六日目|眠い

今日やったこと

友達と三島由紀夫vs東大全共闘を鑑賞
ゼミのための論文を読む
ゼミのためにレジュメを作る


新しいこと

初めて自分でワックスつけた状態で知り合いにあったかもしれない。
短髪にしたいと自覚した。

小さな感想

単品のドリンクバー高すぎませんか?まあ下手に安くするとたむろされちゃうから仕方ないのかもしれないけども。

そういう意味ではドリンクの値段っていうのはどれだけたむろされたいかorされたくないかを示す指標=場所代ともいえるのかも。そう考えると、単品ドリンクバーもそれほど高くない気がする。

ファミレス、柔らかい席と広い机、コンセントがあってカップルがいない。場所として有能。

それに対して☆バックス、固い椅子、極狭机、コンセント(たいてい)なし、カップル大量。いろいろ気に入らない。


本題

映画の感想。深い議論は自分の記憶力がないせいで思い出せないので、とりちらかした感想になっちゃう。

自分は「あの時代」の空気について村上春樹の小説、安田講堂たてこもり、あさま山荘事件の鉄球の映像くらいの前提知識しかもっていなかった。

ある大きな事件があると、特にそれが悪い意味でも衝撃的な事件だと、ある程度時間が経ってからそれを題材として作品が作られることはよくある。

自分は「輪るピングドラム」という幾原邦彦さんが2011年に作ったアニメが好きなんですが、この作品はオウムの地下鉄サリン事件が明らかに意識されている。扱っているテーマは現代の若者の悩みみたいなものも含んでいるから、自分はその部分については理屈のうえでも感覚の面でも理解できる。

しかしオウムの事件についての側面は、不十分な納得のまま残されてしまう。好きな作品は自分なりにできるだけ理解したい自分としては、当事者として事件に接した人ほどではなくても、理屈でも感覚でもいいからなんらかの理解を得たいと思っていた。

今日映画をみたのもこの願望からである。今自分が好きな作品の作り手は大抵自分より一世代上でその人たちの感覚とかも自分が生まれる前に形成された部分がある。そしてその感覚形成に大きな影響を与えた事件は、さらにそれ以前の歴史的な流れをくんでいる。繰り返せば無限後退に陥ることになるけど、自分としては今の作品の理解のために最低でも戦後以降の流れ、空気感を理解したかった。

内容の感想。この映画は三島と東大の学生の討論を軸に、当事者などへのインタビューと今話題の東出昌大さんの歴史解説を加えたドキュメンタリー。

自分が最も印象に残ったのは、彼らが他者というものをどうとらえているかについて討論したことだった。なぜなら現在のTwitterでのリベラルは他者について考えているようで考えていないことが多いように見えるからだ。

現在のところ、いわゆるリベラル層は他者のことを属性の集合くらいにしかとらえていないように見える。他者へのリスペクトやPCは他者の尊重にみえて、実際には自分と他人との間に生まれる独自の関係を見えなくさせ、属性ごとの正解コミュニケーションをとるだけといった事態を招いているのではないか。

属性で人をとらえ配慮するのは、優しさに見えて実際にはある属性集団として人をとらえる集団主義になっている。政策決定の場においては属性分類は効果的だろうけど、例えば性、家族などの個人の問題については属性に頼った論ではなく「人にとって他人とはどういう存在か?」といった側面を考える必要があると思う。


明日やること

TOEFL対策をやる。
コミュニケーションの方針
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