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初めて就職した先が野戦病院だった件|今年カンレキですってょ!?(´・Д・)」

人の役に立ちたいとか
立派な志があったわけでもなく。

食いっぱぐれない職業はなんだろ⁈
って思った時に看護師かなって思いました。

当時、病院に就職して働きながら
看護学校に通い、看護師免許を取って
その後はその病院で働いて返す
「御礼奉公」というのがあったんです。

ストレートに看護大学や看護学校に通って
免許取得してから就職する道もあったけど
うちは、進学だと県内しか許されなくて。

できるだけ遠くに逃げたかったので(笑)
高校の先輩もいるって話だったから
神奈川県の個人病院に入職することに
なったんだけど…その病院が…

野戦病院だったのです!!

午前中、看護助手として働き
午後、看護学校で授業受けて
帰って来て、また助手として働く。

病院の上に学生寮があって、先輩達が
6人、自分達入れて10人だったかな。
女子寮生活はそれなりに楽しかったケド。

最初は知らないことだらけだから
先輩から言われることは絶対だし
院長のパワハラにも堪えるしかなくて。

院長の罵声は当たり前で、機嫌が悪いと
ピンセットやハサミとか物を投げつける。

スタッフだけじゃなく患者さんに対しても
偉そうで、怒鳴りつけたりも日常茶飯事。

皆んなが、院長の顔色を伺いながら
いつも怯えて働いてる感じでした。

病院の建物自体もボロで汚なく
設備や医療機器、物品すべてが古くて。

使い捨てのディスポ注射器や針を
劣化するまで再使用していて
滅菌処理してるとはいっても
はたしてちゃんと滅菌できてたのか疑問。

洗い物は学生の仕事だったので
針の中の血を注射器でピューって出して
乾かしてガス滅菌にかけてたんだけど。

血液や体液のついたガーゼや包帯も
使い捨て手袋もバルンチューブ(尿の管)
も使い捨ての物品、ぜーんぶ洗って再使用
今では考えられない世界でした。

そして怖いことに
免許取って間もない新人看護師と
学生とで夜勤をさせられてたこと。

院長の言うことは、絶対で
それが間違ってても、誰も何も言えない。

患者が発熱したから指示もらいに行くと
「熱なんか、出すわけないだろー!」
って怒鳴られるという意味不明さ。

「これじゃ怒られるじゃない」って
日中から発熱してる患者さんのバイタル表を
書き変えて、平熱で報告するとか
あたりまえにやってた主任看護師。

看護師もヤバすぎた…。

外科だったんだけど、術後の傷跡が感染して
ものすごいことになっちゃってる高齢の
患者さんを、ろくに診察もしないで
「ガーゼ変えとけ」って言うだけ、とか。

熱性痙攣起こしてる患者さんがいるのに
診にこないで、結局亡くなったんだけど。
看護師の報告が遅かったからって
家族に説明して、看護師のせいにしたり。

本当に酷かった。そしてとても怖かったデス!

今だったら内部告発が当たり前だけど
その頃は皆んな目をつぶってたっていうか
変だと思っても立場的に逆らえなくて。

准看護学科は2年だったので、免許取得後
2年はここで働かなきゃいけないんだけど
辞めるには借金を返さなくちゃいけないから
親にそれを頼るのはどうしても嫌だったし。

准看護師免許取得後、正看護師になるために
さらに3年間看護学校に通う人もいたけど
自分は、2年の御礼奉公で辞めました!!


どうやら院長は、昔、軍医だったらしく…

ガチで野戦病院だったんじゃん!?


最初に、最低最悪の医者にあたったから
この後出会う医者は皆、優しく感じて(笑)

そして4年間苦楽を共にした同期2人とは
ずっと仲良しで、神奈川に住んでた頃は
よくランチしたり、時々旅行したりして。

自分が引越して、遠く離れちゃったけど
今もしょっちゅう連絡し合ってます。

まさに、戦友だ(笑)


最後まで読んでいただき
ありがとうございます♡

ひとりでは せつなくて
不安な日々に 消えていった 夢も
二人なら いつかきっと
その夢に たどりつけるはず

「風は止んだ」小田和正

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