかじりつくように時間を忘れて読み、涙を流す。
一番求めていた自分へ寄り添う存在を見つけ、
やっと母の死から一歩先に進むことになる。
ここで恐らく反抗期脱出。
窓の外から聞こえる老婆たちの声で、夏子が行方不明であることを知り、
最後の目撃が自分であることを考え、
アオサギ殺害のために作った弓矢をもって暗く深い森の中へ進んでいく。
森に入る際にキリコおばあちゃんと一緒なわけだが、
「え、もしかしてヒロイン枠?????」と思わずにはいられなかった。
どっちかというと師匠、人生の先輩という感じだったけれど。
また、この森に入るシーンから塔に入って母に触れるまでのシーンで、
キリコおばあちゃんはキリコおばあちゃんでもあり、
眞人の理性でもあったように思う。
危ない、怖い、罠だ、そう告げる理性を
母から授かった「勇気」で乗り越えていくシーン。
そうとらえるとがっつり少年漫画的で、ジブリ的で、
視聴者に寄り添う主人公から、
視聴者の手が届かない主人公への転換期を感じる。
ソファに横たわる母に触れると母が液状化して消えてしまうシーン。
現実はそんなに甘くないことを顕著に伝えているようで、
それが現実から一歩踏み込んだだけの塔の世界で行われている事実がもう。
この母が偽物の件、主人公の成長が偽物ではないことを
証明するためのシーンになっていると思っている。
眞人が母からもらったものは確かに眞人に根付き、勇気となり、
再び母を失うという悲しみを経験しても消えることがない
ということを示すためのシーンだったのかなぁと。
いくらでも書くことがあって本当にすまないのだが、次は弓矢について。
夏子が使っていた弓矢に比べ、眞人は自作の弓矢。
熟練しているだろう夏子と、初心者である眞人。
眞人の未熟さを表す道具であるのもそうだと思うのだが、もう一つ。
矢が1本しかない件。
眞人の弓矢の矢が1本しかないのは、
大きなことをなすチャンスは1度だけ
ということを示しているのではなかろうか。
弓矢を使うのは命を奪う大きなことをなす場合。
でもそのチャンスは1本分しか与えられていない。
その1回を当てられないといけない緊張感はもちろんだが、
のちに弓矢が壊れても先に進んでいく眞人と、
大きなことをなせなかった(命は奪えなかった)状態でも、
後に影響はあり、
まわりまわってアオサギとの絆を深めることに繋がってることもあり、
決して無駄な挑戦はないことを示している気もする。
(これも深読みすぎかもしれないが)
-本格的に冒険ファンタジーが開幕
さて、いよいよ現世ではない場所と時間が交錯する大叔父のいる世界へ。
この大叔父の世界について、
空から降ってきた大きな隕石の中にある
大叔父が周りを建物で覆って保護し塔にした
大叔父が連れてきたインコが繫栄している
大叔父が外の世界のバランスを調整している
外の世界に生まれ出るわらわらさんがいる
死後でもあるし生前でもあるし、生きているものはあまりいない
色々な時間への扉がある
など、盛りだくさんな設定で噛み砕け切れずにいるところではあるのだが、
大叔父が作ったというよりは、
大叔父が体裁を保っている状態かなぁと思ったので、
どちらでもない「大叔父のいる世界」としていければと思います。
眞人は現世からこの世界に落とされてやってくるわけですが、
空から落ちて冒険が始まる、
ラピュタのシータみたいだなぁと少し思いました。
飛行石もパズーもいないし、そもそもヒロインではないけれど。
眞人は海に落ちるわけですが、
海から陸に上がって
「ワレヲ學ブモノハ死ス(文言あってる???)」の門。
え、なに??? 進化論ですか???
母なる海から地上に上がり、日本の足で大地を歩き、
自由になった手で工夫し学び、
食物連鎖の頂点に立った人類のこと言ってます???
(深読み)
そういえば究極に頭がいい人とか、自殺したりしてますよね。
ふーん。
無知であることを知ること(無知の知)もまた学びだしね。
哲学?????
