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アンコールワット再来訪 その6

(2019.12旅行日記)

私が小中学生の頃、「進め!電波少年」というテレビ番組があった。
芸人が説明もされないまま外国に連れて行かれて突然ヒッチハイクでユーラシア大陸を横断する旅をさせられたり、数週間日本にいなくてもいい人を募りアンコールワットへの道を舗装させたり、とにかく破天荒な放送をしていた記憶がある(そのためか、同世代のバックパッカーは多い。番組はもちろん、ヤラセ含む)。

カンボジア郊外に車を走らせると、15分程度で街の賑わいは急速に無くなり田園風景が広がる。
さらに進むと、まばらに生えたヤシの木かバナナの木か分からぬ東南アジアの樹木と赤茶色の砂埃の間に一本の線が続いており、そこから辛うじて人類の形跡を確認することが出来た。

観光2日目、遺跡「ベンメリア」はシェムリアップから車で1.5時間先の郊外にある。
今見ている景色は、かつてテレビの向こうに見た旅の映像そのものだ。
途中、「今度こそ車はパンクしたんじゃないのか‥?」と思うようなでこぼこの道を砂埃を上げて走った。

アンコールワットなど都市部にある遺跡は、発見当時90%程度原型を留めていたのに比べ、ベンメリアは20-30%しか原型を留めていなかった遺跡である。残っているレリーフ自体はどれも保存状態が良く、その精緻な造形に目を奪われた。

ベンメリア。10年前は確かこういう柵がなかったのでガイドさんとよじ登った気がする。
あっ!やせいのナーガだ!


ベンメリア遺跡建造にあたり、砂岩が使用されている。砂岩とは名前の通り、砂が固まって岩になったものだ。良く言えば加工がたやすく、悪く言えば脆い。
かつて栄華を極めた砂岩の帝国は、主なきあと榕樹のツタによって侵食・破壊され、年月をかけて今わたしの足元にあるカンボジアの乾いた砂の粒へと還っていくのだった。

と、色々思い巡らせていると、遺跡によくいる物売りの人が寄ってきた。
今回はシルクと言い張る薄いストールを取り出し「サンマイデ ゴドル」と営業された。要らないというジェスチャーをすると急に「サンマイデ 二ドル」に値下がりした。
昨日からこの手の商売人に出会うことは多いのだが、そんな極端に値下げして生活は大丈夫なんだろうか?
5枚で1ドルと言ってみたら「ソレハ アカジ」と即答された。赤字などという慣用句のような単語まで知っている。
すごいぞ、この人只者じゃないぞ。

ベンメリア観光の帰り、昼食後にアンコール国立博物館で車を下ろしてもらった。
ガイドのソパンさんは、(昼食もさることながら)ガイドのセット内容でもなんでもないのに博物館のチケット売り場まで案内してくださった。
日常の喧騒にかまけて、見返りのない優しさを忘れていた。ありがとう、ありがとう

「アンコール国立博物館は真面目に見ると2時間はかかる」との噂通り、シェムリアップ中にあった古代遺跡のカケラが集まっていた。
フランスが発掘調査をした頃、もっといい物はフランスに持ち帰られ、今はその殆どがルーブル美術館にあるという。
こういう、「植民地から持ち帰ったものを国に返すか否か」という問題は世界のそこら中にあるが、国に返したところでその国の情勢が不安定ゆえに戦禍に巻かれたり盗まれたり保存が出来ず劣化したりするので難しい問題だ。
ちなみに、見学中は1日目2日目と出会わなかったリンガと遭遇。親にリンガとは何ぞと聞かれたら何と答えようか考えていたが軽くスルーしていった。

アンコール国立博物館を出てホテルに戻ると16:00。レイトチェックアウトの18:00で、ホテル送迎のドライバーさんは18:40に来てくれる約束になっている。チェックアウトとの差分40分はホテルのフロントにお願いして、フロントのソファを使わせてもらうことにした。

今夜、シェムリアップを出国する。

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