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イナーワールド 第1話「終焉の月」

《あらすじ》

上空からラッパの音が3回鳴ると、世界は歪みだし、終焉へと向かった。
パニック状態の群衆に紛れて逃げ惑う内島辰と三日月楓は、謎めいた少女ステラに導かれて町はずれにある外界から閉ざされた廃校舎に連れていかれる。そこには、辰と同様、21人の高校生たちが集められていた。ステラは、「この世界の元通りにするためには、この中にいる崩壊招いた元凶を殺す必要がある。ただし間違えてとある一人を殺してしまうとその時点で世界は破滅する」といったことを告げる。廃校舎に隠されたヒントをもとに、元凶を割り当てる。世界をめぐるデスゲームが始まった――(261文字)

第1話      終焉の月
 人生に無駄なことは、ひとつもない。と、亡き父は繰り返し言っていた。
  元々はべつの誰かの名言だろうか。そこらへんによく転がってそうな文句ではある。
 人生に無駄なことは、ひとつもない。
  それは誰にとって無駄ではないのだろう。父にとってだろうか。神にとってだろうか。自分にとってだろうか。
 少なくとも寿命のある生き物にとって、この世は無駄なものである。彼らに訪れるこの世のゴールは等しく「死」であり、最終的にすべてが「無」となる運命を背負っている。
 そして、俺はまさに今「無」になろうとしていた。
 おそらく俺は夜の海の中にいるのだろう。夜の海水がもつ冷気が皮膚の内側まで浸透する。
 自分という存在を蝕んでいくように、底の無い暗闇が俺を少しずつ呑み込んでいった。
 群青色の天井には黄色い丸がゆらゆら揺らめいていた。もがけども、もがけども、自分が沈んでいく速度は変わらず、歯と歯の隙間から漏れ出す空虚な水泡が上へ上へと昇っていくだけだった。
 父はやはり噓つきだ。
  人は「無」から生まれて「無」に還るのであれば、その中にある人生とやらも「無」同然じゃないか。
 死を自覚することで「無」の色が眼前にはっきりと映る。
 それでもただ「無」に侵されていくことが悔しくて、無駄な足掻きをひたすら続けた。
 水上からは微かに呻き声のようなものが聞こえる。外部から聞こえるその音と、俺の内側から響く心の叫びが、不協和音となって海に沈んでいく。
 徐々に黄色い丸が点になっていき、意識も視界も霧のように薄くなっていった。
 しかし、しばらくすると苦しみから快楽へと変わっていき、冷え切った身体にぬくもりがまといだした。一定のリズムを刻む電車の音と、血液まで浸透するわたあめみたいなやさしさが、俺のすべてを包み込み、まるで胎内にいるような錯覚に陥る。
 死に向かう感覚よりも生まれる感覚に近い。
 暗闇に沈み切ったはずだが、再び光を取り戻していた。意識も視界も晴れていく。俗に言う、生まれ変わりか。異世界転生か。先ほどまでの絶望とは打って変わって、明るい希望を抱いていた。
 今度こそ俺は「無」にあらがってやる。
 今度こそ……。
 あ、生まれる。
「おぎゃー、おぎゃー」
 俺は肚の底から世界を震撼させるほどの産声を上げた。
 けれども、生まれてきた俺を包み込んだのは母の腕ではなく、三年二組の壮絶な笑い声だった。青白い蛍光灯が見慣れた教室をくっきりはっきり照らし出していた。
「内島くん、ママのおっぱいでも飲みまちゅか?」
 前の座席に座る前島健斗は親指を咥えながら、ニチャニチャした笑みを浮かべている。
「……、ここって異世界ではないよな」
「紛れもない現実世界だって。内島が数学の授業中に産声を上げたのも紛れもない事実」
「……、そうか」
「何回か起こしてあげたんだぜ。あまりにも起きないから死んでるのかと思ったわ」
「……」
「とりあえずよだれ拭けよな」
 俺は慌ててブレザーの袖で口元をぬぐった。
 その前島の隣に座る三日月楓は、目つきの悪い冷ややかな視線を俺に向けてくる。本人は小声のつもりだろうが、彼女の口から漏れ出たこの上ない「きっしょ」はしっかり俺の耳に届いていた。合わせ鏡のように三日月の「きっしょ」が心の中で反芻される。
 窓から差し込む現実の光が、じりじりと俺を焼いていた。
 いますぐ「無」に還りたい。
