ソレは希望めいて
先月の今頃に30歳になってから、特に何も感じることが出来ないまま生きている。
これが30代の景色か。多分違うと思う。
喜怒哀楽を感じることがあっても、自分の中に定着しない。揮発性メモリのような感情。そうやって一か月が過ぎたので、同じようにこの後の何十年も過ぎていくような気がする。
スマートフォンのデータを振り返っていたら、昨年失った生活拠点、近所のショッピングモールの写真を見つける。あの景色が無くなった夜のことは、もう遠い過去のように感じていたけれど、まだ一年も経っていない。
遠い昔のことのように感じるほど、何かを重ねてきたような気もするし、何もしてこなかったようにも思う。自分の記憶の中に、ぽっかりと空白がある。何をしていたのだっけ。辛うじて、御徒町のデパートのインテリアショップの景色を思い出す。もう何も思い出せなくなってしまったな。
少し前、自分の部屋では、深夜になると窓から月明かりが射し込んでいた。月明かりの下では嘘がつけなくなるような気がしていた。今は、月は窓から見える位置に現れない。知らず知らず、季節は巡る。猛暑を感じていないわけではないけれど、汗を流す自分を俯瞰しているような、どこか他人事のような感覚。
一昨日くらい、久しぶりに自分の中に感情のようなものが芽生えたかと思うと、それは仄かな絶望感だった。昨日、今日と夜になると断水する。昨晩は湯船にお湯を溜めている時だったから良かったものの、今晩は一滴の水も溜めていなかったので、真夏の空気を除湿機で濾して、わずかな水で身体を清めた。モノに溢れた街の真ん中、アパートの片隅で、勝手にサバイバルのような生活をしている。こんな夜が続くと、仄かな絶望感が増す。
夜になるといつも、ぼんやりとした希死念慮を覚える。眠りにつく寸前、微睡の一瞬、ソレが唯一の希望めいて見えてくる。
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