14日目|方法論は大事?
今日やったこと
図書館で本を借りる
TOEFL単語
期末レポの計画、若干の進捗
ゲーム
新しいこと
今からやろうと思ったができなかった。明日から
本題
Twitterは週末に燃える。Twitter中毒者なんて休日でもやることがないから、日曜でもすぐさま炎上に飛びついて油を注いだり放火しあっている。
今日は代理母出産がテーマみたいで、いつもどおり廃人たちがナワバリバトルを繰り広げていた。
そこでちょっと面白いことがあった。ある文化人類学者が失言したらしく、それについて「文化人類学とか社会学はまともな学問じゃなくて左翼の学級委員長だ」みたいなツイートがなされていた。
これは最近Twitterで流行りのアカデミズム不信・軽視の一形態で、共感するところもある。正直大学教授とかは自分の社会的立場・階層を低く見積もりすぎだし、それがマジで下位の人たちの反感を買ってる。あと学術界は、直接は知らんけど狭い社会らしく、結構「まともな」「身内に叩かれない」考えに染まっている。要は左。ということで一定先の引用リツイートも、共感するところがないではない。
けど一方で、大学教授までなってる人はなんだかんだ高いレベルの学術ができる人たちなわけで。社会学や文化人類学も分野全体として「終わっている」わけじゃあない。文化人類学者なんて、フィールドワークのためにカネがとれなきゃならん。きちんと申請して、審査に合格しなきゃフィールドワークにもいけない。研究もできない。つまり審査を潜り抜けられる程度にはきちんとした正当性、意義のある学問なわけだ。
ではなんで学者はTwitterで失言をかますんだろうか?結論からいえばこれは方法論が原因じゃないかと思う。
知的な営みに大事なのは、まず方法論なのではないか。例えば、レポートの書き方を習った際に聞いたのだが、学問分野によってレポート・参考文献の書き方が違うらしい。レポートの書き方なんていう些末なレベルまで、学問分野独自の方法論があるわけだ。ある学問が総体としてまともなのは、そこに参加する学者が一定の枠組み=作法=方法論を共有しており、その方法論を厳密に守っているかぎりまあまあ悪くない研究ができるからではないだろうか。
そしてTwitterでへまする研究者が後を絶たないのは、こういう方法論をきちんとふまえてないからな気がする。まあたかが140字のつぶやきのために何時間も熟考しろなんて土台無理な話で、結局Twitterの議論なんてのは便所の落書きにすぎないって結論でこの話は終わる。
明日やること
ゼミの会食
TOEFL単語
ゲーム
ゼミ
本を読む