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僕の自宅浪人体験記


そういえばまだ自宅浪人時代の話を書いていなかったな、と思ったので書く。



合格するための秘訣や、参考書の選び方とか、予備校に行かないでも成功するためのマインドセットとか。
残念だけど、そういう話はいっさい知らない。当然だけど、知らないことは書けない。


なんの役にも立たない「読み物」でもよければお読みくださいませ。




第0期:学年1位からの全落ち浪人


オールマイトが全盛期の力を失うがごとく、高校で学年1位を取り続けた私は全落ち浪人と成り下がった。
なんでや、東大に落ちるのは仕方ないとしても、早慶にも受からないのはなんでや!


ああ、なぜ、どうして、を繰り返して〜  も現実は変わらない。
不合格は不合格でしかなく、つまりは「もう一周遊べるどん」。
全落ち受験生には選択肢などない。とぅーびーこんてぃにゅー。コインを入れてね。


高校の同級生は東大をはじめ京大や一橋、早慶に合格していて、じゃあなんで学年1位の私が不合格なのさと、世の中の理不尽さを知った。
今だったら「そんなものだよ」と何にもわかってないアッパッパーな顔をして割り切れるけど、多感な18歳には「努力しても報われない」という現実は厳しすぎた。


高校3年生の3月で覚えていることは、とにかく惨めだったこと。
とにかく誰にも会いたくなくて、お世話になった塾にも顔を出さず、クラス会にも参加しなかった。
卒業式の日に、同じように不合格の惨めさを味わっている数人の友だちとくだらない話をしたことが今でも懐かしい。


読者の皆様が気になっているのは「なんで自宅浪人なの?」だと思う。
お答えすると、もう受験勉強したくなかったから。



たぶん学習性無気力症候群みたいなもので、「頑張っても意味がない」と心底諦めの感情しかなかった。
3年間脇目も振らずに勉強して、なのにどこにも合格しなかったら、たぶん誰だって「もうやりたくない」と思うのではなかろうか。


この時期のハイライトは、浪人生=無職説を突きつけられたこと。



身分証があるうちに銀行の口座を作ることにした。
窓口のお姉さんに「ご職業は?」と聞かれた。
4月から浪人生なんです、と答えたら、「あ、じゃあ、無職ですね」と朗らかに言われた。
はっとしながらも、いやまだ3月中は高校生なので、と言い訳する。
「そうでしたね、では学生に丸をつけてください」


第1期:浪人生、アルバイトを始める。


この時期は特筆すべきことはない。
アルバイトを始めたことしか覚えていない。


4月、もう受験勉強はしないと決めて、じゃあ1年間何をするのさ、と途方にくれる。
みかねた母が「アルバイトでもしてみたら?」とスイミングスクールの求人を見せてくれた。
正直なところ何にもやりたくなかったけど、なんとなく応募して、面接を受けて、採用されることになった。


朝起きてワンのお散歩に行き、帰ってからは本を読んで、お昼ご飯を食べたらアルバイトに行く。


模範的なまでに「非模範的」な自宅浪人生が誕生したのだった。


第2期:浪人生、部活動に明け暮れる。


だいたい6月から9月までの話。
浪人生がどうやって部活に明け暮れるかというと、母校の水泳部に毎日のように顔を出していたのだ。


初めの頃は、あまりに人に会わない孤独に耐えかねて、週に1回くらい顔を出す程度だった。
後輩たちは気を遣ってくれて勉強の話はせずに、「先輩、泳ぎますよ」とプールに突き落とそうとしてくれた。
上で見ながらマネージャーと話しているうちに自分も泳ぎたくなってきて、最終的には「練習生」みたいに現役生たちと同じメニューをこなしていた。


同じく自宅浪人(ニート)をしていたしゅうまいくん(過去記事にて既出)を誘うようになると、状況が変わってきた。
なにしろ暇だけはたっぷり持て余していたので、週に1回が週に2回になり、隔日になり、やがてアルバイトか部活かの毎日になっていった。