さて、眞人はこの門を大量のペリカンに押しつぶされながら
無理やり開けさせられるわけですが
ペリカンは「自己犠牲・敬虔さ」の象徴らしいんですね。
(敬虔:深い尊敬や愛)
「いや、自己犠牲と真逆やんけ……」
このペリカンくんたち、現世に生まれるために飛び立つわらわらさんを
餌の魚があまりいないのを理由にたくさん食べちゃったりもするので、
自己犠牲もなく、尊敬や愛などとは程遠い、
一般に言われる象徴としてのペリカンとは大きく乖離した、
いびつな存在なわけで。
大叔父のいる、大叔父が体裁を整えた世界がいかにいびつで、
自然ではない世界なのかを象徴しているところや不気味さ、不安定さを
地味に最初から表しているんだなぁと、
後々考えながら思わされた次第です。
んで、ペリカンに無理やり押し開けられた扉、
あれは知性の象徴ではないかと。
人が知性を手に入れられたのも二足歩行になって、
手を使えるようになって、
脳が発達したといわれています。
偶然によって開いた知性の門なわけで、
何か全く別の原因によって起こってしまった事象ということなのかなぁと。
また、知性の門を開いた先にあるのが死の象徴「墓」。
死を認識していて、恐れ、敬い、想像できるのはヒトだけですよね。
え、なに????? 映画うますぎん?????(ど失礼)
思い返しながら書いてて怖くなりました。
また、ここ、黄泉の国のイザナミイザナギの神話
(あとギリシャ神話のオルフェウスの話)もオマージュされているのは
考察あさりまくっている皆様であれば周知の事実かと思いますが、
イザナミイザナギ神話(オルフェウスの話)
とは逆のところがあるなというのが、
引っかかってました。
イザナミはイザナギに醜い姿を見せたくないがために、
「後ろ(黄泉の国)を振り返らないで」といったイザナミ。
「現世に着くまで後ろ(冥界)を歩く妻を振り返るな」
と言われたオルフェウス。
お墓から十分に離れるまで後ろを振り返ってはいけないとされた、眞人。
似ているのですが、見ている場所が逆で
イザナギとオルフェウスは死の世界を見てはいけないとされ、
眞人は死の象徴である墓から目を離すことを許されなかった。
勿論、眞人の後ろの海もあの世だし、あの墓は産屋でもあったので、
完全に逆とは言い切れないとは思っているのですが、
イザナギとオルフェウスが死から目を背けさせられ、
生に目を向けさせられていたのに対し、
眞人は死(母の死)からも生(義理の弟妹の誕生)からも目を背けることを
許されていなかったと感じました。
また、いったん離れて最後の方で、
あの産屋であり墓に眞人は戻っていくわけだけれど、
一旦離れて(知性を一旦手放して)、この生が生まれ死が住む世界で
生と死と生き汚い鳥を見て学んだあとに、
再び生と死に向かい合う構図になっていると思うと、
やはり映画うますぎるのでは?????(深読みか?????)
眞人を墓場から連れ出したのは、
キリコおばあちゃん(若かりし頃の姿)であったが、
この大叔父のいる世界でのキリコおばあちゃんは
「経験」の象徴として描かれているのではないかと思っています。
ヨット操船のシーンと魚をさばくシーンが顕著だと思うのですが、
てきぱき帆を張って、出航し、足でオールを操り、
内臓をはみ出させずに魚をさばくキリコに対し、
出航時に船を押せと言われて押しながらおぼれかけ、
手で一生懸命オールを使い、
魚をさばいたら内臓を飛び出させ、吹き出す血を浴びる眞人。
眞人にはまだ経験が足りず、
子供であることを単純ですが示しているかなぁと。
また、知性の門を開けた後のこれから学び何かを得ていく
未熟な状態でもあると。
宮崎駿氏は「映画は1度見ればいい、あとは外で遊んでほしい」と
発現されていたと伝え聞きましたし、
実際に身体を動かして得た経験からの学びが重要であることを
伝えたいシーンなのかなと思っています。
また、キリコが教えすぎていないことも重要だなと個人的には感じました。
失敗(内臓ドロ~)も怒るのではなく、大事だぞ~的な感じで、
大人は教えるよりも寄り添ってくれるのが大事なのではないかと。
おばあちゃんたちのお人形も、
眞人のそばに寄り添っておかれているわけですしおすし。
さて次。
眞人は、キリコの住む船のデッキでわらわらさんが飛び立つのを見て、
新しく生まれる命の尊さと、あっさり命が奪われる残酷さと、
生まれる命を増やすために(ある種、最大多数の最大幸福をとって)
命を奪う正義と
それに対して残酷に感じる自分と受け入れるキリコと、
倫理観の経験の滝行みたいな状況に陥るわけですが。
ここで眞人は新しく生まれる義弟を受け入れる
準備をしているのもそうだし、
自分が命に対してどう感じるかを言語化出来て
人として成長したシーンでもあると思います。
ここで子供のままだったら、
翼の折れたペリカンを埋めてあげることはなかったと思うし。
また、わらわらさんがペリカンに食べられるシーンですが、
これは戦争のオマージュでもありそうだなと思っています。
ペリカンが戦闘機で、わらわらさんは罪のない一般人で、
無慈悲な暴力にさらされる。
敗戦国は食い物にされる。
いや皮肉~~~~。
さすがに深読みかとも思うわけですが、
この映画の時間軸第2次世界大戦だし、
日本は本土攻撃に合いまくってて、
一般人が沢山亡くなっているわけなので、
あながちなくもない説ではないかなと、個人的には思います。
眞人は戦火を逃れて疎開している、
命を奪われない状況から命が奪われる様子を見ている
というのも共通ですしね。
大叔父さん、この世界本当に理想か?????
