VOWWOWという伝説。
クラブチッタ川崎に2日間で3000名弱のファンが詰めかけたライブが行われた。今となっては動員数は驚かないが、そもそもライブの質は「動員数」ではない。スタジアム級のコンサートが乱立し、私のような還暦音楽ファンは聞いたこともないグループが武道館公演をする時代。
2日間に全国から参集したファンは、ハードロック&ヘヴィメタルの聖地と言ってよいチッタ川崎でこそ、このバンドと同じ空気を吸いたかった。
チケットは2分でソールドアウトしたと噂されている。
そもそもVOWWOWとは?
あえて私がここで書くのは控えたい。それは説明がつかないから・・・。
どんな言葉を並べても、あの時代(私自身も10代だった)BOWWOWからVOWWOWへの衝撃とか「なんで?!」という私達ファンも若かったゆえの疑問や葛藤、メディアの情報量の少なさも全部ひっくるめて「あのときの思い」は、ファンのそれぞれが今も持っているだろう。
私のBOWWOWメンバーのフェイバリットは光浩さんであるし、(もちろんギタリストの端くれとして恭司さんは「神」なわけだが、自分のアイドルは
光浩さん)、私自身のタイミングとして、全国のVOWWOWファンには足元に及ばないほど、リアルタイムで「V」を体験していない。
しかし音楽雑誌を読み、夜ヒットも見たし、なにより「人見元基」というボーカリスト(私はシンガーと呼んでいる)の存在は、当時は本当に表現出来なかったと思う。
「日本のロバート・プラント」?いや、そんな陳腐な表現は失礼だ。発音がすごい? いや、まったくそういう問題でもない。
数多あるハードロックバンド(沖縄から北海道まで)の中でメディアに取り上げられたのは一握りだ。インターネットもない中、才能を発見する偶然(または必然)やチャンスは、現在とは比べ物にならない。
それでも人見元基というシンガーは、BOWWOWというトップバンドの次なる時代に加わることになった。
私が覚えているのはVOWWOWのメンバーに「厚見麗(あえてこの文字を選ぶ)」の名前があった驚き。ムーンダンサー・・・16歳の私に「美学」を教えてくれたバンド。そして「新美俊宏」の名前があった安心感。
やはり山本恭司さんが弾く後ろでは、新美さんが叩いてほしい・・・のはファンの望みだと思う。
一気に時代を飛び越すが、昨年5月、新美さんが逝去。BOWWOWに会ったのが13歳。レコードを揃え、後楽園、サンプラザへのライブに向かい、常にその音が、曲が、私の中にあった。そのリズムを刻んだ新美さんが居なくなってしまった・・・。(そして新美さんの作る楽曲が好きだった。)
一周忌という文字をあえて入れた「VOWWOW」再結成ライブが、この2日間のチッタ川崎であった。厚見さん(66)、元基さん(67)、恭司さん(68)・・カッコの数字は何のことか?と思うパフォーマンス。
MCでわかったことは、観客の半分以上がVOWWOWを初めて見るということ。そうとは思えない開演前からの高揚感。
私は最後尾からステージ全体を見渡す位置にいた。今回の特筆すべき点は、演奏、歌唱はもちろんだが、照明(=ライティング)だったと思う。
モニターが必要ないキャパの中で、かつ曲ごとの世界観を巧みに補助した
ライティングに、ひとり感動していた。
特に「MOUNTAIN TOP」の照明は秀逸だった。これも文字では伝えきれないな。最後尾で観るという贅沢はこういうところにもある。
twitter(x)では、溢れかえる感想が流れている。そう、どれだけ言葉を尽くしても足りない。それぞれの思いが140文字から溢れている。
私も何度も書き込んでしまった。
MCの中で、1月に再公演があることが告げられた。冒頭には元基さんが
「プロに専念する」ニュアンスの発言もあり、この再結成ライブが続くことを皆が信じた。恭司さん自身が、朋友新美さんの逝去を受けて「何があるかわからない、やりたいことをやっておかなくては」と思ったことを言葉にしてくれたのは、同じように年齢を重ねた私達=還暦ファンにとっても、同じ思いと意味を持つ。
ライブの後半から、私はカバンから小さな双眼鏡を出した。
両手の拳を突き上げるのも気持ちが良いが、メンバーの表情を見たかったから、持参した。そして元基さんをはじめ、メンバーの本当に楽しんでいる表情と、客席をあおる優しい眼差しを確認した。
こんな幸せな時間・空間って最近あったろうか?
曲はハードロック、音量も爆音。シンガーはシャウトし、ギタリスト、キードーディストはソロで楽器を叩いている。
そんな熱量の中に、本当に優しい表情で演奏しているベテランミュージシャンは、きっと新美さんの存在を感じながら演奏していたのだろう。
そして最大のサプライズは、アンコールでの斉藤光浩さんの登場。
こんなことが目の前に起こるなんて!40年前の脱退が無ければ「V」も無かったかもしれない。なにより光浩さんがいて、新美さんがいたのだから。
すべてを受け入れる「長い時間」と、命ある者の宿命が重なり合って、この機会が与えらえたのだ。
客席の私たちも同じ思いだった。
だからこそ、その音量とは真逆のような穏やかな空気が、ステージと客席に見られた・・・と私自身は感じた。
この続きを来年1月に書けることを願って。