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使い道のないゆるふわヌオーのいる風景

”沼っ子”による植沼活動



今日はポケモンのぬいぐるみ、通称”ポケぐるみ”について書く。


僕がTwitterを始めたきっかけは、対戦動画をアップするようになったことだったとどこかで書いた。対戦に関する情報を集めたり、自分の動画の広報手段として使うつもりだった。


ところが、近頃の僕のTwitterライフは当初の思惑とはまったく違う方向に歩みを進めており、色違い厳選やROMガチャ及びポケモン交換を生業にしているプレイヤーの呟きに感化されて、対戦そっちのけで精進するまでになってしまった有様である。


そして、ここ数か月間で僕のタイムラインの占有率を徐々に上げてきているのが、ヌオー好きの方々=”沼っこ"による「ゆるふわヌオー日記」なのである。


グッズに無関心だった独身男


僕は今でこそポケモンセンターに2か月に1度は足を運び、定期的にオンラインで新作をチェックして、グレイシアのグッズを見かける度に迷わず購入するほどのポケぐるみ好きだけど、昔はグッズというものに全くといって興味がなかった人間の一人である。



僕はもともと物欲がない人間だと思っていて、グッズみたいなものには興味がなかった。BUMPのライブに行っても、記念品程度にTシャツかタオルを買っておくくらいのもので、本来の目的は曲を聴くことであり、グッズはおまけに過ぎないというスタンスをとっていた。大切なのは目に見えず形にならない何かであり、形あるものはいつかなくなる、と考えていた。


誘惑に勝てずニコル帽とアカシアパーカー、天体観測Tを購入


ポケモンにはまってからも同じで、好きなポケモンがいても、それはあくまでゲームという電子データ内における話であって、現実の世界に持ち込むものではないと思っていた。


こういう価値観になったのは、ひとえに僕の貧乏性のせいである。学生時代は特別お金に困っているわけではないけど、なんでもかんでも買えるようなお小遣いがあるわけでもなかった。グッズ購入にお金をかけるくらいなら、そのお金で本を買いたいと考えていた。グッズなど所詮はどこまでいっても”モノ”であって、部屋の空間と財布の中身を貪り食うモンスターであると考えていたのだ。


グレイシアが目覚めさせた”愛の力”


そんな僕を変えてしまったのは、かの愛しきグレイシアである。人間はそう簡単に変わらないもので、特に長い年月をかけて形成された価値観や考え方に変更を加えることは、至難の業である。貧乏性の堅物はいつまでたってもケチであり、クソ陰キャはどんな努力をしても陽キャにはなれない。


ところが、人間というのは不思議なもので、「そんなことで?」と耳を疑うような、意外なことでコロッと変わってしまうことがある。


全く数学ができなかった生徒が、同じ趣味の先生に出会って数学を好きになることがある。ポテトチップスを1日10袋も食べていたのに、好きな異性が現れるや否やポテチには目もくれなくなるようになる。ファッションに無頓着だった人が芸能人に憧れるようになり、服装に凝り始め、色彩の勉強を始めたりする。


こんな風に”愛の力”というのは恐ろしいほどのエネルギーを秘めていて、ひとりの人間の世界観をあっさりと変えてしまうことさえある。良い方向に働いているうちは問題ないが、これが間違った方向に働くと、絶世の美女クレオパトラに魅了された男たちのように、自分の人生や国を亡ぼす事態さえ巻き起こしかねない。


愛の力というと大げさだし、ムシキング世代で女の子とは縁がない人生を送ってきた独身男の僕はどうしても「攻撃力にバフをかける補助カード」を連想してしまうけど、要は僕が再三再四書いてきた「好き」のエネルギーである。「好き」こそが人間を突き動かす原動力であり、僕をポケぐるみの沼へと突き落としたのは、まぎれもなくグレイシアへの愛である。


虫嫌いなのにムシキングめっちゃやった
七夕限定ヘラクレスリッキーブルーくらいしか自慢できる
カードはないけど


ごみまさ、”ポケぐるみ”始めるってよ


たまたま立ち寄った近所の雑貨店にグレイシアのぬいぐるみがあって、それを購入してしまったことを皮切りに、僕の「ポケ活アカデミアぬいぐるみ編」は連載を開始した。


はじまりのグレイシア


それまでは無意識のうちに「無駄遣いはよくない」と抑え込んでいた購買欲が、一度の裏切りによってあえなく堤防が崩壊してしまい、以来グレイシアのポケぐるみはノータイムで購入するようになってしまった。


折しもポケモン界ではBDSPの発売に伴って第4世代グッズが次々と登場しており、"Pokemon fit"のラインナップにグレイシアが並んだ。さらに、クリスマスを目前にクリスマス限定バージョンが発表され、なんとマントを羽織ったグレイシアのぬいぐるみが発売されてしまったのだ…!尊いぃぃぃぃ


ポケモンフィット、期間限定ぬいぐるみ、クリアファイル、キーホルダー…僕は予定のないクリスマスの寂しさを埋めるかのように、グレイシアグッズを空っぽのカートの中に次々と放り込んでは、自分の心の空白を満たしていた。


可愛すぎて尊死した


ヌオーVSドゴーム 


今のポケモン界隈では、”沼っこ"を筆頭にポケぐるみで日常生活を彩り、写真をTwitter上に投稿することが流行りの波である。


たとえば、つい最近ヌオーの復刻版のぬいぐるみが発売されたみたいで、先代のヌオーたちが到着した新人ヌオーを「新しい家族を迎えたぬ!これからよろしくだぬ~!」みたいなコメントを添えてお迎えする画像が僕のタイムラインを席巻している。


だぬ!