とりあえず進みましょう、終わらないんで。
さてとうとうアオサギと冒険を共にするところまで来ました。
正直私はここまでの視聴でだいぶ脳のリソースを食われているので、
うろ覚え度上がりますが頑張ります。
-アオサギとの冒険
まずアオサギについてですが、これは解釈が分かれるところと思います。
私は最初、この世界の案内人であるところから、
視聴者にとってのアオサギは宮崎駿氏ではないかと思いましたし、
その側面も捨てきれないとは思っています。
が、眞人の悪意を形にしたものと考えている方もいらっしゃって、
それも確かに~~~~~と思った次第です。
あと宮崎駿氏に対しての鈴木敏夫氏に当たるという見解など、
アオサギは非常に多角的にとらえることができるキャラクターだ
と感じています。
ここは徒然書きですし、答えを求めているわけではないので、
思った事そのまま書いていくのでブレブレかもですがお許しください。
正直、イケ鳥じゃなくて本当によかった
(鳥好きワイ、わんちゃん惚れてたので)。
閑話休題。
さて、眞人と対称的な意見しか述べないアオサギですが、
キリコに眞人とアオサギで一緒に冒険に行けと言われ、
二人で夏子を探す旅に出ます。
最初は言い合いばかりの眞人とアオサギですが、
眞人が矢で開けたアオサギのくちばしの穴を
一緒に話しながらふさぐことで、
二人は協力し合う仲
(まだ認めてはいませんがほぼ友達といって相違ない)になります。
ここは、あくまで個人の見解ですが、
子供が友達を作るときみたいだなと思いました。
喧嘩をしたり、気が合わないと思ったりした子でも、
同じことを一緒にすると、
思ったより話せたり、協力して物事をこなせたり、
その果てに友達になれたりする。
学校などで「みんな仲良くしましょう」という先生の文言よりも
「一緒に何かすればきっと仲良くなれるかもしれないよ、
気が合わなくてもね」
と見せてくれている眞人とアオサギによる、
宮崎駿氏の言の方がよほど響く気がしました。
眞人がナイフで木を削り、
それを至近距離で覗き込みながら口出しするアオサギ
一緒に遊んでる子供同士みたいに見えました。
片方おっさん鳥なのに。
年齢もなんなら種族も、
お友達になるのには関係ないってことでもあるのかね。
多様性ってこれでは?????
(深読みすぎるn回目)
そしてここで仲を深めたことにより、
アオサギおとり作戦が発案・実行されるわけです。
昨日の敵は今日の仲間(とも)、少年漫画の王道ど真ん中ですよね。
皆様もきっと、味方になった敵キャラ思い浮かびますよね。
ジブリ作品だとドーラ一家とか顕著な気がしますが
(ラピュタ好きなので)。
-インコ登場
さて、とうとうやってきました、インコ
いやぁ、めちゃくちゃいいなぁと思ったインコのメタファー
すごい好きです。
めちゃくちゃ不気味できしょくてえぐい。
そこがいい。
インコまとめみたいになってるのでここに書くかなと思うんですが、
大叔父という人間がとりつくろって必死に守ってた世界を破壊したのが
大叔父がもたらしたインコの存在なの、
非常にいい皮肉ですよね。
あの世界における知恵のみを食べたアダムでイヴは
知恵者といわれた大叔父で、
アダムとイヴを始まりに発展した人類と、
大叔父を始まりに発展したインコ。
大叔父のいる世界はインコが崩壊させたけど、
人類はこの世界を今後崩壊させるということなのかな?
