voice 10月号 河野太郎氏寄稿 「世界に言うべきことを言う」国にを読んで雑感。
国会議員に当選したその日から、総理総裁を目指していた河野氏。
彼が閣僚として、内閣の一員として仕事をしてきた経験から、次代を担う日本のリーダー像を語っている。
河野氏が提唱する次代を担う日本のリーダーに必要なこと
1多様な価値や利害がぶつかり合う世界の中で立ち位置を見極める力があること
2目指すべき進路を発信し諸外国のリーダーと協議をし実現する力
3自然災害を含めた危機管理に備え対処出来る力
私は41年人間をやっているが、感じる。
自分が小さい頃に比較して、世界が繋がってきていると。
自分の住んでいる地域で外国人を見掛けるのは稀であったが、今は日常で見かけるようになった。海外旅行など金持ちがするものだと思っていたが、今や修学旅行に海外も当たり前になった。
国内だけに目を向けていてもダメなんだと思い知らされる。世界がこれだけ繋がってきているのだ、どこかの国がコケたら波及効果が凄まじく世界を駆け巡る。近隣諸国で起こることは他人事ではない。自分の問題になってくるのだと。
河野氏の外務大臣時代の出来事から世界平和への貢献を考える
河野氏が安倍政権時代に外務大臣を務めたのは、2017年8月3日~2019年9月11日、在任期間770日。外国訪問回数 59回訪問国数 77カ国・地域(のべ123カ国・地域)
外国出張日数 290日国際会議出席 94回である。
本書で河野氏は、外務大臣時代の2018年カナダのトロントで行われた、G7外相会談での出来事を語っている。
ミャンマー・ラカイン州のイスラム教徒難民問題に関する文言で、日本サイドだけが他6カ国とのすり合わせができない状態が続いた。
いよいよ、河野氏は時のイギリス外相ボリス・ジョンソン(現イギリス首相)とサシでの勝負に出る事となる。
ボリス・ジョンソン氏「国連調査団の受け入れをミャンマーに求める」
河野氏「逆効果になるので、別の手段を提案する。」
折衝の末、日本政府が打ち出した「ミャンマーは国連調査団を受け入れないならば、ミャンマー政府自らが第三者機関を作り、調査を行わせ、その勧告に従うことを表明するべきだと、ミャンマー政府を説得力するから、G7で日本を支持して欲しい。」と訴え、ジョンソン氏がG7首脳会議までの期限付きで日本のやり方で挑戦することで合意し、共同声明がまとまった。
日本の立ち位置はユニークである、欧米的な文化と古来日本的な文化、アジア圏などがいいとこ取りである。クリスマスをやりながら、神社に初詣にいくなど他国ではありえないような気質がある。
世界には様々な国がある。欧米諸国的な価値観が全てでもなければ、アジア圏中東の価値観だけが全てでもない。
国によって存在する様々な価値感が許容され認められなければならない。
世界秩序が揺るがされないかぎり(国同士の交戦など)は、保証され尊重されるべきである。
河野氏は、欧米とアジア圏の架け橋を日本が担うべきと考え行動してきたと語っている。
欧米諸国とアジア圏の緩衝材の役割を担うことで、外交の力で世界平和への貢献を果たすこと、正規の軍もなく、軍事力を背景とした外交展開が不可能である限り、自国の利益だけでなく、他国への貢献抜きでは日本は生き残っていけないのだろう。
世界が急速につながり、相互に影響が強くなってきている昨今はなおさら。
河野氏が考えるポストコロナの世界展望
河野氏は本書の中で、ポストコロナの世界は「対立」だと語る。
所謂二極化だ。「民主国家と独裁国家」「自由社会と監視社会」「資本主義と国家資本主義」「自由表現社会と情報統制社会」「ドルベースの自由な金融システムと人民元ベースの政府管理型の金融システム」
中国とアメリカの対立は避ける事はできず、我々もその影響を受けることになるだろうか。
更に河野氏は、中国共産党が世界各地で繰り広げている「力を背景とした一方的な現状変更の試み」を危惧し憂慮している。防衛大臣時代に閣議後記者会見で「意図」と「能力」を見極めて行動すると発言を多数していたことも印象的である。
このような状況でも、志を共にする国との同盟を強化しながらも、民主化に目覚め歩み始めた国を支援し欧米諸国との橋渡しをするのが日本の役割と語る。
専守防衛の花形は、やはり、外交努力尽きる面がある。そもそも戦争なぞさせないんだという外交を如何に展開できるか。それが肝である。
蛇足になるが!
