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【散文】余興

友人Tがうどんを食べながら号泣していた。
式場で余興のリハーサルをした帰りだった。

その余興は、僕とTの共通の友人であるHの結婚式で行うものだ。
映像+寸劇をするらしく、今回のリハーサルでは、映像の確認と余興の流れをプランナーさんと話し合うために時間が使われた。「するらしく」と書いたのは、ほとんどその余興に僕が関与してないからである。いわば、ただの付き添い人というやつだ。

今日、初めて結婚式で流す映像を見たが、プランナーさんが気まずそうに体をくねらせるほど、狂気に満ちた内容だった。一部だけを伝えると、半裸の男が複数の風船を叩き割るシーンが出てくる。

「いいと思います」

明るい笑顔を絶やさないプランナーさんが初めて苦い顔を見せた瞬間だった。

それでも、一本の短編映画として見れるほど、画面作りから音質に至るまで凝った編集がなされていた。
彼は二日間徹夜をして、この映像を仕上げたという。
結婚式に相応しいかどうかはまた別の問題だが、映像のクオリティだけは確かだった。
作った本人もプランナーさんの苦笑いはお構いなしに、満足げな笑みを浮かべていた。

しかし、なぜだろうか。
彼はその帰りに寄ったうどん屋さんで、うどんのような鼻水を垂らしながら号泣していた。

「なんで俺はこんなについてないねん」

小学校からの付き合いだが、彼が本気で泣いている姿を僕は初めて見た。
泣いている理由は、自分に彼女ができないからというものだった。それだけのことで、とも思ってしまったが、彼にとっては人生最大の問題らしい。

いつもなら、「前世で賽銭泥棒でもしてたんかな」と自虐に変え、笑い飛ばすはずだが、今回に限ってはそうはならなかった。

彼は愛に飢えていた。

彼だけではない。
僕のまわりに限った話かもしれないが、ここ最近、愛が枯渇している。恋愛小説を読んでいても、現実味がなく、僕らとかけ離れた世界のように思えてしまうのもそのせいかもしれない。
その状況下で、ふと現れる、愛を体現した存在を前にすると、逃避という軽食で凌いでいた飢えが一気に引き返してくるのだろう。

彼は鼻水だらけのうどんをたえらげ、月に吠える勢いで店を飛び出した。
僕も慌てて店を出た。
彼は信号機の前で佇みながら、か細い声で、「おなかいっぱい」とだけ言った。

僕は帰宅し、送られてきた余興動画を再視聴した。
すると、彼は友人Hを心の底から祝福していることがよくよくわかった。自分が送った祝福の光が強すぎて、その跳ね返りが彼の心をえぐったのだろう。

身近から幸せで眩しい光を浴びたとき、自分もその光の中心になりたいと思う時がある。なれないことを自覚すると、つくづく自分の人生は余興に過ぎないのだと感じる時がある。

彼に何も言えなかったことを後悔しているが、安易な慰めをするよりマシだったかもしれない。
特にオチも何もないが、コロナも落ち着いたので、人との直接的な縁が増える世界になったらいいなと、そう思った。

友人Hおめでとう!そして、友人Tにも幸あれ!

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