ガラス張りの扉の向こう
つくばエクスプレスの新しい車両は、車両と車両を繋ぐ扉がガラス張りになっている。目的の駅で降りようと席を立った時、初めて気づいた。前方を見ても後方を見ても、同じような箱型の景色が延々と続いている。まるで、合わせ鏡を見ているような、SF的な並行世界を見ているような、そんな気分になったのは、久しぶりに小説なんて読んでいたからかもしれない。
電車に乗っていると、よく過去のことを考える。この騒ぎを経て、電車に乗ってどこかに出かけるという行為が、「過去のこと」になったからなのか。あるいは人生で最も電車に乗っていた、中学高校時代を思い出すことから、次々と別の過去に繋がっていくからなのか。実際、SF的な妄想を思い浮かべるくらいだから、単純にひまなだけなんだろう。都内まで出るのに、最低40分はかかるこの土地では。
今日は用事があって、久しぶりに横浜まで出る。自分が学生の頃にはなかったロープウェイとやらが見てみたくて、待ち合わせ場所は桜木町駅にした。この2年、京浜東北線には何度か乗っていたかな。そういえば、扉がガラス張りになっているのは、つくばエクスプレスくらいかと思っていたけれど、京浜東北線も同じ作りだった。きっと都内の電車は混み合っていて、同じような景色が見えていなかっただけだ。当たり前だ、前方車両も後方車両も見渡せるほど人が空いているなんて、都内ではあり得ない。
「高輪ゲートウェイ」という聞き慣れない駅名を告げるアナウンスで気づく。聞き慣れないけれど、一度だけ聞き覚えがある。あぁそうか。あの日以来、ここまで足を延ばすことはなかったんだ。あの日はどこで乗り換えたのだろう。最終的に目黒で乗り換えて、目的の駅に向かったことを覚えている。あの時何を考えて、何を感じていたのだろう。それがもう分からなくなってしまったことが、自分を未来へ進ませてくれるのだと、そう分かってはいるけれど、やはり少しだけ寂しかった。
ガラス張りの車両の向こう側には、ここに至らなかった別の自分が座ってたんじゃないか。もしそうならば、届かないと分かっていても、何かを叫びかけたような気がする。「お前は今、いったい何を感じているんだ」と。
車窓から住宅街を抜ける緩い坂が見えた時、いつかの街の景色に似ていた気がして、そんなことを考えた。
補記:フォトギャラリーから写真をお借りしました。
こう書いておかないとなんだか気が済まないのは、一応、自分が研究者の端くれだからなのかもしれない。
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