賢者モード的tinderの所感
俺は村上春樹氏が好きで、特に「アフターダーク」が好きだ。今回はその特に好きな作品で特に好きな部分の引用から文章を始めてみる。
「まりちゃん。私らの立っている地面いうのはね、しっかりしてるように見えて、ちょっと何かがあったら、ストーンと下まで抜けてしまうもんやねん。それでいったん抜けてしもたら、もうおしまい、二度と元には戻れん。あとは、その下の方の薄暗い世界で1人で生きていくしかないねん」(講談社文庫 村上春樹「アフターダーク」 p233)
「抜けてしまう」には災害から犯罪まで、起因は故意/偶然関わらず訪れるもので、各々様々な事情があるだろう。2度と戻れないかどうか、についてはついては個人の気の持ちようの部分もあるとは思うが。でもやっぱり、村上春樹氏の、世の中の脳髄に触れるような感性には憧れる。
俺はプライドが高い。高いからこそ、自分の人生に「美しさ」を求めてしまう節がある。美しくないもの、というと他人の前で嫉妬の感情を剥き出しにしたり、「〇〇プペ目!」とSNSに書き込む類のことだ。こんな人間になるのが嫌で、ヒヤヒヤロードを4番手で進んでいき、落ちていった先人の位置を忘れないよう気をつけてゴールを目指した。石橋を他人に叩かせて渡る生き方を心がけていた。
特に出会い系ヤリモクアプリなんて愚の骨頂だと思っていた。男なら1人の女性に一途でいるべきだと本気で思っていた。一方このksアプリときたら、プロフィールやらデート戦略やら、常にネットに晒されるリスクと戦いながらコストと時間をかけて女の尻を追いかけ回す。誰がやるねんこれ...
しかし、俺のスマホに、入っていた。Tinderが。月額、三千円。しかも、カカオトークも。嘘やろ。
そんな感じで数ヶ月が過ぎた。3人と会ったが、シャワーを浴びてホテルを出ても、1人で家に帰っても、不思議と虚無感は感じなかった。電車がホームに来て、停車して、発車して、そしてまた次の電車が来て、の繰り返しをするような、規則的な感覚だった。これって定期的?それとも不貞器的?
こうやって人は性欲とうまく付き合っていくんだなあというノスタルジーは感じた。一時期俺のノートが童貞讃歌化してた時があるけど、そういう感情に襲われていた。どうしても童貞に戻りたい時期があった。こんなこと言ったらTwitterの某mt25pot2さんはどんな反応するんだろう。(オズワルドのラジオ出演おめでとうございます)
薄暗い世界に落ちてしまった。もしくは落ちかけている。理性をコントロールした気になって、どんなに注意深く歩いているつもりでも、いつの間にか天井は遥か上に、その空は欲望の生暖かい膜に包まれてしまっている。改めて、弱すぎる人間だと実感した。
そんな中先日、素敵な利害関係を放棄されてしまった。虚無感の訪れ。やっと目が覚めて、この記事を書くに至る。月にかかっていたホテル代は2万円ほど。先日DMMのセールで買い漁った50冊近くの電子書籍が約1万円。1万円が2万円に勝つ、ということを初めて知った。
元来インキャ安定志向の俺には女遊びより空想生活の方が合っている。それだけのことなんだと思う。思いたい。これから簡単じゃないかもしれないけど、落ち続けていた滑らかな階段を登り直す努力をしていこうと思う。自分自身に誇れるだけの、ちっぽけなプライドのために。
した。