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藤井風にKTRされている中年男子の気持ち

 藤井風というアーティストに心奪われていると、先日妻より報告があった。正直なところ、へぇどんなすごいアーティストなんだろうと聴いてみたところ。何やら、ふわっとしているけどパンチがあってテンポは好きじゃないが、いい意味でたゆんでいる音楽だった。(これはあくまで私の所感)たゆむという表現が良いか分からないが、メローという言葉があうのか。穏やかで落ち着いているくせに、しっかりと味があるというか。言葉選びは秀逸だなと思う反面、令和っぽくないというか。まぁそれが良いのかな。
 妻にどんなところが良いのと聞くと、聴いてると癒されるとか、包まれるとか、心地良い的な感じだったのだが。そこで変なスイッチが入る音が聞こえた。

 やっば。藤井風に、うちの奥さん寝取られるとるわ。

 不思議なもので、そういうスイッチが入ると彼の嫌なところを探そうとする。実は、クソ野郎じゃないかと調べるわけだが、そんな事実を知る由もなく噂話に耳を傾ける意味がないことを理解する。
 色々と話は目にしたが、そもそも彼に落ち度はないし、全く持って藤井風は藤井風らしくやってくれれば良い。音楽も好き嫌いこそあれど、何かを作る人は尊敬する。作って見せて、人が喜んでいるのであればそれは正義。とはいえ、それに心奪われている妻への愛情が微妙に冷めるのも事実。
 どこか心の中の器の小さい自分が、「だったら、藤井風と一緒にいれば良くね?」と思う自分。さらに悪魔は「お前も推し活したらどうだよ橘と俺に語りかけてくる始末」いや、推し活かぁ。好きな女優とか好きなアイドル探してみるか。いや。どちらかというと猫が好きだから。猫を推そう。残念ながら、猫と藤井風は比較にならん。w
 いや、そういうものではない。「嫉妬心」とは、シェイクスピアの時代から語られているけど、確かオセロとかいう一説にあった気がする。「嫉妬とは、相手も傷つけるし、自分も傷つけると。」生物学的には、競争と選択の一環として起こる事象であると。
 妻に浮気されたら発狂するだろうと思う部分もあるし、同時に競争に負けたら生物学的に弱い種だったと諦めるしかない。

種として負けた俺

 ちょっと待て、嫉妬心を克服する男性とはどんな奴なんだ。気になる。AIに聞くと、クソみたいな回答しかくれなかった。俺はヨガとかやらないし、ポジティブだし。カウンセラーも必要ない。違うんだ。
 そもそも藤井風に、種として全て負けてしまっている気がするからこそ、嫉妬するんだと気づく。全て。いや、ゴルフなら勝てるが。ただ、私の妻の心はゴルフでは奪えない。そもそも私は妻の心を奪えるほど魅力的なのか。きっと魅力的だから結婚したわけではない。違う目的で安心感を得たからだと思う。
 つまり論点は、私自身が妻の心を奪えるほどの魅力を現時点で持っていないからということだ。若い頃はきっと持っていたかもしれない。もう加齢臭を消すためのデオ製品を買う中年男性、夢、希望、志、お金、才能。いや、持っているのは、目標と経験くらいだろう。見た目は改善できる可能性があるが、若さには勝てない。妻を魅了する何かを作るしかない。

 世の中年男性の同志よ。とはいえ、俺らには時間もお金も成長も存在しない。もう、生物の個体として価値がないと自己認識している。勝ち組になれなかったのであれば、もうそれは個体として終わっているのだ。
 妻をNTRされても文句も言えない。本当にNTRされたならそれは裁判にできるが、心のNTRつまりKTRは訴えることもできない。
もう一度取り返すしかないんだ。

中年頑張る。


 子供への愛も、妻への愛も、仕事への愛も絶やさずに働いているのであれば、それはご愁傷様だ。生物とはそういうものなんだきっと。

 そんな話を真っ向から妻にしたら、じゃぁゴルフは、猫は、と軽い喧嘩になった。藤井を好きなことはあなたは許せなくて、あなたがゴルフをすることは許せる。それはアンフェアだと。
 
 間違いない。アンフェアに感じるはずだ。好きな趣味を堪能している夫に対して、家計をやりくり家事育児と一生懸命にやっている中での趣味としての音楽鑑賞。別に音楽を聴くのはウェルカムだし、特定の一個人にならなければ全然不快でもない。ただ、音楽はどうしてもアーティストになる。芸人の芸と同じ。その人個人の魅力が音になるし、同じ歌を完コピで違う人が歌ってもやはりちょっと違う。
 そこで分析してみた。妻がチョコレートを食べる。それに嫉妬するか?チョコレートは甘くて苦いイケスカない野郎だと思うこともない。妻が好きな芸風の芸人、いや別にそんなに嫌でもない。笑えるし。妻が好きな外国のアーティスト、いやーそこまで別に嫌でもない。妻が好きな世界トップゴルファー、そんなに嫌でもない。そういう風に考えていくと、別に藤井風が嫌いな理由が見つからない。でも、妻が好きなバイト先の男。これはちょっと嫌だ。妻が仲良く自分の同級生と話していたら、嫌だな。つまり、藤井風は、そのくらいの身近な雰囲気があるということだ。確かに、動画とか見ると、方言まじりでふわっとしていてその辺にいそうだ。(いや絶対にいない笑)
同じクラスの才能に恵まれたイケメン的な感覚なのかもしれない。

 俺が猫とゴルフに心奪われていることと、藤井風に心奪われていることは同義であり。じゃぁそれを許すべきか。いや、そもそも許すとかはない。好きに聴いて欲しいし、それで心が安定するのであればご自由にどうぞ。
 しかし、では、ゴルフに行くときに申し訳なさそうに行くのは辞める。またゴルフ?って言われたら、藤井風と言うようにする。
 つまり、ちょっとだけ気を使って欲しいだけだ。「すごい良いんだよね、彼の歌」程度で収めるか、申し訳なさそうに心奪われてくれれば良い。もしくは、別に語らなくても良い。藤井風のような音楽を作りたいので聴いているのであればそれは全然別の話だけど。

 と、こじらせている。俺。w

最終的に、彼の歌を聴いてみて、良いのもあったので、なるべく寄り添ってみることにしよう。無理に寄せる必要はないが、気持ちを理解しようとする努力は無駄じゃないと思うし。世の中の中年男子諸君、気を落とさずにもし妻が好きな、妻が推し活しているということで悩んでいるのであれば、一度寄り添って、無理ならはっきり好きじゃないと言えば良いと思う。同時に、旦那を放置して推し活している妻よ、ちょっと気を使ってくれれば良い。もちろん、好き勝手している男であれば気にする必要はないが、若い頃の輝きが無くなってしまった中年男子も一生懸命生きている。そこは、認めてあげて欲しい。
いつも思うが、「今は、決して当たり前ではない」
一つの誤解で夫婦なんか終わってしまう。だからなるべくコミュニケーション取るようにしよう。

 ってか、世の中の中年男子で藤井風に妻が心奪われている人がいたら、是非仲良く話そう。きっと仲良くなれる。

娘が一言「愛されてるねお母さん」と言っていたが。
子はかすがい。ありがとう。
彼の歌にもあるけど「愛されるために、愛するのは悲劇」間違いない。
もう、愛とか恋とかかけ離れてしまった中年男子は、妻に対して愛を語るべきなのかもしれない。

なんだこのNOTE。こじらせてるな俺。



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