ひもQ
ここ数か月、その人のおかげで救われたなぁと本当に感謝している人が二人いる。
一人は、数年ぶりに会った友人。この騒ぎが少し落ち着いてきた、6月くらいのこと。
成人してから会うのはほとんど初めてで、そいつの家に遊びに行って、初めて一緒に飲んだ。今だからこそできる昔の話をして、自分で持参した梅酒がやたらと美味くて、フリクリ全話初めて見て寝た。
たったそれだけの出来事だけど、「まあ、お前は大丈夫だよ」と8年近く会ってもいなかったくせに、何がわかるんだよと思ってしまうような無責任な言葉がなぜか心に残っていて。
今年の初夏、暗いトンネルを歩くような日々の中で、あの日だけが、小さな温もりを持った記憶として光っている。
もう一人は、その時期によく話を聞いてもらった人。自分の味方として話を聞いてくれて、どうして自分に親身になってくれるのだろうと、その人にメリットなんてないじゃないと、なんだか申し訳なさすら持っていた。
が、そういえば昔、その人に絵本の感想を書かされたことを思い出した。
モチモチの木という、版画なのかな、絵が独特の味わいを持つ作品。確か実家に絵本があって、読んだことはあった。小学校の教科書に載っているその作品が、教育関係の学部にいたその人の卒業論文に関わるものだったらしいのだけど、大学院に進学する予定だった自分は、どちらかというと暇を持て余していたので、快諾したのだった。
登場人物の心情だとか、言葉の語呂だとか、挿絵の意味だとか、この日記のように感じたことを思うままに書き連ねて、最後のページで洒落っ気を出して「トチの実って食べられるんですね」と丸ゴシック体みたいなフォントで40ポイントくらい使って書いて送った。
ところがどうやら、その文書をそのまま、内容を確認せずに発表で使ったらしく、最後の一文について自分は後で詰られることになるのだった。まさかそのまま使われるなんて思わなかったからね。今では笑う話、本人はどうかわからないけども。
ちなみにWordで2枚ほどになった感想文の謝礼は、ひもQが8袋。私がグミ好きだからね。ひもQは製造中止になってしまったので、今となっては貴重品だったなぁなどと思う。5年近く前の話だけど、こんなことになると知っていたなら、もう少し味わって食べればよかった。
閑話休題。
あの時のひもQみたいに形にして示すことはできていないけれど、半年前の自分が、二人にかけられた言葉でどれだけ救われたことか。
本当にありがとう。あの時の自分は、あなた達のおかげで、半年後まで生きてこれました。
ひっそりと感謝を。