環境問題???
あの時間軸なら人類の戦争により世界が崩壊した
と取る方が普通だとは思いますので、個人的にも環境よりこっちですね。
さて、夏子に会うにはインコの家(集落位いたけど)
を通らないといけない。
あのだまし討ち、弱いものを食らう精神、もう完全に人ですよね。
生きているものは少ししかいないとキリコに言われているのに、
大繁殖しているインコ。
国持ってるしね。
やー、もう、どっからどう見ても人だなぁと。
あのインコに家に連れ込まれて食べられそうになり、
異能を持つ母親にシーンですが、
日本昔話でよくあるシーンですよね。
人ではないものに主人公が食われそうになり、不思議な力で助かる。
日本昔話のアニメで見た記憶がぼんやり~と。
注文の多い料理店とかもそうですよね。
知恵がない状態だと食い物にされるというところでもあるのでしょうか。
まだまだ眞人は成長できるよっていうところですね。
ペリカンのわらわらさん食べ食べの件もそうですが、
眞人の成長には必ず命のやり取りの残酷さや、悪意がある気がします。
悪意をよしとしていない世界を目指して悪意で成長する主人公。
う~~~~~~~ん、皮肉!
でも人は失敗やうまくいかないところから考え、
学ぶところが多いですよね。
失敗やうまくいかない状況って、自分が楽をしようとしたり手を抜いたり、
何かこう、頑張らないでいた時に起こっている気がするんです。
他人の悪意もそうですけど、
自分のそういう思いもひょっとすると悪意と同じになり得るのかなと。
眞人の自傷行為も「楽に自分に目を向けさせたかった悪意」
が含まれていると思いますし。
また、他人の悪意に無知でいるのは愚かだ、という思いも感じられます。
インコはどこを見ているのかわからない不気味な瞳で、
ばれるだろ見たいなあからさまなテーブルと、
身体の後ろに包丁を隠している状態。
知ってれば想像できるようなこと、
危機感があれば気づけるかもしれないこと。
でも眞人はインコが善だと信じてのこのこ家に入ってピンチになる。
描写も俯瞰的で、眞人があほっぽく見えるように描かれている気がします。
学びなさい、賢くありなさい、食い物にされますよ、
ということも言いたいのですかね?
あんまり説教臭さを感じないといってる方もいましたが、
説教臭さをうまく隠してるだけで言いたいこと言いまくってませんかね。
母に助けられた眞人は、母と穏やかな時間を過ごします。
ここですごい美味しそうなご飯を食べて、
眞人は現実にいた時に見たことのない穏やかな表情をします。
母の偉大さのようなところもあるとは思いますが、
やっと安心できる場所にたどり着いた、それは実母の下だった、
それでも眞人は進むために夏子を探し続けるということで、
眞人がまた一回り成長しているところが見られて個人的にはえもいなぁと。
母に現実への戻り方も示され、父にも会い、呼び止められるも、
それでも夏子を探しに行くというところで、
やはり成長し、覚悟を決めた眞人は頼もしく、
主人公として一皮むけた感が最高ですね。
ここで、眞人を助けに来る父ですが、刀とチョコを携えている幼稚さや、
インコに糞をかけられまくるなどしてるのですが、
めちゃめちゃ皮肉ですよね(歓喜)
会社経営をしている(と思われる)父が
幼稚でくそまみれであることを
描写でがっつり伝えているし、
恐らく父は社会や大人の象徴として描かれていると思うのですが、
社会も大人も思っているよりも幼稚だし、
あまりいいものではないよというところでしょうか?
