「ありのままで生きる」なんて、ワガママなのかもしれないけれど
自己紹介が苦手だ。
「あなたはどんな人間ですか?」だなんて聞かれてもわからない。なんなら、この世界でだれよりも、わたしがわたしを分かっていない。
年齢、性別、職業。
わたしを説明するための言葉はいくらでもある。それを言えばいいだけなのだけれど、でも、なんか違うのだ。自分を言葉で説明すればするほど「そうじゃないのに」って反発してくるわたしがいる。簡単な言葉には収まらない。SNSのプロフィール欄からはみ出した「わたし」を、だれかに知ってほしい。どうしようもないところも、かっこいいところも、なにもかも。
「ありのままの自分で生きたい」なんて、ワガママなのかもしれない。
でも、これはもう、どうしようもない夢なのだ。
*
「書く仕事」への挑戦がなかなかうまくいかず迷走している間に、SNSに関する本をいくつか読んだ。「SNSを起点にして夢を叶えたい人」へ向けての「SNS上で自分をどう見せればいいか」・・いわゆる「ブランディング」について書かれた本だ。それらの本に書かれていることは、ハッキリ言ってほとんど同じだった。
「どんな自分になりたいか?または自分がどんな人間かを簡潔に説明すること」と「ターゲットを限定しよう」。主にこの2つだ。
この2つの大切さは痛いほどよくわかる。
1つめの「どんな人が書いているのか?」。
それが分かるだけで人は安心し、さらに自分と共通項があれば親近感を覚える。「自分の伝えたいこと」を読んでもらうためには、まず「人となり」を知ってもらうこと。SNSに限らず、実際の対人関係でもこれは変わらない。
そして2つめの「ターゲットを限定する」。
これもよく分かる。浅く広く「いろんな人」にばらまくよりも、狭く深い「ピンポイント」を狙った方が結果的に広まりやすい。丁寧に構築されてきた、ありがた~いノウハウだ。
実際にわたしも、このノウハウにならってTwitterをやっていた。自分の「HSP」という性質を生かして、同じ「HSPさん」へ向けての情報発信。生きやすくなる考え方や息抜きの方法など、自分なりに考えて発信していた。実際につながることができたフォロワーさんたちもいい方ばかりで、本当にありがたい環境だった。
しかし、だ。わたしと世界を、わたしとフォロワーさんをつなげてくれた「HSP」という言葉を、少しづつ窮屈に感じるようになった。
その「HSP」というただの言葉に、自分が押し込められているような感覚。
嘘ではないのだ。わたしは間違いなくHSPだし、ずっと毎日生きづらい。
それは、まったく嘘じゃない。
でも、それだけじゃないんだ。
「HSP」という言葉からはみ出したわたしのカケラが、そう言っていた。
たしかに感受性が強すぎて、そんな自分にふりまわされているし、人の視線に敏感すぎて人混みには長くいられない。あげればあげるほど、わたしはどこまでも「HSP」だった。
でも、べつにずっと「死にたい」わけじゃない。なんなら、推しを見るだけで「生きる!!」ってなるくらい単純だし。「HSPさんは優しい」なんて言われるけれど、できることならその優しさを全て「自分に使ってしまいたい」と思うこともある。「共感力が高いから人の気持ちを考えられる」なんて言われながら、「人のこと考えている余裕なんてねぇよ!!」って勝手にキレていることすらあって。
「書く仕事がしたい」なんて夢見ながら、「できることなら一生ダラダラしていたい」が本音で。「夢を叶えたい」なんて思う自分は、たまに起こるゲームのバグみたいなもんだと思っていて。
20代後半。フリーター。女。HSP。
書く仕事を目指している。
それらはすべて事実で、でもそれだけじゃない。
どうでもいい日々。考え。
どうしようもない想い。憤り。闇。
プロフィール欄に収まらない自分まで、あますことなく見てほしい、なんて。ネットや本、そこらじゅうで使い古されて、でもどうやら人間がどうしようもなく求めてしまう理想。
「ありのままの自分で生きる」ってやつ。
そんなワガママな夢を、どうしても追いかけてしまう。
っていうか、そもそも「ありのままで生きている人」なんて本当にいるんだろうか?
会社、学校、家庭。人はいろんな場面で仮面を変えて生きている。心理学用語でいう「ペルソナ」ってやつだ。それがあたりまえの生き方だ。
そのペルソナの使い分けがうまい人が、ビジネスも、はたまた人生まで、うまいこと乗りこなしていくのかもしれない。そう考えると、たぶんわたしは生きるのがヘタな人だ。
「仮面の使い分けなんてくそくらえ!これがわたしだ!」って生きていきたいのだ、本当は。
でも気が弱すぎて「石投げられたらどうしよう・・」ってビビって、なかなか本音を言えない人間になってしまった。まぁでも、それもひっくるめてわたしなのだから、しょうがない。
じゃあ、なにができる?
大した技術も、頭も、ペルソナの使い分けもできないわたしにできること。
それは、自分にも人にも「正直に生きること」
もうそれしかない。
なるべく嘘はつかない。かっこつけない。
かっこつけたとしても、かっこつけた自分を許す!そんな感じでやっていきいます。
ターゲットとかも、もうわかりません(笑)!
正直、突き詰めればぜんぶ自分のためです。
それが、ほんとのところ。もう、嘘はつかない。
「自分のためなら勝手に日記にでも書いとけ!」って思われるかもしれないな(笑)
まぁ、それはほんと、その通りなんですけど。
でも、ちょっとだけ思っちゃったんですよね。
このどうしようもない人間のどうしようもない話で、だれかが笑ってくれたら。ご飯もお風呂もめんどくさくなるくらいに追い詰められちゃうこの世の中で、こんなやつもいるんだな、って。
笑ったり、泣いたりして。
「もうちょっと生きてみようかな」
って、そう思ってくれたなら。
そうしたら、わたしはそんなあなたの想いをおかずにして、ご飯3杯くらいモリモリ食べて、うれし泣きしながら生きられると思うから。
だから、そんな日々のために。
「ありのままで生きる」なんてワガママを、突き通してみたいのです。
(ご飯3杯は盛りすぎた)
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