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憧れと自分らしさ

自然と少しずつ仲良くなる

私の周りには、自分が理想としている人が沢山いる。
時たま話を聞く機会があると、やっぱりすごいなとため息が出るほどだ。

ことに山歩きに長けた人には強い憧れがある。
私が宮沢賢治の生き方と作品を好きになって花巻に移住したのも、もちろんそこに大きな理由があった。
父と母も生まれが山間の家だったこともあり、山の自然を愛していた。実際によく登山をしていたと聞いている。生まれた3人の子どもの中でひとりだけ、山好きを受け継いだのだろう。

しかし、そうはいっても私は埼玉県の町場で育ったわけで、山を歩くノウハウはからっきし。大きな虫や蛇には大袈裟に驚くし、体力もあまりあるほうではない。

それでも山の自然は大好きなのだ。亡き父に子どもの頃よく連れて行ってもらったことを今でも鮮明に覚えている。私が成人してまもなく父と母が離婚してからは、一緒に山に行くこともなくなってしまったが。大人になってから一度でいいから一緒に山歩きがしたかった。父はどんなことを話しただろう。どんな表情をしただろうと今も考えることがある。

今はまだへなちょこな山歩きしかできないけれど、少しずつ草や花や木の名前を覚えたり、鳥の声を聞いてどんな鳥が鳴いているのか調べてみたりしながら、ゆっくり自然と仲良くなっていきたいと思う。

先人たちが歩いた早池峰山

岩手には登山ができる山がたくさんあるけれど、中でも早池峰山は特別な想いを抱いている。今まで登ったのは片手の指におさまるくらい。まだまだ初心者。
かつて宮沢賢治が登り、その情景を作品に残したことでも知られている。

早池峰と賢治の展示館の館長、浅沼さんも3,700回早池峰山に登っている。この域まで来るとすでに仙人のレベルだ。15歳のころからずっと登ってきたのだから、他の人にはわからないくらいの愛情を持っているのだと思う。そんな浅沼さんの話が聞きたくてしょうがなくて、同じ町に引っ越してしまった。今は週1日、展示館の案内をするアルバイトをしている。

最近ずっと読んでいるのが、昭和58年に大迫町にお住まいの方々が勢力をあげてお作りになった、「早池峰の植物」という本。数量限定だった為、今は入手が困難な希少本だという。写真を撮影したのはもちろん大迫在住の方。

並行して、菅原隆太郎さんが書かれた「早池峰山」をいう本も読んでいる。この2冊を一緒に読むと、とてもわかりやすくて時間を忘れてしまう。
菅原隆太郎さんは、宮沢賢治さんと会ってお話をしたことがある方で、内容には賢治さんの作品が引用されている。どんなお話をしたのかなと想像を膨らませるのがとても楽しい。実際のことはわからなくてもいいから、こんな風に教育のことについて話したのかなとかふわふわ考えていることが幸だ。

自分はどんな方法が楽しいか

山の自然が好きで、その時に感じたことをどんな風にかたちにとどめておきたいか。そんなことをこのところずっと考えていた。そうしてまずネイチャー・ジャーナリングについて動画やネットで調べたが、私は見たものを精密にスケッチすることは向いていないと分かったのが最近のこと。そしてもうひとつ、人に見せるためにかかないこと。誰かに見て欲しくて、Instagramに投稿してみたがすぐに消したくなった。コメントもいくつかいただいたが、どうも大人がやろうとすると、単なる好奇心や遊びでやっていると受け取ってもらえないことに違和感を感じたからだ。「自分のために書こう」、と最近思い直した。

自作の植物図鑑を作るのではなく、それを見た時に感じたことを書き留めたい。感じたこと、調べたこと、見えたもの。すぐに描くことができない場合は写真を撮ってもいいけれど、少なくとも言葉はその場で書きたい。
小さな文字でこまこま書いても、なんだか分からない絵を描いてもいい。これは私だけのスケッチなんだから。