また、インコの糞について、後ほど夏子や眞人にもかけられるのですが、
かかっている糞の量が、父>夏子>眞人な気がしています。
糞は悪意や罪の現れな気もしているので、
社会や大人の象徴である父は、悪意や罪で汚れているのだと思いました。
そして、大叔父のいる世界で夏子を探すことを選択する眞人ですが、
インコに取り囲まれていたので、当然捕まってしまうわけです。
気を失った精神世界で大叔父に会います。
ここで、この世界がどうとりつくろわれ、
現実に影響が出ているところが示されているのですが、
ここもまた皮肉ですね。
年を取った知恵者が悪意のない理想郷を作り上げるために、
汗水たらして苦しんでいるが、
結果出来ているのはいびつでバランスの悪い1日であると。
そして、その年を取った知恵者の主観により考えられた悪意のない理想郷を
次世代である若者の眞人に託そうとしているという。
いやぁ、情報量多すぎなんですよ。
ありがとうございます画面内のもの少なくしてくださって。
政治にまで踏み込んだ話をしてしまうと戦争になるので
ここでは触れませんが、
大人が良しとしたものを子供に押し付けているのは、
誰しもが無意識に行っていて、
それに子供は苦しめられるところがあると思ってます。
私は幸いそういう経験は多くはないのですが、
例えば宿題しなさいとか、塾に通いなさいとか、中学受験しなさいとか、
大人が子供のためにと思って決めて良しとしていても、
子供はそれを望んでいないというところがあるのではないかと思います。
眞人も微妙な態度で、目を背けるように目を覚まします。
まあ現実はインコに食べられそうなので、それはそれで大変なのですが。
大人に見せられる将来から目を背けても、残酷な現実があるよっていう。
確実に死(期限)が迫っている状況を見せられる。
いや絶望では?????
でもその絶望から助けてくれるのは友達なわけです。
アオサギが危険を冒して助けに来てくれ、一緒に逃れるわけです。
苦労を分け合え、狭い世界から連れ出し、
視野を広げてくれる友人を外に作る大切さを改めて感じました。
この感想を書くきっかけも、友人が感想戦に何時間も付き合ってくれて、
他の人のド解釈感想文を見せてくれたからなので、友人様様ですね。
と、ここで産屋の話を飛ばしてしまっていたので、
思い出して追記しています。
あそこ大分印象的だったのに飛ばすなって感じですね。
すみません。
産屋ですが、たくさんの布で囲まれて見えない状態になっています。
そして母は入りたがっていません。
なんとなくですが、出産は神秘的でもあり、性的でもあるため、
子供からは見えないように隠されている印象がありますので、
それを表しているところもあるのではないかと思います。
もっとも、一番に表しているのは夏子の拒絶心だと思います。
義理の息子は夏子が受け入れ態勢でも心を開いてくれず、
つわりはひどいのに夫はそばにいてくれず、帰宅は夜中。
思い描いていた幸せな生活とはかけ離れていたのではないでしょうか。
そりゃ心を閉ざして拒絶ってなるのもわかるし、
どこかに行ってしまいたくなって塔の中に入ってしまったのも頷ける……。
ここで、もう一つ拒絶を表しているのが白い紙で
顔がおおわれるところですね。
目を隠すように剥いでも剥いでもへばりついてきます。
夏子の眞人に見られたくないという思いが白い紙になったのかなぁと。
白い紙なのがまた、悪意ではない、
本心から見られたくない思いの表れかなぁとも思いました。
言動は悪意のある言動なので、怪しいところではあると思うのですが。
ただ、眞人は成長し、夏子を義母として受け入れる用意ができたので、
夏子義母さんと呼び掛けて、夏子も眞人さんと名前を呼び返します。
まあここで一緒にはいられないのですが、
眞人が成長して新しい世界、新しい環境へ適応するにあたって
最も大きなハードルをクリアしたところとして、非常によかったです。
また、産屋の中で夏子の息子になるというのが映画うますぎるなと。
あの産屋は夏子の産屋なので、
夏子の子宮の中ともらえられる場所かと思います。
そんな場所で夏子を義理であっても「母」と呼ぶ。
名実ともに親子になったシーンとして良すぎますね。
さらに、自分にできる弟か妹を受け入れたシーンでもあり、
受け入れられたのは、
これまで生死から目を離さず見てきた経験からですよね。
経験から成長するところを描いているところでもあるのかなぁ、
等と思ったりしました。
いや、情報量よ。
さて、インコの調理場から無事に逃げ出した眞人とアオサギ。
鳥よけの針がいっぱいついている梁をこそこそと歩いていきます。
ここの皮肉大好きなのですが、
鳥に群れてほしくなくて付けている鳥よけですが、
その下の道にインコが群れている状況です。
ここは正直どこまで何を言いたいのかは
はっきり理解できていないのですが、
的を射ていないことが世の中にいっぱいあることもあるし、
的を射ていないところで騒がれ持ち上げられる状況がある
というところでしょうか。
噛み砕き切れていないので、もやもやっとはしていますが、
なんか表現が大好きですね。
眞人とアオサギの下の大通りで、ガラスの棺に入れられた母が
晒し者のような状態になりながら大衆の中を
王に先導されながら運ばれていくシーンです。
SNSの炎上か???