 教室は蝉時雨のごとく賑やかだった。
「みんな静かにしよう」
 クラスの委員長である吉田幹人が教室を一蹴する。成績優秀、容姿端麗、その上人望も厚いという三点セットを兼ね備えた彼は、まさに委員長の中の委員長である。
「そうだ。授業中だ、静かにしろ」
 数学教師も吉田に便乗するように、注意を促す。
「それから内島辰。次また寝たら出てってもらうぞ」
「すみません」と俺は一言謝った。
 以降、教室はぱたりと静まり返り、緊張感のある空気へと変貌した。吉田の声掛けのおかげでもあるだろうが、やはり高校三年生の夏だからということも大きい。
 自称進学校のわが校は、九割以上が進学する。黒板に向けられる彼らの視線は獲物を狙うヒョウのごとく鋭い。
 進路も就職先も将来のことは何一つ決まっていない俺にとって、この空間は苦痛でしかなかった。彼らのように将来への希望を抱き、目標に向けて努力をしている姿を眺めていると、相対的に自分が惨めに思えてくる。
  将来のことを考えようとするだけで脳が拒絶反応を起こし、思考がまっさらになる。今ここにいる自分についてもよくわかっていないのに、未来についてなんか、考えられるわけがない。
 光の矢のごとく過ぎゆく時間にいつも自分だけが取り残されてしまう。時の流れに乗れず、事あるごとに立ち止って考える癖がよくないのかもしれない。そうはいっても、ほとんど無意識的に、今ここにいる不可解な自分を意識せざるを得ないのだ。人には向き不向きがあるが、俺は生きるのに向いていない。
 いっそこの世界ごとなくなってしまえば楽なのに。
 授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「うちしまーやらかしたな」
 前島が憎たらしい笑みを浮かべながら、俺の産声をぶり返してくる。
「何の夢見てたんだ?」
「海に溺れる夢」
「内島は泳げないもんな。パニックになって赤ちゃん返りしちゃったか」
「ちげーよ。俺もよくわかんねえけど海の深いところまでいったら光みたいなのが見えてそっから生まれてきたんだ」
「意味わかんねえな」
「うん、俺もわからん」
「まあ夢なんてそんなものさ。夢にまで合理性を求めたら息苦しくなってそれこそ溺れちまうよ」
「現実も十分非合理に満ちてるけどな」
「あんたそのくだらない夢について話してる暇があるなら進路調査書きなさいよ」
 前島との会話に横槍を入れてきたのは三日月楓だった。窓の隙間から吹く風に、彼女のブロンドの髪が光の糸のように揺れている。
 進路希望調査票の最終締め切りが、今日の放課後までであることをすっかり忘れていた。正確には忘れているふりをしていた。
「まだどこにするか決まってない」
「は? あんたもう七月よ」
「まだ七月だからだよ」
「ただでさえ存在感の薄い、人望もない、友達もろくいない、その上自意識が強くて頭の中ではねちねち考えているくせに一向に行動に移さない、しかも自分の将来や即物的なことに関しては何も考えられていない、自分は常に被害者だと思ってるどうしようもないゴミくず童貞で虫けらみたいな存在にも関わらず、どこにも所属しなかったとしたらそれこそ居場所がなくなって消えてしまうわよ」
「い、言いすぎだろ……」
「あくまで調査なんだから適当に書いて出せばいいのよ。それにしてもだらしないわね。普段から将来について何も考えずにぼーっと生きてるからそうなるのよ」
「考えてるさ。考えれば考えるほどわからなくなっていくんだよ」
「それは考え方が悪いのよ。進路なんて夢と実現可能性から逆算して考えるものなの。夢がなければ自分の実力値に沿った学校を選んどけばいいのよ」
「そういう三日月はなんて書いたんだよ」
「秘密」
「なんだそれ」
 三日月は冷徹な表情のまま席を立ち、教室を去っていった。
 三日月は何かと俺に突っかかってくる嫌なやつだ。
「なあ、ちらっと見えちまったんだけどよ。あいつも白紙だったぜ」
 前島はにやりとしたいやらしい目つきでそう言った。
 最後の授業が終わった。現代文の教師はチャイムが鳴る5分前に授業を切り上げ、さっさと職員室へと戻っていった。
 結局、進路調査票は書けなかった。
