15日目|一緒にいたい
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レトロニム(英語: retronym)あるいは再命名とは、ある言葉の意味が時代とともに拡張された、あるいは変化した場合に、古い意味の範囲を特定的に表すために後から考案された言葉のことを指す。一つ例を挙げるのであれば、カメラにおいてデジタルカメラが出現したことで従来型の銀塩写真カメラを「フィルムカメラ」と呼ぶようになったり、ビデオカメラの登場で写真撮影を主目的とするカメラを「スチルカメラ」と呼ぶようになったりという現象である。
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%A0>
「対面授業」とかもこの一種ですね。
新宿歌舞伎町のルノアールと六本木駅チカの椿屋珈琲店が一番治安悪い
https://twitter.com/hima_kuuhaku/status/1297062001340948481?s=20
正直、めっちゃ行きたい。治安悪い喫茶店で治安悪い話盗み聞きしたい。
面白いブログを発見
https://helvetius.hatenablog.com/entry/2020/08/10/165247
喫煙と権力。僕自身は喫煙者じゃないけど、喫煙に対する風当たりは体感最近どんどん強くなってる気がする。生まれたころから正直喫煙は・・・みたいな時代を生きてきたからあんまり驚かないけど、もっと喫煙が認められたころを知ってる人からしたらかなり「息苦しい」だろうなあと思う。
あと、喫煙当事者が声を上げてくれないと、僕らの世代では「生きづらさ」に気づくことすら難しいかもしれないとも思った。非喫煙がデフォルトの世代。
❶グッドジーン指標…いい遺伝子を持っていそうか ❷グッドインベストメント指標…稼ぎのポテンシャルはどれくらいか ❸グッドペアレンティング指標…家庭的な父親になりそうか ❹グッドパートナー指標…絆を重視しているか、関係継続できそうか
貼り付け元 <https://mobile.twitter.com/Sapiensism/status/1289889665957236736>
ふーーんと思った。
そのはじまりから社会状況を念頭に案出された分野であったこともあり、今日までの30年ほどのあいだにも、クィア理論、クィア研究では同時代的な出来事への応答と理論的な問題提起とが絡み合ってなされてきました。なおピンク・キャピタリズムとは、ざっくり言えば現行社会がLGBTをビジネスの意匠として許容可能な範囲で取り込む動きのことで、主に購買力のあるゲイを念頭に置いたビジネス風潮が挙げられることが多(略)
クィアのマジョリティへの包摂とも呼べる情勢リベラル左派がしばしば用いる「未来の子ども達のための連帯」といったクリシェ。エーデルマンは、こうした「未来=子ども」のクリシェの中に、社会秩序の絶えざる再生産を必然的に肯定する根源的に「保守的」な身振りを剔抉してみせるのです。https://note.com/imuziagane/n/n652e5e92b32f
再生産を前提視する思想の保守性。「国」を主語にするなら、この保守性は必ず備える必要がある。アンチフェミとか非モテは進化学っぽいものを摂取する人が多いからか、この問題に突き当たってる人が多いように見える。
モテる人=再生産可能な人が優遇されることに不満を覚えつつも、社会とか種の連続のためには自分が淘汰される=冷遇されるのも仕方ないのかもしれない、みたいな。
小さな感想
治安の悪い喫茶店に行きたい。とても。治安の悪い話を聞きたい。
本題
渋谷がつらい話。
渋谷はつらい。自分だけが透明になって、社会から浮いているような気分になる。
渋谷にいる人は基本的に3パターンに分けられる。会社員、カップル、友達グループ。一人で歩いてる人も、だいたいこのどれかに当てはまりそうな雰囲気してる。
では自分は?まず会社員ではない。大学生なので。カップルでもない。カップルであったこともないし、カップルになる予定もない。友達グループはこの中なら一番近い。でも、友達と会う予定、大体月1。渋谷の民は大体週3くらいでしょ。
自分だけが浮いている。人間関係から浮いている。そこで、「いやいや、ゼミにも参加してるし、勉強もそこそこやってるじゃないの。君は立派に社会に参加してるよ!」と言ってくれる人もいるかもしれない。
けどそれは僕が上手く機能しているってだけの話でしかない。ゼミでの機能=適切に課題をこなし、議論し、レジュメを作成する。勉強は大学での機能。僕は所属団体でうまく機能している。ウィー―ン、ガシャン。レポートガ、デキマシタ。ウィー―ン。
渋谷はそういうつながりの場ではない。渋谷はカップルと友達グループの街だ。カップルと友達グループでは機能は求められていない。なぜなら二つは、何か他の目的のためのつながりじゃないからだ。
旅行のホテル代を節約する「ために」付き合うカップル、定期的に集合し酒を飲む「ために」仲良くなる友達。そうじゃない。恋人も友達も(多分。恋人はいたことないからわかんないけど)、一緒にいたいから一緒にいる。うらやましい!!!一緒にいたいから一緒にいる!それってもはや存在の全肯定!
僕がゼミにいられるのも、大学にいられるのも、僕がガシャガシャ機能してるからであって、一緒にいたいと思ってもらえてるわけじゃない。いらなくなれば、働けなくなったら、ポイされちゃう。大丈夫、代わりはいるor代わりがいなくても困らないもの。
それに比べて、渋谷の民はさも当然みたいな顔して全肯定されている。
でもこれはしょうがない。渋谷の民は見た目もよくて性格もよくて多分話すと面白い。誰もが渋谷の民を好きになる。僕も好き。わかっています、自分だけが浮いているのも自分だけが劣っているからだと。寂しいけど仕方ない。
このブログを読んでくれた人を、僕は全肯定する。あなたと一緒にいたいから友達になりたい。カフェで五時間くらい話したい。話さないで一緒にいるだけでもいい。あなたと一緒に。だから僕のことも・・・
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