弱者がやり玉に挙げられて、さらされている状況か???
それも意図なく集められた群衆によって。
鳥よけが効かなかったから???(こういうことか???)
衆目に晒される母は眠っているため、反論もできず横たわり、
運ばれるだけです。
世論誘導?????
塔の中で王が
ここから先は限られたメンバーだけで登っていくことを伝えますが、
それは大叔父と波風立てずに交渉を行うためで、
戦争を起こさないように、
群衆が考える意向を薄めてマイルドにしたものを大叔父に伝えるため。
政治??? これ政治では?????
大衆は真実を知らされず、結果を受け止めるしかない状況では。
また、その交渉自体に待ったをかける存在が眞人とアオサギですが、
王に続く階段と通路を切り捨てられ、徹底的に近づけない状態にされます。
少数の意見は切り捨て、無視される。
まさに多数決。
でもここで眞人はその状況をあきらめ受け入れるのではなく、
自分の意志を持ち続け、進み続けるところ、最高ですね。
多数の意見に流されて自己を殺して生きている多くの人に対しての
問題提起とも取れるのではないかと思いました。
成長前の、親や老婆たちに口答えをせず黙りこくっていた眞人だったら、
この決断はできなかったのではないでしょうか。
視聴者に憧れられる主人公としての要素が
備えられていっている気がします。
王と大叔父の対談はまんま政治ですよね。
対価を示し、双方に負担がないようにほどほどに薄めた意見を伝えて、
結局現状が大きく変わることはない。
この大叔父のいる世界は
宮崎駿氏のこれまでの作品であるという意見も目にしており、
私もそれは大いにあると思っています(オマージュいっぱいで楽しいし)。
ただ、社会の縮図としての側面も持っていて、
それを今までの作品でちょっとずつ伝えていたのだ
というところではないでしょうか。
王と大叔父の対談が終わり、王は部下を先に帰らせ、
大叔父から世界を奪えないか画策してこっそり残ります。
これが後々いい味出してるなぁと思ってます。
一旦置いておきます。
一方、目を覚ました母は大叔父と交渉します。
眞人をもとの世界に戻す交渉です。
子供がどうしようもできない時に親が手を貸す、
という状況に重なって見えました。
以下に成長した眞人(子供)でも、
親の協力があって好きなことができるという。
ここで眞人も合流しますが、大叔父が眞人の意見もしっかり聞いて
決断してくれているところが素晴らしいなと思いました。
子供の意見を聞いて、通すこと、だいぶ難しいのではないでしょうか?
少し飛んだので戻りますね。
結論を出すために大叔父は場所を変えます。
この世界を維持している石の下で、結論を出すことになります。
この大叔父が関わっているところでは石がよく出てきますが、
石は意思や意志と読み替えられるのではないかと思っています。
単純な言葉遊びですが。
まず、はじめに大叔父が調整していた石の積み木。
沢山の意思を積み重ねたバランスの悪い世界を表しているとも取れ、
1日1日を維持するだけで精一杯の様子です。
次に眞人が道中で拾う石。
この石は意志で、眞人が選んで拾って決めたものです。
最後に出てくる悪意のない13個の石。
これは神感想を見て調べて確かめたのですが、
宮崎駿氏が単独で監督を務めた作品が13本あります。
今までは自分の意思(悪意)を出さず、きれいな意思を伝えてきたという。
この3種類の石たちからは色々考えられるので、
これまで以上にまとまりがない文になると思うので、
先に断っておかせてください。
すみません。
まず、大叔父が調整していた石の積み木。
大叔父を宮崎駿氏だと解釈する感想もあるので、断定はしませんが、
大叔父の石の積み木は、自分の中の意思を伝える葛藤と戦って、
バランスをうまく取り繕って作り上げてきたこれまでの映画とも取れるし、
様々な意思に左右され、
理想郷を作り上げるにはバランスが悪すぎる世界とも取れるし、
何か衝撃が加わったら崩壊してしまう戦時中の危うい世界とも取れるし、