 だからこそ誰よりも早くこの教室から出る必要がある。「あ、忘れてた」で押し切るため、誰かに指摘される前に、教師に見つかる前に、姿を消す必要がある。昼頃に三日月が進路調査のことを触れてきたが、人は数時間も経てば忘れるものだ。現に今朝自分が何を食べて何をしていたかすら覚えていない。
 リュックサックに空の弁当箱と進路調査票が入ったファイルを入れ、チャックを閉める。帰宅部らしくスムーズな帰宅をするため、家までのルートを頭の中で確認しながら心のクラウチングポーズをして待機する。チャイムを聞き逃さないため、スピーカーに耳を傾けていた。
 しかし、実際に聞こえてきたのはチャイムの音ではなく、別の終わりを告げる音だった。
 不気味な低音を下げながら歪んで伸びるラッパの音が窓ガラスを激しく叩く。空気の振動が目に見えるほどの鳴動に、教室中が震撼した。突然の出来事に誰もが唖然とした表情で立ちすくんでいた。
「何!? 何の音?」
「警報?」
 続けて二回目のラッパ音が鳴り響いた。
「どこから鳴った?」
「音がでかすぎてわかんなかった」
 そして、三回目のラッパ音が聞こえると、窓の外にある青空が割け、世界が赤と黒に支配された。俺はただ黙ってその異変を眺めることしかできなかった。
  また空が唸りだすと、折り紙を真っ二つにするようにビリビリとその空が破れていき、黒々と渦巻く深淵から巨大な赤い月が顔を出した。人間が視認できる速さで自転していた。その月が、我々に世界の終焉を告げに来たように感じた。
 一度は世界の終焉を望んだとはいえ、実際に起きてみると、後悔と焦燥の念しか湧いてこない。
 これこそ夢だと思いたい。
「何が起きてるんだ」
 必死に絞り出した言葉もありきたりで答えが返ってこないとわかりきっているものしか出てこない。あまりにも唐突すぎて、世界の変化に自分の思考と身体がついてこなかった。
 しばらくすると地面が揺れ出し、天井から塵や埃が降ってきた。先ほどまで状況が整理できずに静止していた三年二組は一斉に悲鳴を上げ、パニック状態に陥っていた。
「みんな落ち着いて」
 この状況でもリーダーシップを発揮する委員長の吉田幹人だったが、彼の力をもってしてもこの場は収まらなかった。クラスの半分の十八人ほどは不安定な足場の中、千鳥足で教室を飛び出していった。
 掃除道具入れが床に倒れる音と、ガラスが割れる音が交差する。俺は目をつむったまま無我夢中で机の脚を鷲掴みにし、頭を必死に守っていた。
 数分経つと、揺れは落ち着いた。
 恐る恐る顔を上げると、机や床に窓ガラスと蛍光灯の破片が散りばめられ、ロッカーや机などが入り乱れる混沌とした光景が広がっていた。教室の外にまで物が飛び散っている状態だった。
 とにかく安全な場所で状況を整理しなければならない。教室に残った者たちは、避難するために、三階のこの教室からグラウンドを目指した。
「ほかのみんなは大丈夫かな」と一人の女子生徒が言った。
 東側の階段から天井が崩れる音とともに鋭い悲鳴が聞こえた。
「きっと大丈夫さ。早く僕たちもここから出るんだ」
 委員長である吉田幹人の指示に従って、西側の階段から降りる。
 それまで通った教室は瓦礫の山と化していた。廊下には血の小川がところどころに流れている。
 ある女子生徒はむせび泣き、ある男子生徒は嘔吐していた。それぞれが死の恐怖におびえながらもなんとか足を動かし前へと進む。
「アカリ!」
 一階にたどりついたその時、三日月は東側の廊下に向かって声を上げた。
「お姉ちゃん」
 俺たちとは反対側の階段付近に人の影が見えた。その影が全速力でこちらに向かってくる。よく見ると、三日月によく似たサクランボの髪飾りをした少女だった。
「アカリ、無事でよかった」
「みんなみんないなくなっちゃった。わたしは、わたしはトイレに行ってて」
 涙を流しながら途切れ途切れに言葉を発する。もつれる足を奮い立たせて何度もこけながらも必死に前に進んでいた。
 その時だった。
 またもや地鳴りとともに天井が崩れ、瓦礫と土煙がアカリの姿を隠してしまった。
「アカリー」
 アカリの元へ駆け出そうとする三日月を、側にいた男子が抱きかかえて止める。
「やめて、放して」
「だめだ危険すぎる」
「アカリーアカリー」
 必死に抵抗するアカリをその男子は身を挺して止めた。
