生きにくいタイプの子

この間ちょうど人に会う機会があって。
私は基本家に引きこもっているので(暑さのせいもあるけれど)知っている人に直接会うのは本当久しぶりだった。
ピンクのワンピースに身を包んだ美人で華奢な人と、紺のワンピに巻き髪の映えるこれまた美人な人。

本当に普通の大学生をしていた。
うまく言えないけれど、「就職がどうの」とか「彼氏がどうの」とか。
冗談を言って、笑いあって、本当にふつうの大学生。

わたしは、なにをしてきたんだろう。
精神的な成長という観点において私は重大な欠陥を抱えていると思っている。
ひとえに、人間関係が著しく希薄なことからくる。
確かに一年生二年生のときは本当に授業を受けるためだけに大学に通う日々で、それ以外は自室にこもってめそめそしていたのだから人間関係が構築されていないのはそりゃそうだ。
当時「これではだめだ」と思ってはいたけれど、毎日のようにベッドで涙を流すなんで明らかに普通ではないから、「半分鬱に足を突っ込んでいるのかもしれない、なら仕方ない」とか「そもそも摂食障害だった(である?)のだからメンタル的な部分に問題があるのは仕方ない」と自分に言い聞かせてきた。
「大学に授業を受けに行けているだけえらいじゃないか」と自分をほめていたけれど、いくら自分をほめたところで人間関係が構築されていないのは不変の事実なのである。

友達がいないとかサークルに入らないとかまともに恋愛をしたことがないとか。
それが自分なりに筋が通っている、軸があってそうなったものならばいいけれど、私の場合はそうではない。
ただの逃げ。
メンタルがどうのとか、それらしい理由をつけて現実逃避しただけの結果。
友達がいてサークルに所属していてまともに恋愛をしたことがあるのが正解なわけじゃない。
だけれど大多数の人が経験していることをしていない(これは、自分の軸があって経験しなかった人を除く)人というのはその大多数が生きる社会で生きていくのにうまくかみ合わないのである。

「西の魔女が死んだ」にこんなシーンがあった。
不登校になった主人公の事を、主人公の母が単身赴任の父に電話で話すシーンである。
「あの子は感受性が強すぎるのね」
「生きていきにくいタイプの子よね」
これを読んだのは十年以上も前のことなのに、これらの台詞は私の心につきささって抜けることがなかった。
「生きていきにくいタイプ」
私もそう思う。
大多数にうまくのっかることができればいいのに。
大多数の大学生みたいに、友達作ってサークル入ってそれなりの恋愛ができたら楽なのに。
なにかスポーツを趣味として麻雀で盛り上がって流行のラーメン屋ひとつくらい知っていたらいいのに。
そのどれもやりたくないし、興味もない。
他人に合わせるのにそれらをたしなむのも馬鹿馬鹿しい。
だけどこんなことを想っていることこそが私が「生きにくいタイプの子」であることの証左なのである。

もっと楽に生きたい。
若しくは「生きにくさ」に気が付かないような鈍感さか、「生きにくさ」を気にしないような強さが欲しい。