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私の留学体験記(6) よい成績がとれなかった時

私がカナダの大学へ留学した時の体験談シリーズの6回目になります。

今回は、一生懸命がんばったにもかかわらず、よい成績が出なかった時にどうしたらいいのか、ということに対し一つの提案をしたいと思います。

1:良い成績がとれなくてもしかたない?

まず、英語が母国語でない日本人が、留学してすぐの授業で良い成績を残すのはそんなに簡単ではありません。

だから、日本人留学生としては一生懸命がんばろうと思う人もいる一方で、「成績は悪くても卒業できればいいや」安易に考えている人がいるかもしれません。

でも、安易な考えは、卒業が近くなってから後悔する可能性があるります。

なぜかと言うと、学部生の場合には大学院に進学しようと思う時に、学部の成績である一定のライン超えていないと応募できなくなっています。

例えば、私のいたトロント大学は大学院の応募の条件が、学部での成績が平均で「B+」が最低ラインでした。

また、大学院生だと修了後にポスドクのポジションに応募しても、成績が悪いために採用されないという可能性もあります。

ですから、「留学生だからいいや」と思わずに、なるべくすべての科目で「A」を取れるようにしておく方がいいと思います。

2:結果としてAがとれなかったら?

でも、結果として努力したにも関わらず、ある科目の成績で「A」が取れないこともあります。

これはあくまでも「自分では『A』を取れているはずだ」と思えるほど、努力した場合のことです。

こんな時どうするべきなのか。

まず、私の失敗談をお話しします。

私は必修科目以外で、選択科目をいくつか履修していました。

そのうち、一つの科目の中間試験のレポートで、「B -」をとってしまいました。

中間試験なので、最終試験と合わせれば、もしかすると「A」をとれるかもと思うかもしれません。

実際は、中間試験で「B-」であれば、最終試験で最高の「A+」をとらないと、その科目の最終の評価を「A」のステージに乗せることは、ほぼ無理なんですね。

そこで、私はどうしたかと言うと、その科目が選択科目であったので、選択科目とは、それをとらなくても卒業に影響しないということなので、その科目の履修登録を解除することにしました。

これはどういうことかというと、その科目を初めから履修していなかったことにすることです。大学のルールとしてそれは可能なんですね。

これは、ある意味全ての履修科目のGPAを下げないようにする戦略です。だから、不要な科目で低い成績もらうよりも、それを削除することで、全体の履修科目の成績の平均を高いままで維持しようとするものです。

多くの学生がおそらくやっていることであろうと思います。

私は必修科目を含めて他の科目はすべて「A」でしたので、この科目の履修解除することで全体の成績を「A」としてキープすることが可能だったんです。

3:カナダの学生は教授と交渉している

ところが、このことを指導教授に話すと、「なぜその科目の教授と成績について交渉しないの?」と言われました。

確かにカナダの大学では、学生は成績に不服であればその担当教授と交渉するというのは誰でもやっていることです。

これは、日本でも同じように学生は成績に不服であれば教員にクレームを申請することができます。ただ、日本では、それほどたくさんの学生は申請しません。

カナダの私の大学では結構多くの学生が当たり前のように、「自分はもっと良い成績だと思うのでもう一度自分のレポート見てほしい」となどと、教授に頼んでいました。

教授もそれを当然のように、「何月何日まではその申請を受け付けます」とアナウンスしていました。

でも、私には他の科目の中間試験も同時にあり忙しくて、その科目の成績の交渉に時間をさくことの方が無駄に思えました。

もし、その交渉のために、時間がなくなって、その別の科目の中間試験でも「B」となってしまえば、元も子もないと思ったのです。

4:沈黙(silence)は美徳ではない

でも、今思いかえすに、やはりここでは私はその「B-」をつけた教授にきちんと私の意見を伝えるべきだったと思います。

私がなぜ、その時に「めんどう」と思って教授と交渉しなかったのかを考えてみました。

大きな理由としては、私の日本人としての価値観や行動規範が影響したと言うことです。

これはどういうことかといいますと、

日本人には「黙っている」方がかっこいいというように考える文化があります。

皆さんも考えてみてください。何か失敗をしでかした人が2人いて、一人の人は大きな声で言い訳をしていて、もう一人の人は言い訳せずに黙ってじっと我慢していた場合に、どちらの人をより信頼しますか?

多分後者でしょう。

これは、北米ではおそらく逆になります。

日本的には「言い訳」に聞こえますが、カナダやアメリカでは、自分が失敗した原因をきちんと説明することの方が良い態度だと思われて、何も言わずに黙っている人は、自分の失敗の原因を説明できない無能な人、あるいは無責任な人と思われまやすいです。

私は日本人です。ですから、当時、自分は不満だけれども、それを交渉すること、つまり声を上げていくことよりも、その結果を黙って受け止める方が、なんとなく品のある行為だと思っていた節があります。

当時自分ではこのようなことに気がついていませんでした。

言い換えれば、教授に不満がないわけではないが、それを「ワーワー」とわめきたてることもないかと思っていたのではと思います。

自分があきらめればいいんだと。

確かに、日本では社会の不正義に対して声をあげて、例えば「裁判を起こした方が」たとえ正しくても、結果としてその人が社会から排除されるという現象が起こることがあります。

不正に対して訴えてその主張が認められたしても、その後、周りの人から「あの人って怖いね」と思われて、返ってその後の人生が生きづらくなることがあります。

だから40歳過ぎて分別のつきすぎた私にとって、教授に交渉することよりも「あきらめる」ことの方が理にかなっていたのです。

でも、これは北米で信頼されるためには逆効果です。沈黙に対する価値観が全然違うのです。

沈黙することは北米では、「無責任」あるいは、戦いを諦めた「いくじのない人」と思われてしまい、あまり良い評価は得られません。

成績が悪かったことに対するクレームは「いいわけ」みたいな感じに聞こえますが、北米では「いいわけ」みたいなことこそ自分の行動に責任をもつという態度なのです。

5:理解してもらうように努力しよう

この私の失敗事例から、どうしたら良かったのか考えてみましょう。

この時に、私がとるべき態度は、やはり教授と交渉することでした。

教授に対して自分と教授との評価の違いを確認し話合うことだったのです。

その話し合いの結果、「B-」という評価を変えることができなかったかもしれないです。

ただ、結果がどうであれ、交渉することで、この教授に日本人の留学生が課題を達成するために、どのような工程を辿ったのか、そしてどのような努力が必要であったのかを理解してもらうことができました。

このような態度がカナダにおいて信頼される上で必要であったのです。

とくにトロント大学では日本人は非常に少なくて、私の学部では私が初めての日本からの留学生でした。

であれば、なおさら相互理解のためには、話合いをすべきでありました。それは今後の日本人の留学生に対する理解を向上させることにもつながったはずです。

北米は開拓者精神が残っていますから、諦めるのではなく、最後まで理解を求めて「戦っていく」ということが、賞賛される文化です。

ですから、これから留学する皆さん、あるいは仕事で北米に行く皆さん、何事もうまくいかない時に、すぐにあきらめないでほしいと思います。

粘り強さがその社会の一員として認められていく上で大切だと思います。

ではでは。


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