 吉田もその男子に賛同するように三日月の肩に手を添え、「今は早く避難すべきだ」と声を大にする。
 この天井の崩壊を機に、校舎全体が崩れ出していた。自分たちの真上にある天井からもヒビが這いまわる音が聞こえる。
 すでに何人かは学校の外に避難していた。
「アカリ……」
 普段は強気で決して涙を見せない三日月が、その場で泣き崩れていた。
 校舎が完全に倒壊するのは時間の問題だった。
「俺が行くよ」
 俺は廃人と化した三日月と入れ替わるように瓦礫の山の方へと歩き出した。
 三日月は口を開いたまま一瞬目線を上げた。「絶対妹を助けて」と強く目で訴えていた。
 しかし、俺のこの行動はカッコつけるためでもなく、三日月の妹を助けたいからでもなく、自分の墓場を見つけるための行動だった。
 もともと自分が生きていることに疑問を抱いていた。何を指針に生きればいいかわからなかった。将来の夢もなく、高校からは部活にも入らず、日々の楽しみもこれと言ってなく、ただ惰性で生きていた。しかも、世界がこうなった以上、生きることに固執する必要はない。あの禍々しい空を見ればわかる。近いうちに世界は終わりを迎え、結局は全人類消えてしまう。
 それに三日月を止めていたあいつらも、俺のことは特に止めにこなかった。
 唯一後方から叫びながら止めてくれたのは前島だけだった。
「みんな逃げろ」
 吉田の合図と同時に、彼らと俺の間に瓦礫のパーテーションが設けられる。
 一人となった俺は、三日月の妹が埋もれているであろう瓦礫の山をかき分ける作業に取り掛かった。
 ぺしゃんこに潰れた蠅の死骸が貼りついている瓦礫をめくると、人の頭らしきものがそこに見つかった。顔面はコンクリートで潰されていて確認できなかったが、わきに落ちていたサクランボの髪飾りですべてを察した。もう手遅れだった。
 自分の右手に目を向けると、現在空に浮かぶ真っ赤な月と同じ色に染まっていた。その手を上にかざし、生温かい血液が肘を伝い、脇まで流れ込んでくる様子をしばらく眺めていた。
 この光景と感触を通して、これは夢じゃないことを確信した。
 俺も死ぬんだ。
 彼女のサクランボの髪飾りをポケットに入れ、一心不乱に東側の非常口を目指した。死ぬつもりで行動したはずが、生きるために今行動している。矛盾した思いを抱えたまま、とにかく出口を探し続けた。
 足場の悪い廊下を壁伝いに進むと、十メートル程先にある非常口から光と共に誰かが入ってきた。
  柔らかなウェーブで巻かれた、肩にかかる栗色の髪。おっとりした印象を与える大きな瞳。同じ松ノ江高校の制服。間違いなく彼女は向日葵日向だ。高校では一度も同じクラスにならなかったのもあり、しばらく疎遠になっていたが、小学五年生からの付き合いになる。昔はよく二人で遊んでいた仲だった。
「グラウンドにいないから心配したよ」
「なんで日向がここにいるんだよ」
「だからその探してて……」
「世界はいったいどうなってるんだ?」
「あっ、えっとそれはわたしにもわからない……、ごめん」
 明るくて快活な印象を与える名前に反して彼女は物静かで内向的な性格である。
「と、とにかく急がないと天井が」
「ああわかってる。日向はそこで待っていてくれ」
「わかった」
 日向のいる方へ足を大きく踏み出した瞬間、悲鳴の混じった轟音と共に視界が強制的に閉じられた。もはや回避する術はなかった。天井が俺に降りかかってきたのだ。
  瞬間的に捉えた、恐怖で歪んだ日向の顔が、なぜかこの上なく美しく感じられた。その時、生きたいと強く思った。
 向日葵日向は両ひざを地面につけ、両手で顔を覆いながら泣き崩れていた。彼女に共鳴するように、校舎が、世界が、音を立てて壊れていく。
「おい、いつまで泣いてるんだよ」
 俺は日向の肩を軽くたたき、顔を上げさせる。
「な、なんで?」
「不思議なことが起きたんだ。とにかくここは危ないから離れよう」
 無理やり日向の腕をつかみ、その場を離れるように誘導する。
 校舎が完全に崩壊すると、あたりが開け、外の状況を把握することができた。グラウンドには俺と日向しか人はいなかった。
 学校だった場所を出て、俺たちは崩壊した町を徘徊した。