正直見る人がどう感じたかとしか思えないです。
個人的には2つ目かなぁという感じでおりますが、
大叔父=宮崎駿氏説を見てから、1番も素敵だなぁと思います。
舞台を考えると3番ありうるなって感じで。
上の方で書いた通りでもあるのですが、
高齢の知恵者の作る主観によるいびつな世界とも取れると思ってます。
本当に、どうとでも取れるので考えてみるとすごい面白いです。
次に2つ目の、眞人が選び取った一つの石です。
これは、母や大叔父の発言を鑑みるに、
特に特別でもない石だと思われます。
ただ、眞人にとっては特別な意思で、意志で、眞人が選び取ったものです。
また、石=作品説になぞらえて解釈する場合は、
今までの宮崎駿氏の作品から切り落とされてきた意思とも取れれば、
隠された意思で拾い上げたものとも取れるし、
むしろ宮崎作品から外れて、もっと別の心に残った作品かもしれないです。
眞人にとっては母からもらった「君たちはどう生きるか」に当たるかもしれないですし。
私にとってはどの作品かな、
人生に影響を与えるような作品や意思に会えたかな、
など考えてしまいます。
最後3つ目ですが、悪意のない13の石は宮崎駿氏が物語として世に送り出した
13本の監督作品とみるのが個人的には一番好きです。
そのあとの眞人の拒絶も、自分で何か意志を得て、
13本の作品にとどまらずに世界に出ていくという
発言と取れるのできれいだなぁと思います。
それ以外では、
大人から見せられるきれいで安全で安泰なものとしての意思、
とも取れるかなぁと思います。
眞人が大人に与えられたものではなく、自分で選び取った意志を貫いていく
決意のシーンとなるので、それはそれでバチバチにかっこいいかと。
これも見る人でいっぱい違いが出るので、
それがめちゃくちゃ素敵だと思います。
また、この13個の石については、
王に適当に組み上げられて崩壊してしまうのですが、
そこが考えれば考えるほどするめで、正直最高です。
13個の石を監督作品ととらえると、その13個にとらわれ、遊び、
外の世界を見ず、世界を手に入れた気になっている王。
いやもう皮肉しかないですよね。
個人的には、
世界を手に入れた気になっている=理解していない
かなと思ってます。
自分で解釈を考えて、こうだって発表しても、
結局その世界から出ず、自分の人生に反映させず、
いいねもらって満足する、みたいな。
また、13の石を世界の構成物としての側面でとらえると、
愚かな王により、考えなしに組み上げられ、
バランスが悪く崩壊してしまったところが、
完全に戦時中の世界と重なって表現されていて最高です。
実際に塔の世界が崩壊した数年後に、
戦争が終わり新しい世界になるわけですので。
やはり塔と現実はリンクして描かれているものでもあるなと。
-ラストシーン、現実へ
夏子とともに大叔父のいる世界から現実世界へ戻ってきます。
ここでインコは糞を垂れるただのインコに戻ります。
そういえば、大叔父のいる世界では、インコが糞をするシーンがなく、
現実に戻った途端、びっくりするほど糞を垂れます。
大叔父のいる世界で
トイレシーンがあるのは眞人だけです(記憶あってれば)。
インコは人のメタファーで、
大叔父のいる世界を宮崎駿氏の物語の世界としても
悪意のない理想の世界と考えても、
どんなに物語の世界や理想の世界はきれいでも、
現実では糞を垂れる(悪意がある)人はきれいなものでも何でもないのだ
というところを伝えているのかと思います。
王だって一羽のインコになっているわけですし。
また、この塔(大叔父のいる世界)が崩壊して、眞人が現実に戻り、
インコとペリカンが現世に飛び立つシーンですが、
最初にも書きましたが、現実と自由を語っているように感じました。
宮崎駿氏は、戦争の時代という塔が崩壊した後、自由な鳥になった後、
こういう風にアニメを書いて生きてきた。
今またこういう風に時代が終わったら(もしくは終わっているが)、
自由に空を飛べるあなたはどう生きますか?
