三日目
今日やったこと
TOEFL対策
ゲーム大会見た
だけ。
新しいこと
髪を逆立てて周りの人間を威嚇する方法(ワックスのつけ方)をちょっと調べた。だけ。
小さな感想
ゲーム大会を見ていたのだけど、チームA(作戦にも個人技にも優れる)がチームB(勝負強いが地力ではAに劣る)にぼこぼこにされてて味わい深かった。
「試合に負けて勝負に勝つ」なんて言葉もあるけどこれが成立するのは複数の勝負軸がある場合だけで、「試合も勝負も無え!勝った方が正義!」な世界だと負けは負けと受け止めるしかないんだなあ。
個人的な感想だけど、「多くの人が参加している勝負」は複数軸があることを認めてもらえずに「でも負けは負けじゃん」と言われがちな気がする。
例えば容姿(でも顔がなぁ)とか、学歴(でも早慶だしなぁ)とか、就活・年収(結局稼げてないからなぁ)。多くの人が参加する勝負は個人の参加する/しないの意志に関係なく勝負しているとみなされるうえに、試合の規模が大きいから社会的評価への影響も大きいのだろう。(ここに強制力というか抑圧を感じるのもまあ妥当な気がする、東大男子の見た目とか女性の化粧とか)
こういう勝負は乗る乗らないにかかわらず、とりあえず頑張らないと社会的信用も得られないのかもしれない。「そういう軸があって頑張らなきゃいけない」ってことを早めに自覚することも大事だ。
ルッキズムや学歴主義やらワークライフバランスとかの用語は人間を単一の軸ではなく複数/別の軸で評価することを主張する用語だ。ただそうはいっても誰も勝負からは逃げられないし、勝負しなかったら社会的信用を失うことになる。
こういう用語は損をするから使うべきではないと思う。本当に知っておくべきは「望むかどうかにかかわらずあなたは勝負に参加している」と知ることと、それでもやる気がでない人には「それなり」を得るための金銭的にも時間的にコスパが良い方法を教えることだ。
先にあげた用語で勝負の軸を見えなくさせるのは単なる現状否認。何もしなくても勝てる人が勝ち、本気でそういう用語を信じた人が馬鹿を見るだけだ。