河野氏の新型コロナウイルスへの取り組みというと、有名なこちらがある。
Twitterでほぼ毎日発表されている。
途中ずいぶんリプライ欄が文句や愚痴や八つ当たりで香ばしくなった時期があった。
しかし、河野氏は今もずっと続けている。この記録を彼なりに蓄積し分析し何か後に役立てようとしているのかもしれないと考えながら、毎日このツイートの動向を気にしている。
不思議なもので、ここのリプライ欄。途中から、有志が自分で取った統計をリプライするようになり、今も続いている。
彼ら彼女らは河野氏から依頼されたわけでもないのに、自らやっているようである。
情報発信を継続していく中で、同志が集まる引き寄せがあるのかもしれないと思いながら、リプライ欄を拝読させてもらっている。
防災担当大臣として経験した出来事
河野氏が防災担当大臣として在任したのは、2015年10月7日~2016年8月3日である。多数の役職がつき様々な経験を積んだ時期だろう。(国家公安委員長、食品安全、規制改革も兼務)
本書では、2016年4月熊本での震度7の大震災にて陣頭指揮をした経験を語っている。
河野氏がおこなったこと。
・責任の所在は全て河野氏にあると表明
・上からの指示で困っていることは全て河野氏に報告、報告案件は全て河野氏自身が対応する
・優先順位を河野氏があきらかにし、直接指示。現場は実務に詳しい人間に任せる
・一次ソースとして、Twitterを活用。ライフラインの復旧状態を随時流す事によりフェイクニュースの拡散を打ち消すことに成功。
私は、21年会社組織で部下をやっているが、上司とは責任を適切に取れない取りたくないという生き物だという教訓がある。
上司が自分が責任を取る。責任の所在は全て自分にある。と、口に出して言って貰えることは活動する側のモチベーションは全く違うのであろうか?(自分は上司からそれを言われたことがないので、わからないのである。)
河野氏のような、実直でリアリストな上司はなかなかいない。彼は管理職よりも現場職が向いているようにも見える。
1番上の立場は責任を取ってはいけない、部下になすってナンボでなければ、あがっていけない面が組織にはある。
リーダーはミスを認め頭を下げてはいけない、血で真っ赤に染まった手の上に白い手袋をはめて、私の手は穢れない真っ白です。
という顔をしなければいけない面がある。リーダーはコケてはいけないという·····。
河野氏には世の中にある、こんな風潮を変えてもらえるリーダーシップを醸成してもらいたい。
河野氏が想うこれからの10年と私の想い
本書で河野氏は、これから2020年~2030年の10年について
「未来の子供たちが日本に生まれてきてよかった、世界の人達が日本と一緒にやってよかった日本にはたくさんの魅力がある。と考えて貰えるような具体的な手立てを講じていきたい。
」と締めくくっている。
河野氏が思う具体的な手立てとは何か?それを私なりに想像した。
河野氏の既刊から2030年を語っている文章を引用する。
まだまだ村はたくさんあります。「年金村」「教育村」「金融村」「食糧村」·····。
こうした利権を中心とした持たれ合いの構造をきちんと改めることが、これからの政治の役割です。(中略)
そのためにいま、何をすべきなのでしょうか。
まず第一に、これはあなたの問題なのだということをしっかり認識してください。
あなたが理解し、あなたが動き、あなたが情報を発信する、それが何より大切なのだと心に刻んでください。
おい、おい、ちょっと待ってよ、それは私の仕事ではない、政治家のやることでしょう、と言いたくなりますよね。
確かにそうかもしれません。でも、その政治家に仕事をさせるのは、あなたの仕事です。
あなたが長い間召使いをほうっておいて勝手気ままにやらせてきたからこうなってしまったのです。あなたは召使いに指示を出さなければいけません。
河野太郎氏既刊。2011年講談社より出版
原発と日本はこうなる 南に向かうべきか、そこに住み続けるべきか。
244~245頁より引用。
私はずっと政治に無感心であった。
私より頭が良い誰か、私より力がある誰か、私より若い誰か、私より意欲がある誰か。
誰かがやってくれる。誰かが私のためにやれば良いとずっと思っていたし、全てが他人ごとだった。
比較的政情が安定している日本では、政治に無関心なままで生涯を終えても今のところ、確かにあまり影響はない、と今までは思われてきた。
ここから先はそうも言ってはいられないだろう、日本が世界と密接に繋がる中で様々な役割を果たさなければ生き残ってはいけない。アメリカか?中国か?自由主義か?共産主義か?世界の二極化は更に進む。
その中で次代を担うリーダーを適切に選び、政府は国民に手を差し伸べ、国民は政府の動きを見ながら時に指示を出し、時に政府を助ける。
政治家と国民が不協和音を乗り越えガッチリ歯車が噛み合った時に、日本は、大きな驀進できる力が生み出せるのだと私は信じたい。
そのリーダーが河野氏であるのか、ないのか、未だわからない。
リーダー候補ではある。しかし、彼もまだ発展の途上にあり様々な問題を解決している途中にいる。
縁あってSNSで河野氏を知った私も、彼の日々の動向に注目しながら毎日勉強をしている途中にいる。
途中にいる者同士が進む路が、この先の未来の何処かで交叉するのだろうか。
それも未だわからないのである。