帰らぬ我が家は秘密基地
「もうそんなに昔になるのか」という感慨があるのだが、僕は数年前に大学院を卒業した。
大学院といえば、大学の研究では物足りなかった人間が研究を意欲的に極めるためにあるところ、という印象があるが、誰もが高尚な目的を持っているとは限らない。
もちろん研究を進めたいという気持ちもみじんこくらいには持ち合わせていたが、人生の夏休みとも言える学生生活を、少しでも長く享受したかったこと、社会に出る前に一人暮らしの体験をしたい側面を持っていた。
というのも僕は大学時代の四年間を大学寮で過ごしたからだ。
一応一人部屋は与えられたが、元々一つの部屋だったものを半ば強制的にニ部屋にした作りで、壁はあってないようなものだった。
どこの大学も似たようなものかもしれないが、寮というものは古い建物であることが多い。
夏には、蚊、アリ、蜂、ゲジゲジ、ゴキブリとあらゆる虫の巣窟であり、冬は隙間から寒気の流れ込む、人によっては耐えられない住環境であったが、反面、下宿を借りるよりも破格で住むことができた。
自然と県外から似た境遇の学生が集うようになり、時に一緒に飯を食らって酒を飲み、時に麻雀に興じた生活を送った。
しかし、寮の在住期間は四年間で、大学から大学院に進学するにあたって退寮しなくてはならず、そうなると大学院に行くためには、ニ年間住める下宿を探す必要がある。
大学進学の際はすぐに入寮を決めてしまったし、家を探す感覚がどういうものかわからない。
実家からは程遠い立地の大学にきてしまったので、親、兄弟に頼りづらかった。
だから、自分にとって「初めてのお部屋探し」とは誰の力を借りることもなく部屋を決めた、このときだった。
バイトで頑張って貯めた貯金額は雀の涙程度しかなかったため、予算はかなり切り詰めた額だ。
とにかく安い物件に決めるために、あらゆる不動産屋を巡って、数件の物件を内覧し、たくさんの見積りをとった。
その中で一つ住みたいと思える物件があった。
立地は大学に近くて、ステンドグラスのついた扉、ピカピカのフローリング、一新された部屋にお手頃な家賃だった。
条件が思った以上にかみ合いすぎて「一人くらい死んでるんじゃないか」という疑念はあったが、その後2年間住んでみて心霊的な現象は生じなかったので、ただただ良い部屋だったんだと思う。
部屋が決まってからはすぐに引っ越し作業に取り掛かり、友人に車を出してもらって荷物を運んだ。
寮では共同利用のものが多かったので、持ち物は少ない。
そのせいなのか、ピカピカの一人部屋の一角にぽつんと佇む荷物を見て、なんだか寂寥感を覚えた。
*
大学卒業のシーズンといえば卒業論文である。
引っ越しというビックイベントを終えて、そのまま卒業前の忙しさに没頭して過ごした。
学校の食堂で食事を済ませ、研究室で多くの時間を過ごし、バイトに出かけていたため、自宅で過ごす時間は少なく、ちょっと一休みするという感覚だった。
そのせいで部屋には中々手を入れることができず、生活感がないという理由で部屋をBBQ会場にされかけたけど、今思い返してみれば理不尽なことだ。
こういった経緯もあって、僕にはその初めての一人部屋が「居住物件」であることもさることながら「秘密基地」という側面も持っていた。
多くの時間を自宅外で過ごして、大勢の人といるのに疲れたときにふらっと家に帰り、一人の時間を大事に慈しむ空間だったのだ。
よくやっていたのは研究室の隙間時間に一度家に帰り、洗濯物を干し、平日の昼間の時間を少しだけ、ゆっくりと過ごした。
「研究をサボってちょっとだけ悪いことをしている」という罪悪感と「みんなが働いているこの時間帯をゆっくりくつろいでいる」という優越感が癖になっていた。
今になって思い返してみれば、なんとも曖昧な生活を続けていたと思う。
社会人となった今では規則正しい生活を送っているため、そんな生活は見る影もない。
きっとあの部屋にもあの生活にも戻ることはもうないと思うが、近くまで行った時にはそんな生活を懐かしんで遠目に様子を見に行ってしまうことだろう。
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