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小さなコインパーキングには

最近仕事中、全く集中力がない。

10時半くらいには「早く昼休憩にならないかなぁ」と考え始めているし、午後は15時くらいまでは少し仕事が出来たと思いきや、時間を自覚した途端、「早く帰りたいなぁ」と小さな部屋のことを思い浮かべている。

まあ、完全に息切れしている。今年はなんだかずっと忙しかった。忙しない、というわけではないけれど、年度初めから一年中ずっとやることがあって年度末まで特に楽にはならなかった。年度末にまで仕事が詰まっていること自体は、まあそれほど苦痛ではないかもしれないけれど、年度が明ければまたやることが増え始めてるのは知っているので、また一年、気の張る時間が続くと考えると非常にげんなりする。

3月は有給休暇を2日使って、三連休を二回作ったけれど、特に心も身体も休まる感じはなかった。休みは一週間でも足りない気がする。かといって、一か月も仕事を休んだところで、大して改善はしないと思う。別に仕事が耐え難いほど辛いというわけではない。どちらかというと、生きることそのものに疲れ切っている。仕事から逃げることは出来ても、生きることからは逃げられない。逃げられないのだ。

まあそんな気分も全て、花粉の所為、ということにしておこう。実際、今年は特にくしゃみがひどい。逃げることからも逃げ続けて、このあとやっていけるのか。それはもう知らない。



Ghostwire: Tokyoは四日目。段々、人のいない東京の街に寂しさを覚えるようになる。どくさいスイッチを押してしまった人の気持ちって、こんな感じなのだろうか。別に、自分がこの街の人々を消してしまったわけじゃないのだけれど。それでもなんだか後ろめたい気持ちがあるのは、心の底で少しだけ、「ざまあみろ」と思っていた自分を知っているからだ。幼稚で薄暗いその感情については、特に語るつもりはない。

一方通行の坂道をいつか見たような気がする

少し寂しくなって、なるべく動物を見かけたらちょっかいを出すようになった。犬たちはいつも元気だ。こんな街の様子とは関係なしに、狸たちは自由にやっている。そういえば今日歩いた地域には、やたらと猫が多かった。

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君は頭に何を乗っけてるの?


街角の景色を眺めているだけで楽しい。楽しいって表現は正確じゃない。なんだかそわそわする。

ありふれた景色の中でも、特にコインパーキングに惹かれるものがあるみたいだ。コインパーキングを巡るだけでも、ずっと時間を潰せそう。ビルの隙間に現れた窮屈そうな空間。こんなところ停められるのだろうか、という狭い駐車スペースが、か弱い蛍光灯に照らされている様子を見ていると、くすぐったいような、嬉しいような、生きることを諦めたくなるような、そんな感情が自分の底から滲み出てくる。いつかの景色と重なる。小さなコインパーキングには、自分の人生の全てが詰まっているような気がする。

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ここにいつかの自分が立っていたような

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