そうやって泳いでいるうちに、だんだんと本気になってきちゃったのだった。
自分で水泳雑誌や書籍を買ってきて泳法を勉強したり、一般向けの大会にエントリーしてタイムを計測したりもした。
勉強そっちのけで泳いでばかりして、つまりは全く勉強しなかった(〇〇構文)。


第3期:ビート・ザ・ボクス


だいたい9月から11月の話。
ひたすらラグビーワールドカップを見て、ラグビーの本を読んでいた時期。


きっかけは日本代表が南アフリカに勝ったあの伝説の試合だった。
Twitterで「日本代表、南アフリカを撃破」という文言を見て、どんな試合なのか気になって再放送を視聴することにした。


これが私の人生を狂わせる。
圧倒的な格上(元世界王者)の相手に対して、ジャパンの選手たちはほとんど互角で前半戦を終える。
後半に入り、南アフリカはジャパンの戦意を削ぐべく、得意のフィジカルを活かして得点を重ねる。


これ以上離されたら終わり、というところで、南アフリカが5m付近のラインアウトを獲得してチャンスを迎える。
ジャパンの選手たちは、反則を犯してでもトライだけは阻止すると決めて、それまで押し切られていた南アフリカのドライビング・モールを粉砕することに成功する。


そのあと、60分にジャパンはチャンスを迎える。
堀江のラインアウトをマイケル・ブロードハーストが華麗にキャッチして、交代したばかりのSH日和佐に素早く供給する。
ここでジャパンのバックスは、これまでの練習で一度も成功したことのないサインプレーを選択する。


沢木コーチが南アフリカ代表の試合を徹底的に分析した結果、SOのポラードが守備網の綻びになることを発見して作戦を考案していた。
ヘッドコーチのエディは「そんなの、うまく行くわけないだろ」とつっかえしてしまう。
沢木コーチは怒って次の日に練習に姿を見せず、エディが「悪かった」と謝ったらしい。


バックスは沢木コーチ考案のサインプレーを幾度も練習するが、なかなかぴたりとはハマらなかった。
当たり前といえば当たり前で、練習では仮想敵を演じる方がサインプレーの存在を知っているのだから、うまくいくはずがない。


日和佐から素早いパスを受けた立川は、ポラードにめがけて突進する構えを見せる。
立川はこの試合のここまで、ボールを持ってもパスを出さずに相手のSOにタックルを繰り返していた。
ポラードをサポートするために、南アフリカのディフェンスが微かに乱れる。


立川はポラードをギリギリまで引きつけてから小野にパスを出す。
交差するようにマレ・サウが走り込んで囮になる。
南アフリカの鉄壁のディフェンス・ラインが完全に崩れた。
空いたスペースに松島が切り込み、最後はFBの五郎丸がトライを決める。


さて、ここから20分が本当の戦いで(以下省略。こんな感じで年末くらいまでひたすらラグビーばかり見て勉強はしなかった)


それから、9月で水泳部の活動が終わってしまってからは(屋外プールなので)、浪人生の友だちとしょっちゅうマクドナルドで夜遅くまで喋る生活を送っていた。


第4期:センター試験〜私大受験


年代がバレる。
センター試験については、勉強していないのに前年より40点ほど高かったこと、水泳部の後輩と同じ会場だったことしか覚えていない(他に覚えていることないのか?)。


760点足らずという、東大受験生としては信じられないロー・スコアだったけど、足切りは流石に超えるだろうし、2次試験で頑張れば逆転可能ではある。
ていうか、勉強しないで東大受けるんかい?


