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わたしはわたしの人生の主人公でしかない

※「ハイキュー!!」の内容について触れています。
未読の方はご注意ください。



少年マンガを読むたびに、思うことがある。

「主人公は異常だ」

どの作品の主人公も「自分が夢を叶えること」を信じて疑わない。そしてその夢のためなら、なんだってする。敵に勝つため、だれよりも強くなるため、「自分の好き」を絶対に裏切らない。
その執着が、信じきる強さが、異常だと感じてしまう。

ハイキュー!!の主人公、日向翔陽は言った。

「負けたくないことに理由っている?」

バレーが好きだから。だれよりも長くコートに立ちたいから。自分の夢に対する異常なまでの執着は、作中でも色濃く描かれている。
「負けたくないことに理由がいるのか?」そう日向に問われた、もう一人の主人公、影山飛雄はこう言った。

「腹が減って飯が食いたいことに理由があんのか?」

影山飛雄もまた、異常だった。
誰にも負けないこと、強くなることは、影山にとって「食欲」と同じレベルで当たり前のことだった。バレーが好きで、だれよりも長くコートに立つために、幼いころから真摯にバレーに向き合ってきた。その真摯さは時に周囲を振り回し、信頼を失わせ、影山自身を孤独に追いつめたりした。

二人は、作中で「変人コンビ」と言われていた。
二人が使う攻撃が特殊だということもあるが、その呼び名には周囲が二人を見る目線。純粋に強さを求める様子への「畏怖」がこめられているように思えた。

天才。奇才。バケモノ。
常人の理解が及ばないレベルの人間を、わたしたちはこう呼ぶ。
とびぬけた才能。それに慢心せず、純粋に強さを求める心。夢にたどり着くためなら、凡人ならば手放すことを躊躇してしまうようなことも捨てることが出来る強さ。その様子は恐ろしくて・・それと同時に、とてつもなく憧れる。

そう。どうしたってうらやましくて、かっこいいのだ。

幼いころは主人公が大好きだった。強くて、優しくて、かっこよくて、最後には必ず、夢を叶える。自分もそうなれると信じて疑わなかった。
でも、大人になるにつれ、気づく。

「自分は、主人公にはなれない」
”信じる”は強い。でも同時に、とても苦しい。
自分を、夢を、信じるきることが、とてつもなく難しいことに気づいていく。
だから、それができる主人公にどうしたって憧れて、でもそのたびに自分にはその強さがないことが浮き彫りになっていく。

逃げ出した負い目はなくならない

そんなバケモノたちが主人公であるハイキュー!!のなかで、わたしが一番共感したキャラクターがいる。

縁下力(えんのしたちから)。
日向たちと同じバレーボール部の一年先輩である彼は、一度部活から逃げ出したことがあった。

厳しすぎる指導に耐えかねて、「ちょっとくらいいいか」そんな気持ちでズルズルと部活を休んだ。最終的には部に戻ることになるのだが、それでも縁下の心から「逃げ出したことへの負い目」がなくなることはなかった。
わたしには、その気持ちが痛いほどわかる。

だってわたしも、逃げ続けた人生だったから。

いろんな夢をみた。絵を描きたい。人の役にたちたい。なんかすごい人になりたい。淡い夢から、真剣な夢まで。でも、そのほとんどを諦めてきた。もっとすごい人がたくさんいて、わたしには無理だ。タイミングが悪い。お金がない。できない言い訳をみつけては、逃げてきた。叶えられなかったときの絶望を味わうくらいなら、逃げた方がマシだと思っていたから。

逃げることは簡単だった。言い訳は、探せばすぐに見つかった。でも、そんなことを繰り返すたびに、自分が陰っていくように思えた。それに比例して主人公たちはどんどん光り輝いていく。目を向けていられないくらいに、まぶしい。

「あぁ、自分もあんなふうに強かったら」

もしかしたら縁下も、わたしと同じように、日向たちのことを見ていたのかもしれない、なんて、思ってしまうのだ。


バケモノにはなれないけれど

物語終盤では、日向たちがプロになったころの様子が描かれる。
高校時代に戦った猛者たちや、長くプロとして活躍するベテラン・・もうそこにはバケモノしかいなかった。強くあること、勝つことへの異常なまでの執着。それが当たり前の世界。そのまぶしさに目をくらませながらも、しっかりと目をむけると、そこに描かれた、もうひとつの物語に気づく。

主人公以外のキャラクターたちの物語。

バレーを続けているもの、辞めて違う道を歩んだもの。きちんと、それぞれの人生を生きるみんなが、そこにはいた。

そのなかのひとり、高校時代、日向たちと全国の舞台で戦った稲荷崎高校の元キャプテン、北信介のセリフが心に浮かび上がった。

「結果より過程が大事」と大人が言うて
子供はイマイチ納得せん
でも俺は大人に大賛成や

俺を構築すんのは毎日の行動であって
”結果”は副産物にすぎん

その言葉を思い出して、気づいたら泣いていた。
彼の言葉はきっと、ハイキュー!!という物語だけではなく、それを見守るわたしたちに言っている言葉なんだと思った。

好きを信じ切らなければ。
最期までやり遂げなければ。
結果にこだわりすぎると、そんな自分の思い込みにがんじがらめになることがある。でも、ちゃんと足元を見れば、振り返ってみれば。
自分が”やってきたこと”が、たしかにある。

バレーボールというひとつの道を信じ、ただひたすらに突き進むバケモノたち。その姿はどうしようもなくかっこいい。でも、正解はひとつではない。そして、バレーボールを選ばなかった彼らの新たな人生には、間違いなく”あの日々”が生きている。

さきほど紹介した、わたしが一番共感してやまない縁下は「理学療法士」という仕事についていた。スポーツをする人も、一般の人も、みんなの体を労わり、支える仕事。
「縁下力」という名前にふさわしい仕事。
きっとその決断にも、あの日々が生きているんだと思った。逃げた負い目を捨てられないまま、バケモノたちのまぶしさに飲み込まれそうになりながら、それでも歯を食いしばったあの日々が、彼の筋肉になっているのだと。


わたしは、日向にも影山にもなれない。
というか、あの物語のだれにもなれない。
わたしは、わたしの人生の主人公でしかなくて、そこからは絶対に降りられない。

きっとわたしは、これからも弱いだろう。
しんどい。もういやだ。すべて投げ出したくなって、逃げることもあるだろう。その日々はぜんぜんかっこよくなくて、光り輝いていないだろう。
でも、それでも、生きていくしかないから。

だから、どうしても辛くなった時、日向たちバケモノの姿を。そして、バケモノではない彼らの物語を、目に焼き付けようと思う。

あの異常なまでの執着を、純粋な心を、好きを信じ切る強さを。
「自分もあんな風に強ければ」と焦がれながら、自分の道を歩んだ彼らを。
そして、わたしたちがバケモノと呼ぶ彼らのその強さは、わたしたちの何倍も、泣いて、苦しみ、血反吐を吐いて、それでもそこに食らいついた証であることを、心に刻みつけて



彼らに出会えてよかった。
ありがとう、ハイキュー!!


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