京都人の言葉を額面通りに受け取るな
劇場版レヴュースタァライトを7/15滑り込みで観ました。テレビ版からかませポジみたいな扱いを視聴者から受けている、ずっと『誤解されている』香子について言いたいことがあります。
香子は学園地下でのオーディションを通して意識が変化した。
努力を認めてくれる他人が欲しかった。だが、そんな双葉がライバル…(もはや生活態度まで香子を見放すなら)師範にも等しい存在となった。そうなればそのように接するまで。香子は芝居・踊りについて肝が据わってないわけがない。そうでなければ勘当されているはず。(私の妄想です)
そんな意識の変化により、双葉とこの先ずっと一緒にいられなくても良い、自分自身の夢を追いかけ始めた双葉と対等に渡り合う覚悟ができていた。だからこそ次のオーディションでは双葉も当然含めた全員を蹴落とす覚悟があった。
にもかかわらず自分で決めたはずの進路を黙っていた双葉。自分に正直になろうとしたくせに「お前のため」と、香子を理由に決断したと思い込みたがっている。それが気に食わなくてならない。
香子という枷を自分で外した上での独立した意志、素晴らしい決断、辛く険しい孤独の道をこれから歩み始めようというのに、最後の最後に「香子のため」という遺恨が双葉の中に残っていていいのか?それは本当に双葉一人で下した決断だと言えるのか?香子に真に決別を言い渡さないまま夢を追いかけて、本当に望む場所に辿り着けるのか?できるわけがない。
だからこそ絶交。
あの場で双葉が絶交を受け入れ、真に袂を分けてば香子は一人で大成できたかも知れない。
だが絶交は許されなかった。双葉が許さないなら香子に切れないほど深い縁。次にバイクの後ろからもたれかかるのは双葉だという約束。一生切っても切れない本当に腐った縁。
ふたかおは一生ディスコミュニケーションしててください。お願いします。