という問いかけに感じました。
その一つの回答が眞人で、
ちっぽけかもしれないが自分で選び取った意志と
経験(キリコおばあちゃんの人形)を
糧に生きていくという様子かなぁと。
また、アオサギとの別れでいずれ忘れてしまうだろうと言っている。
これは大人になるとともに、
子供のころに見ていた物語や夢やイマジナリーフレンドなどは
失われていくということではないかと
そう考えるとアオサギは
眞人のイマジナリーフレンドの具現としてとらえることもできるか。
深っ。
地球儀の歌詞を踏まえると、眞人はずっと覚えているように感じるが、
個人的にはどちらでも良いなぁと思っている。
またアオサギを宮崎駿氏ととらえると、どうせ今自分の作品を見ていても
大人になったら自分の作ったものなんて忘れ去られているだろうし、
それでいいと思っているのではないかと。
ただ、それを見たことによる何らかの影響や意思が
残ってくれたらいいなと、
いつまでもジブリ作品は友達として寄り添っているわけではないと
そう伝えたいのではないかとも思った。
本当の最後の最後は、戦後、
眞人が新しい家族(弟?)とともに東京に帰るというところです。
これは個人的に、東京=現実、疎開先の田舎=非現実
とも取れるのではないかと思います。
私が田舎出身で都内にいるからというのもあるかもしれないですが、
東京は仕事をする現実空間で、
田舎は休みに行く現実だけどどこか非現実をくれる場所
という認識です。
眞人は東京出身ですので、自分の根を下ろす現実は東京で、
田舎は仮住まいの様な非現実的な場所なのではないかと思っています。
勿論、塔から帰った後で変わったかもしれませんが。
しかし、終わりをこのシーンにしたことで、
眞人も現実に帰るよ、あなたも現実に帰りなさい。
眞人は意志を持って現実に帰るよ、
あなたもこのフィクションを通して意志を持てたかね。
眞人はあの意志を大切に現実の中を生きるよ、
あなたは現実の中をどういう石を持って生きていくのかな。
と言われているような気がしました。
うん、説教超絶あると思います。
さて、書きたいことは大体書けた気がしているのですが、
米津さんの作られた主題歌を見つつ、思ったことを徒然に。
1節目
眞人と母の思い出かな
美しい思い出を心にとめている眞人が浮かびました
2節目
夏子とのすれ違いやクラスメイトとの喧嘩、
夏子の優しさやおなかの中の弟妹に触れて喜びではなく
悪意の方が多く感じられてしまって、母が遠のいたように感じたのか?
1つ目のサビ
塔の世界でキリコに背中を押され、夏子を探す
夏子や新しい弟妹や、父老婆たちと、母との様な家族になれるのを夢見る
様々な経験をして、世界の秘密も知ってしまう
それでも世界に夢を見ることをあきらめず、
地球儀を回す時のようにわくわくした気持ちを止めない
サビ後1節目
塔が壊れて、愛する母はもう手の届かないところ
(死の運命が待つ元の時間)に行ってしまった
どこか遠い時間の先で母がいることをどこか感じる
サビ2つ目
夏子の悪意を真正面から受け、自分の悪意も正直に受け止めた
新しい家族の中で生きていくことは、自分で願い選んだこと
もう会うことのない大切な友人は、今も夢の中で出会う
大切な友人であることはいつまでも変わらない
大叔父のいる世界でつかみ取った意志は、どうしてそう決めたか忘れない
たとえ本当は忘れてしまうべき秘密(フィクション)だとしても
僕だけは、死ぬまで理想に生きた大叔父を、美しく不気味に歪んだ世界を忘れず愛する
この地球儀に写された、複雑な理解しえない世界を愛するように
サビ後1節目
ちっぽけな自分は、愛されたいことを願い、そこから僕は始まった
寂しい悪意が僕の道を曲げ、自分の意志で罪を犯した
ラストさび
自分で選び取った意志を原動力に、戦後の過酷な世界を乗り越えていく
僕が意志を持って進んでいく先に、きっと何かなせることや出会える人がいる
希望の差す夢をみることをわすれない
知らないことを知って、世界を広げていく、それが秘密だったとしても止められない
美しく不気味で歪んだ、悪意のある世界を選んだから、ぬくもりがある
美しく理想的で安定した、悪意のない世界を選ばなかったから、後悔はある
自分の理想を追い求めていく、地球儀を回して旅先を探し続けるように
長文かつ乱文をここまでご覧いただき、
本当にありがとうございました。
またなんか追記するかもですが一旦ここで終わりにしておきます。
最後に、宮崎駿監督様、
この度は何とも言葉にしがたい、
立体的で、突き刺さってくるようで、包み込まれるような
不思議で気味の悪く、
でも心地いい映像体験をありがとうございました。
濃縮還元宮崎作品、米津氏の神解釈歌を添えて
とても立体的で、
考えれば考えるほど深みにはまっていく沼のようで、
いつまでも味のするスルメな作品だと思っています。
最高でした。