さすがに今年は全落ちは嫌だったので(本当に嫌だった)、ランクを下げた滑り止めにも出願することにした。
明治大学の政治経済学部がセンター試験入試を実施していて、5教科7科目であれば750点台ならほぼ確実に受かりそうだったので決定。


自宅浪人生の何が辛いかというと、自分がどこにも所属していないという感覚である。
マズローの5段階欲求説を持ち出すまでもなく、組織に属することなくアイデンティティを保てる強靭なメンタルを持つ人間は少なく、ましてや10代の子供には無理な話だった。


明治大学から合格通知をもらう。
初めての合格だった。嬉しかった。
というか安心した。「これで4月からは、とりあえず大学生になれる」


周りの同級生が、たとえ不本意な大学であれ進学して「1限だるいわ〜」と大学生しているのを見るたびに、私は自分だけが置いて行かれているような気がした。



他の人は着実に進んでいるのに、私だけがその場に取り残されて、しかもそれは努力ではどうにもならないのだ。
どんなに勉強ができても(まあ、できなかったけど)、試験の日を早めることはできないのだ。


最終節:東大不合格者、大学生になる。


東大受験当日についても特筆すべきことはない。
センター試験で遭遇した後輩に再びエンカウントして、試験後にジョナサンで散々喋りまくったことしか覚えていない(もういいって)。


秋ごろに受けた駿台の東大模試でB判定が出ていたのでワンチャンあるかなと思ったけど、世界史と地理が壊滅だった。



英数国は現役時代よりも点数が高かった。
自慢ではなくて、受験勉強の本質が「論理的思考力」であるという話。
1年間でだいたい100冊くらい読書をした結果、どうやら論理的な考え方が鍛えられたみたいだった(読書ってそういうものだよ)。


つまり、大学受験は科目ごとの力なんてあんまり関係なくて、論理的に物事を捉える能力があれば、だいたいなんとかなるものなのだ。
世界史に関しては知識がものをいう科目なので、論理だけでは太刀打ちできなかった。
地理は、あれはエリートの科目なので知らない。地理は高校生よりも、大人になっってから学ぶべき科目だと思う。


今はあるのか知らないけど、当時は国公立大学の後期日程なるものがあった。
明治の合格はもらっていたけど、我が家に私立に行く経済的余裕はないので、どうにか国公立に行きたいとは思っていた。
そこで、センター試験の点数からほぼ確実に合格するであろう、とある都内の公立大学に出願しておいた。


東大の不合格の二日後に、後期試験を受けに行く。
オープンキャンパスすら行ったことのない大学で、「資本主義とは何か」の小論文を書く。
何を書いたかは覚えていないけど、ちゃんと合格できた。


1年間の自宅浪人(ニート)を経て、晴れて公立大学への入学を果たしたのだった。


自宅浪人という星回り


浪人は人生の無駄遣いである。
恨みがましくなってメンタルを病む。
生涯年収が1年分なくなる。
人間的に成長するとかなんとか、そういうのは絶対に信じない方がいい。



私は全落ち以外の浪人はまったく賛同しない。
合格をもらった大学があるなら、そこに行って頑張ればいい。
大学なんて、だいたいどこに行っても同じだ、ほんとに。
(霞ヶ関でトップまで上り詰めたい人だけは、東大を粘った方がいいけど)


じゃあ、私は自宅浪人を後悔しているかと聞かれれば、そんなことはないと答える。


まさか自分が5年後に水泳指導員の職業に就いているとは思わなかった。
浪人時代に夜中まで話をした友だちと、10年後も付き合いがあるとは知らなかった。
浪人時代に始めた読書のおかげで、noteに文章を書けるようになるとは想像もしなかった。


結局、人生には巡り合わせというか、星回りみたいなものがあるんだ。
人間は出会うべき人に出会う、一瞬たりとも遅からず、一瞬たりとも早からず。
奏でられるべき音楽は、すでに音符という形で楽譜の中に書き込まれている。
神様にとっては、私の人生には自宅浪人という休止符が必要だという判断だったのだろう。


私には、与えられた楽譜をどう解釈し、実際に演奏するかを考える権利があるだけだ。


それだけで十分なんだけどさ。







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