こういうのを見ると、控えめに表現して、ほっこりするものだ。対戦界隈ではどうしても論争が絶えなくて、常にどこかで火の気が立ち上っている印象がある。しかし、ヌオー好きな人たちの「ゆるふわヌオー日記」を眺めていると、世界にはこんなにも平和な界隈が存在しているのか、と心が温まるだぬ。


ごほん、、、。ヌオーというポケモンは、やはりあの”のほほん”とした表情が素晴らしいのか、他のポケモンでヌオー日記の真似をしようとしても、どうしてもつくりものめいた感じが出てしまうような気がする。グレイシアでお迎え風景を撮ろうとしても、あのヌオー一族が持つ独特の柔らかい空気感を演出するのは難しいのではないだろうか、と感じている。


僕が知り得る限りでは、ポケぐるみ界隈はまだ比較的若いので、これからどんどん発展していく余地があると思う。そのポケモンにしか出せない雰囲気というか、個性に合わせた内容を求められるので、ただ単に先駆者の真似をしても自然な感じにはならないだろう。


僕が個人的に好きなTwitterアカウントは「ポケモン界NO.1アイドルを目指すドゴーム」さんである。びびりんちょで可愛いゴニョニョが、進化すると図々しくてやかましいドゴームになり、最終的にはバクオング=親父になるという、大人になるにつれて幼い頃の可愛さを失っていくキャラ設定をしっかり理解して活用している。これはヌオーにはできない演出であり、逆もまた然りと言える、好例であろう。


ドゴームさんのネタはけっこう手が込んでいる


ポケぐるみという未開の地、硬直した対戦沼


ポケぐるみ界隈はこれから急速に成長と発展を遂げていくだろう、と僕は予想している。


対戦に関してはモデルとなるスタイルが存在していて、対戦動画でいえば、強者のプレイングを魅せる高順位実況者、マイナーポケモン使い、二次元キャラの掛け合いを楽しむゆっくり霊夢など、だいたいどれかのジャンルに分けることができる。




さらに対戦動画を始めるには高額な機材を買い揃える資金が必要で、動画の撮影・編集技術の習得にも多大な時間がかかるため、参入障壁が跳ね上がっている。


つまり、独創性を持っていたり、豊かな発想力があっても、容易に能力を発揮する場がないのが対戦動画の実情である。そういう意味で、対戦界隈は良く言えば成熟、悪く言えば硬直しているのだ。


ポケぐるみに関してはまだメソッドが確立されていない上に、ヌオーとドゴームの例のように、すべてのポケモンにあてはまる方法はない。ポケモンへの深い愛とスマートフォン1台さえあれば、オリジナリティやクリエイティビティを思う存分に発揮できる場なのである。


ポケぐるみはポケモン女子が引っ張っていく!?


これは僕の印象でしかないので間違っている可能性が大いにあることを承知して頂きたいのだけど、対戦界隈には男性プレイヤーが多く、常に論争が絶えない。


もちろん女性プレイヤーもたくさんいて、中には強者もいるのはわかっているけれど、どちらかと言えば男性が牽引している界隈であるような気がしている。


一方でポケぐるみ界隈は、文面や写真の印象から女性が多いように見受けられ、これからのポケぐるみ活動は女性がリードしていくのではないか、と感じている。対戦はどうしても順位=数字がモノを言う世界だけど、ポケぐるみに関しては柔軟な創造力や豊かな発想力が求められる世界になると思う。


いかにポケモンの個性を引き出すか、と言う点では、対戦もポケぐるみも共通している。しかし、対戦はどうしても数値や環境によって活躍できるポケモンが大幅に制限されてしまい、特に進化前のポケモンを活躍させるのは困難を極める。


色違いのぬおっ子、持ってます


ところが、ポケぐるみに関しては外から課される制限が対戦に比べればほぼ皆無であり、ポケモンの個性を引き出すことができれば、ドゴームだってNO.1アイドルになり得る世界なのだ。


クリエイターは自分の腕とアイデアひとつで、好きなポケモンがスターダムを駆け上がる姿を見ることができる。こんなに魅力的な世界が発展しない未来は、僕には見えない。


しょうもないネタがけっこう好き


なんだか書いているうちに僕もポケぐるみ活動をやりたくなってきた。やっぱり好きなことについて書くと、人間の知性や意欲、そして想像力は活性化するものだ。


言い忘れたけど、ポケぐるみの唯一の制約は資金繰りである。ポケモンセンターの店内をぐるぐると周回しながら「あのぬいぐるみも欲しい、こっちのグッズも可愛い!でもお金がない!!!」と悩む覚悟と時間がないなら、この世界に足を踏み入れてはならない。まあ、それも含めて楽しいんだけどね。


これはまだ一部です
飾る場所がない…



次はコトネちゃんの話でもしようかな。




●補足(蛇足)

賢明な読者にとっては余計なことで申し訳ないけど、いらぬ誤解を招くことは本望ではないし、一部の酔狂な暇人に揚げ足をとられると困るから念のために明言させてください。僕は決して男女のどちらかに優劣があるという差別的な思想は持っていないし、世界には様々な価値観や物差しが存在していいと思っている。女性は対戦をやるなとか、男性はぬいぐるみに現を抜かすな、みたいな差別的思想には断固として反対する。あるいは、有形のものを基準にする価値観もあれば、形にならない何かを大切にする考え方もあり、どちらかが優れているわけではない。他の人の「好き」に文句をつける意図は微塵もないことをご理解頂きたい。


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