 悲鳴を伴って逃げ惑う群衆がどこに向かったらいいのかわからない様子で走り回っていた。彼らは滝のように俺と日向のわきを通り抜けていく。
 ビル群や細長い建物はゴッホの描く糸杉のように揺らめき、ソフトクリームのように捻じれているものもあった。アスファルトからは砂が噴水のように噴きあがっている。一本道に連なる家々は軒並み崩れていた。電柱は曲がり、車はジャムのように潰れ、町じゅう火の海になっていた。
「わたしたちはどこに行けばいいのかな」
「さあ」
「みんな死んじゃったのかな」
「わからない」
「これからどうしたらいいのかな」
「どうすればいいんだろな」
「でも一人じゃなくてよかった」
「……」
「そ、そういえばさっきどうやって助かったの? 天井が落ちてきてそれで……」
「ああ、急に体が透明になって瓦礫の山をすり抜けられたんだ。ありえないけど実際世界でありえないことが起きているんだしありえることなんだろう」
「いまも透明になれるの?」
 頭の中で何度も透明になるイメージをしてみたがなれなかった。
「だめだ。あの時が特別だったのかもしれない」
「と、とにかく辰くんが無事でよかったよ」
 目を逸らして、身をよじりながら日向は続けた。
「懐かしいね、こうして二人で歩くの」
「そうだな、中学生ぶりだな」
「高校も同じだったけどクラスも違ったしなかなか会えなくなったもんね」
「俺が半分不登校になったのもあるしな」
「うん……、なんで美術部には入らなかったの?」
「なんでだろうな。絵を描くことに飽きたからかな」
「せっかく上手かったのに。それに絵を見るのも描くのもすごく好きだったよね」
「上手いって言ってもそこそこだし絵は上手いからって優れてるわけじゃない」
「わたしは辰くんの描く絵好きだったんだけどな」
「日向はまだ美術部入ってんの?」
「ううん、入ってない。途中でやめちゃった」
「どうして? 日向こそ絵を描く才能があってたくさん賞ももらってたじゃん」
「どうしてだろうね。わたしも途中で飽きちゃったのかな」
「へーまあ部活なんて入ってても仕方ないよ。しんどいだけだし」
「そうだね」
 日向はわざとらしく大きく息を吸う。
「あ、あのさ。こういう状況だしよかったら一緒に生活しない? へ、へんな意味じゃないよ。そのたぶん世界中がこういう状況だとおもうんだよね。それだとどっちにしろ逃げる場所もないしまだ崩れてない家とか探して一緒に住んでみたらど、どうかな? それでまた一緒に絵描いたりして過ごさない?」
「いやまだ全世界がこうなったとは限らないし少しでも情報が得られるよう動いた方がいい」
「で、でもこの先どうなるかわからないし。二人でも楽しいと思う……。それに救助が来るかもしれないしあんまり動かない方が……」
 俺はポケットにあるサクランボの髪飾りを握りながら、これからどうするべきかをしばらく考えていた。
 いつの間にか俺と日向は誰もいない公園に入っていた。
 鉄棒と砂場しかないさみしい公園はとても静かだった。砂場に刺さっている赤いスコップがやけに気になって、数秒ほど眺めていた。その隣には青いスコップがぷかぷかと浮いている。
 すると、どこからともなく背の低い少女が薄気味悪い笑みを浮かべて俺たちの目の前に現れた。純白なワンピースに絹のような長い金髪が腰までかかっている。顔は幼いが、碧眼で整った顔をしている。いかにも光輪と翼があると思い込んでしまうほどに天使のようなオーラを発しているが、その光のオーラの中に悪魔が内在しているような不気味さも感じられる。
「おぬしらこの世界の救世主にならぬか?」
 突然、小学生ぐらいのその少女が小学生らしくない口調で話しだした。
「この世界が元通りになるかもしれないんじゃよ?」
「その前におまえは誰だ?」
「ステラじゃ。アルフォンヌ・ステラ」
「何者?」
「おい、まずはわしの質問に答えんかい」
 見た目と口調にギャップがあるステラという少女は一体に何者なのか。この世界を元通りにするとはどういうことなのか。展開が早すぎてなかなかついていけない。
「それでどうするのじゃ?」
 ステラは仁王立ちをして俺たちの返事を催促する。
「世界を元通りにするってどうするのですか?」
 ステラの圧に押されたためか、丁寧語で話す日向。
