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お金があっても幸せになれない高齢者

今日は、老後のQOLはお金で決まるというよりも、身体機能が低下した生活を「自律的」に立て直す能力が大事という話です。

本日のメッセージ
「老後のお金の心配をするよりも、限られたリソースで子どもに頼らず『自律』して生きていくスキルを身につけよう」

老後はお金が全てでない

近年わが国では所得の格差が問題になっています。ニートや非正規の労働者が増えていることがニュースになります。若い人たちの格差がクローズアップされていますね。

でも、実は年代別に見ると、75歳以上の高齢者がどの年代の人たちよりもいちばん所得の格差が大きいのです。

老後資金が2000万円必要と政府が発表し、一時国全体が騒然とした感がありました。これは、国民に「老後の生活は金次第」という考えを植えつけることにもなりました。

しかし、お金があれば本当に全てが解決されるのでしょうか。

わたしは、所得格差が開きやすい女性の高齢者を対象に、介護状態になった時にどのような生活を送っているのかを知るために、調査をしたことがあります。

そこで出会った高齢者の生活状態はさまざまでした。豪邸に住んでいる人から、ホームレスを経験した人まで幅が広かったです。

これらの人の中で、お金がなくても、体が思うようにならなくても「楽しい」と生き生きと生活している人がいる一方で、豪邸に住んで豊かな暮らしをしているのに、鬱々とした日々を過ごし「早く死にたい」と言う人がいました。

どうしてこのような違いがでるのか。

分析から見えてきたのは、これら女性高齢者が身体機能の低下し今までどうり生活が続けられなくなった時に、その崩れた生活を構築し直すための能力を持っているかどうかに左右されているということです。

今の高齢者の生きた時代

今の90歳代の人たちは、昭和時代に壮年期を過ごしています。昭和とは日本が高度経済成長を果たした時です。この時は、国の政策として、専業主婦が推奨された時代です。女性には家庭に入って、育児と老親の介護を期待したのです。

しかし、実際に大企業に勤めていた本当の意味での中流の人たちは、全労働者のわずか3割に過ぎなかったと言われています。

残りの7割は中小企業に勤める男性で、そのために結婚して妻になった人たちも、必ずしも専業主婦でいられたわけではないのです。

つまり、日本では当時から「裕福な階層の人たち」と「そうでない階層の人たちが」がいたのです。

そして、経済的にゆとりがある家庭の妻だけが、専業主婦となったと言えます。ゆとりがない家庭の妻は、好むと好まないとに関わらず働きにでていたのです。

裕福で一見有利な生き方に見える専業主婦ですが、実は、これが老後になった時に不利な状態を作り出すのです。

なぜか。

この専業主婦という生き方は、大黒柱として働く夫と、家にいて家族の世話をする妻という役割に明確に二分されます。

このような妻は働くことによって、つまり社会と繋がっていることで初めて獲得できる能力を獲得する機会を失います。

そして家では、亭主関白で全て夫が物事を決めて女性がそれに従順に従うという生活になります。

これは、女性が自律的に生きるために必要な能力を獲得するには、都合が良いとは言えない環境です。

今は、昔と違い寿命が長くなっています。そして、女性の平均寿命は男性よりも長いのです。

いざ夫が先立ち、自分が一人残された時に、この専業主婦の優等生であった女性は、自分一人の人生をどう生きていいのか、自律的に判断ができなくなっています。

もちろん全員がこうなるとは限りません。ただ、傾向としては裕福な家庭の専業主婦として過ごした女性高齢者にこの傾向が強いような気がします。

これらの人は、結果として、自分の人生の大切な判断を、子供に委ねるしかなくなってしまうのです。

一方この時代でも専業主婦を選べなかった人、あるいは何らかの理由で、夫に頼ることができず、自分で働いて生計を立ててきた女性もいます。

この時代は女性の社会進出は今ほど恵まれていませんでした。ですから、女性が働いて老後の資金まで貯めることは難しかったと思います。

ですから、老後になって経済的には比較的困窮状態にある女性が多くいます。

しかし、この人たちにはお金はありませんが、働きそして、夫に頼らず自分で道を切り開いてきたために培われた、多様なスキルや知恵があります。

つまり「自律的」に生きる力を獲得してきたのです。

このような人は、身体機能が低下してもどのようなサービスを使うと自分の生活が立て直せるのか、自分で調べて考えます。

結果として自分で自分の生活を立て直します。子どもに頼る必要がないのです。

子どもに頼るしかない結末

なぜ子どもに頼ると幸せになれないのか。

都市化の進んで現代、核家族化が進み、高齢者世帯が増加しています。

つまり子どもとは別の生活があり、そして親の面倒を見れるだけの、経済的かつ時間的余裕のある人たちはわずかです。

成果主義の社会となり、人々の個人主義的傾向が強くなり、親の幸せよりも自分たちの利益が優先されるのは、もう時代の流れです。

子どもにお金を注ぎ、そしてその見返りに世話をしてもらおうと考えるのは「ナンセンス」です。

ある裕福な高齢者は、転倒するからと外出を子どもから制限されていました。

自分の好きな芝居を見にいけないし、友達とも会えない、と嘆いています。

でも、子どもに頼らなければいけないのでしょうか。

自分でタクシーを呼んで芝居を見に行くこともできます。介護保険外ですが、同行してくれるサービスを利用することも可能です。

でも、それすら自分で「判断」できなくなっているのです。

そして、トンネルに入ってしまい、もうこんな人生は行きたくない「早く死にたい」となるのです。

子供に依存してはダメなんです。自分で、介護サービスのリテラシーをあげて、そして自分で生活を再構築しないといけないんです。

お金があっても、必要な時にうまく使えない。多様なサービスがあっても、それをうまく使いこなすことができない。

お金ではないのです。自分で自分の生活をコントロールできる能力です。

老後は自分の力で生き抜く覚悟が必要です。
子どもに頼る時代はもう終わりです。
高齢者の皆さん「賢く、逞しく」生きましょう。

ではでは


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