繰り返す、日曜午後のこと
日曜午後になるといつも気分がブルーで、過去のこと、人間関係のこと、将来のことなどぐるぐると考えを巡らせている。そうならないように、本当は日曜午後に予定を入れておいた方が良いのだけれど。
そんな日曜午後を繰り返している感じがする。
自分の週末はというと、大抵は土曜の午前から予定が入っている。だいたいテニス。
平日の仕事で疲労気味な頭を引きずって早起きしては、平日5日間の倍くらいの運動量をこなすので、土曜の午後はベッドに突っ伏している。覚醒する頃には夕方か19時過ぎで、その日の家事などこなしては土曜が終わる。
では日曜日は朝すっきり起きられるかというと、前日の運動の疲れを引きずって10時前くらいにぐだぐだと床を離れる。土曜日で平日の疲れを、日曜午前で土曜の疲れを回復しているような形。実際、それでも疲れが取れた感じはしない。
やっと頭がはっきりしてきたころには、日曜の午後になっていて、ほとんど休日は終わった気分になり、半日後に迫った平日という名の現実のことなどを考え始める。
大抵考えているのは、過去のこと。具体的な形などなくなって、ただ漠然とした印象になり果てた過去のことを、ぼんやりと思い出しては暗くなる。それから考えるのは、人間関係のこと。周囲の結婚、職場の人々。わずかに残る周りの友人たちのことを考えたりする。一通り考え終わった憂うのは、将来のこと。これからの仕事をどうしていくのか。どこに住むのか。このままここで一生を終えるのだろうか。漠然と、答えのない思索を続ける。
そんな時、電車に揺られていたりすると、気分が良くなる。考えがまとまるというのもあるし、行き交う景色や乗り降りする人々を見ていると、こんな狭い部屋、閉塞的な街に囚われることなく、世界は広いんだという当たり前のことに気づかされるからかもしれない。ただどうしても電車賃が高く、このご時世では遠出は推奨されないので、結局諦めて部屋にこもっていることが多い。
ただ自分自身の計画性の欠如故、休日の部屋の中には大抵は食料が一切ないので、昼過ぎにお腹を空かせては、嫌々外の世界に出向くことになる。そうでもしなければ、散歩すらしないだろう。そんなわけで、今日も今から天気の良いお外に踏み出すというわけ。
そんな日曜日を繰り返し尽くしてきた気がする。