自分の課題は自分で解決するという考え方
これは19年間生きてきて思っている自分の考え方だ。
例えば、アルバイトをやめるという時も誰かに「俺これやめようと持ってるんだー」っていうとする。
そこで帰ってくる答えは「何で?」だ。それを言いたい気持ちもわかるし、答えを見つけたいと思う探求心もわかる。
でも今相談しているわけではない、宣言しているんだ。だから「そうなんだー」って言ってほしい。
で未来に「なんか好きなもんでもできた?」とか言ってほしい。
未来に、ポジティブにだ。
その人の選択にあれこれ言われるのはもう飽きた。
だって「あんたが解決できるんか」って思っちゃう。
俺は、そういうことで悩んでた。この窮屈、雰囲気はなんだ、と。
心がギュッと掴まれるように、そういった空間を抜け出したいって。
ずっと辞めたかった、けども、それを他人にいうことが普通で相談に乗って
もらえっていうのが普通で、相談しても何も解決しなかった、っていう自分
の思いを隠して「すっきりしました、○○さんに話してよかった」って社交
辞令的に話してしまうのは、本当につらかった。
で親にも反対されてたけど、「アルバイトも続けられないんじゃ、社会でもいつも挫折しちゃうよ」って
その気持ちはわかったから続けてたけど、
何処かで自分の気持ちを隠して、
続けていくのが本当につらかった。
「その社会って何なの?」「どうせあんたが生きていた社会だろ!」って言
い返したい気持ちを抑えて「こういうもんだ」となんかステレオタイプな感
じで納得してしまっていた。
で僕は誰にも言わず、バイトをやめた。それは、別に理由なんてものは存在しないと思う。
他に楽しいことが出来た。別に、そこに固執する理由なんてないなって思った。優先順位が自分の中で変わり、あらゆる欲求、欲望に勝てないと思った。
未知は広がった。自分で考え、自分でやめたことによって。やめた経験っていうのを経験できる。1年以上やってたバイトだからこそ、この経験が次の経験に繋がる。
ここで自分の人生を左右するわけではないと思う。けど、僕は自分で決めて、自分で行動し、考えて色々やってみるっていうことがこんなに楽しいんだって、
俺は、アルバイトをやめる決断をしたからって誰かにあれこれ分かりきったことを言われたくもない。ただ自分の中で起こった問題を自分で解決しただけだ。
例えば、大好きな人が自分に何でも相談してほしいっていう時
僕はたぶんその人にもこの価値観を分かってもらいたくてこれをいうだろう。
合理的に考えてるわけではない。その人に相談したって、わかるのって思う自分がいるからこそ、それを踏まえて欲しいっていうのを伝える。
以上最近知った自分の価値観についてです。