「それはおぬしらの返事を聞いてからじゃないと答えられぬな」
「わかった。ここで死を待つよりよさそうだし、だからその方法を教えてくれ」
「まって。なんだかこの子怪しいよ。それにわたしたちがわざわざやらなくてもいいんだし……」
「それはわからぬよ。おぬしらじゃないと救えぬかもしれん」
「それは……、どういうことですか?」
「じゃから返事を聞いてからじゃないと教えるわけにはいかぬな」
「わかったって。いったん話に乗るから早くいろいろ教えてくれ」
「辰、ま、まって」
「日向はどっちでもいいんだぞ」
「し、辰がそうするならわたしも……」
「決まりじゃな。ついてこい」
 次の瞬間、ステラの背後に空間の裂け目が出現し、その裂け目に吸い込まれるようにして俺たちは謎の廃校舎へと移動させられた。
 荒んだ黒板や腐った木枠にはまった窓、整頓はされているがあまり使われていないことがわかる古びた机と椅子。同じような教室がずらりと並ぶ廊下の壁は、ところどころ剥がれており、床には埃が積もっていた。廊下自体は狭く、薄い月明りがさす箇所以外は不気味なほど暗かった。
 ここがどこかもわからず、他に気になることも聞けないまま俺と日向はステラの小さい背中について歩いた。ただひとつ聞けたことは一応この校舎には電気が通っており、明かりが点く部屋はあるといった情報だけだった。
「もうすぐみんなのところに着く」
「みんなって?」
「もうすぐわかるからいいじゃろ。質問ばかりする男はモテぬぞ」
 窓の外は、先ほど見た地獄のような景色と変わらないものだったので、ここが異世界や全く別の空間というわけではないのだろう。
 ギシギシと鳴る廊下を進み続けると、ちょっとした広間に出た。
 そこで初めてステラが言う「みんな」がわかった。
「内島。無事だったか」
 涙を浮かべた前島がこちらに駆け出してくる。
 そこには、前島や委員長の吉田など、そこに十八人のクラスメイトがいた。三日月の姿もあった。一人だけ見慣れぬ制服を着た白髪の少年がいた。
  ステラを抜くと俺たち合わせて二十一人がこの場に集った。
「内島、俺心配したんだからな。まさかあの状況から生還できたなんて奇跡だろ」
「ああ、運がよかったよ」
 前島の背後から三日月が近づいてくるのが見えた。俺は咄嗟に下を向いてしまう。
「アカリは?」
「……ごめん」
 恐る恐るポケットの中にあるサクランボの髪飾りを三日月の前に差し出した。
 てっきり激怒して殴られると予想していたが、「そう」と一言だけ言い残し、そのまま黙って髪飾りを受け取った。
「ありがとう」
 三日月はそう言うと、俺に背を向けて広間の端に戻っていった。彼女の背中はかすかに震えていた。
「皆の衆、わらわに注目するがよい。いまから大事な話をするぞ」
 ステラは広間にあらかじめ用意されていた台の上に立つと、得意の仁王立ちで周りの視線を集める。
「この世界は終わった。おぬしらはこの世界を修復する救世主となるのじゃ」
「だからどうやってだよ」
 野球部の昨夏蹴斗が口をはさむ。
「だまって待っておれ。どいつもこいつも質問ばかりで飽き飽きするわい。わしを抜いたこの二十一人のなかにこの世界を崩壊に導いた元凶がおる。その元凶を殺せばすべてが元通りになる」
「すべてって死んだ人も?」
 三日月は食いつくように身を乗り出す。
「そうじゃ。元凶がこの世界を終わりに導く前に戻るのじゃからな」
「じゃあ私がここにいる全員殺せば……」
 三日月は髪飾りを持った手を強く握りしめる。
「まあ待つのじゃ。どいつもこいつもせっかちなやつらばかりじゃの。もう一つ大事なことがある」
「大事なこと?」
「この中に絶対殺してはいけない者もおる。そやつを殺してしまうとその瞬間この世界は破滅し全人類が滅びることとなるじゃろう。くれぐれも殺す者は慎重に選ぶのじゃぞ」
「でもどうやって判別するの?」
「この校舎にヒントがあるからそれを頼りにするがよい。あまり時間をかけすぎると先に世界が消滅してしまうからの、気をつけるんじゃぞ」
 大窓から見える赤い月がニヒルな笑みを浮かべて俺たちを眺めていた。


(29424文字)

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