父がヒトデを食べていた話

古代の地球に降り注いだ星の生き残り。


父の墓参りに行った。
もう父が死んで十年になる。大して仲が良かったわけではないけれど、
誕生日と命日くらいはと、墓前の前で手を合わせるようにしている。

父はとにかく食べるのが大好きな人だった。
記憶の中にある父の姿といえば、大体なにか食べてるか、酒を飲んでるか、タバコを吹かしているかのどれかだ。
ある日屋根から落っこちて幸い助かったものの、ほとんど寝たきりになったあとも、十年近くしぶとく生き続けたのは、多分その健啖あってのことだろうと思う。(同時に誤嚥生肺炎で何度も死にかけたが)

信心深い人だったので肉はほとんど口にしなかったが、離島育ちだったこともあって海の幸に目がない人だった。
私たちがご飯を食べる前に晩酌を始め、そこには父専用の献立がある。
それが私の子供の頃の夕飯の日常風景だった。
大体は刺身や茹で海老や貝やタコ、カニやアワビなんてものもその辺に行けば取れる島だったので良く食卓に並んでいたと思う。
ある日のことだ、そんな慣れ親しんだ食卓に、慣れ親しんでない食材があった。
いや、慣れ親しんでない、というのはウソだ。私はその生き物についてよく知っていた。実物だって見たことがあるし、絵にだって描いたことがある。
ただ食卓に、食材として存在するにはあまりにも異質で不気味だった。

その日、父は当然のようにその食材「ヒトデ」を肴に晩酌と洒落込んでいた。


その星に触ってはいけない。

小学校の生活科、今では総合学習とかになってるのだろうか?
まあ社会系の授業でお店で売っているものや、身近な食べ物について調べてみよう、なんて、授業を経験した人もいると思う。
実際、そんな内容の授業だったと思うし、もっと別の話題だったかもしれない。
ともあれ海の幸について浮かぶものを発現する機会があった。
その時私は自信満々に「ヒトデ」と答えた。
すると、まあ、単純な話否定の嵐

「ごるちゃん……さすがにヒトデは食べられない思うよ」
「ヒトデを食べてる人なんて見たことない」
「お前の父ちゃんちょっと変なんじゃないか?」

実際にヒトデを食べている父を見たことがあるとはいえ、それを証明する証拠は自身の目撃記憶一見のみである。そんな気持ちがなかったといえば嘘になるが、これじゃ目立ちたいだけがためにヘンテコな意見を出したと思われても仕様がない。たじたじになりながら先生に助けを求めるも、先生もヒトデを食材とすることには確信が持てなかったようで「ヒトデは……うーん、先生も食べられないとおもうなあ」と、自信なさげに否定した。

この時以来、私は父がヒトデを食べていたという話を人前ですることはなくなった。ただでさえ父について悪感情を抱き始める思春期の始めである。世間的に食べられないヒトデを食べる父はやはり変わってるんだ……。もう言わんどこ……。

ヒトデ食材事件を口にしなくなって月日が経ち、そもそも父がヒトデを食べていたという事実は想像力豊かな自分が作り上げな幻覚、あるいは偽の記憶などではないかと思うようになった。
思えば子供の頃から変なものを見た記憶がたくさんある。
「いつまで経っても尻尾が見えない蛇」
「季節外れに排水溝に潜んだ生体のセミ」
「規格外に大きなオタマジャクシ」
記憶という本当に不確かなもので、起こったことを正確に長時間覚えていられる人はほとんどいないし、先入観や簡単な誘導で偽の記憶を呼び起こすことも実験で確かめられている。
子供の時シャコガイが宇宙人のように見えていたように、もっと別の何かをヒトデと誤解していたのかもしれない。
そう思いつつも、やはり疑念は晴れず、ある時なにげなく母に聞いてみた。

「ねえねえお父さんってヒトデ食べてたよね? あれって食べられるものなの」

「ああ、ヒトデね! 食べてたわよ!」


やっぱりたべとったんかーい!

正直なところ、否定して欲しかった気持ちがないと言えばウソだ。
世間的にヒトデはやはり食材じゃない。スーパーの鮮魚コーナーでヒトデが並んでたら多分クレームの嵐になるだろう。実際ヒトデが並んでいることなんてないので、想像の域を出ないが、多分、おそらく、ヒトデへの食材として逆風は強いと思う。
しかし、やっぱり食べていた。
父の夕食も肴も作っていた母が言うのだから、まあ、間違いないんだろう。

「あれって食べられるものなの? 毒とかないの?」
「えーっと、確か、時期があるのよね……食べられる時期が」

どうもヒトデは魚介類界の季節限定フレーバーのような扱いのようだ。
時期がある、ということは、その時期以外は有毒だったり食味が悪かったりするとかなのだろうか?
学校の授業でヒトデを全否定された当時はまだ幼かったし、ネット環境も貧弱な時代だった。今みたいに困ったらググれカス? なんて煽り文句が通用する時代ではなかった。なのでヒトデは食べられるという証拠を集めるのにも限界があった。
「だが、今は違う(ギュッ)」


結論:ヒトデは食べられます

ん、まあ、そもそも、この世に食べられないものはない。
ただ食べたらお腹が痛くなったり、神経が侵され後遺症を負ったり、死んじゃったりする物質があったり、そもそもおいしくないし気持ち悪いから食べないというものがあるだけの話なのだ。

私はおそるおそるGoogleの検索窓にこんなキーワードを投げ込んだ。

果たして答えは

調べた当時はどうだったか忘れてしまったが、今現在のGoogle先生は、こんなページをトップに持ってきてくれた。
どうもヒトデの中でもキヒトデという種類だけ、日本の一部地域で食べられているい立派な食材らしい。
というか「熊本県の天草地方で食べられている」ってピンポイントすぎませんか?
実を言えば、私が幼少期を過ごしたのはまさしく天草の離島だった。そりゃ、引っ越したあとヒトデを食べられるなんて言っても誰も信じてくれるわけがない……。
ともあれ、数年間ずっと、心の奥で燻り続けていた謎が解けて、私はほっと胸を撫で下ろした。

「よかった、私のお父さんはやっぱりヒトデを食べていたし、それは私の歪んだ想像力が生んだ記憶でもなんでもなかったのね……いいんだ、ヒトデは食べていいんだ! ヒトデは食べられるんだ!

とはいえ、どんな種類でも食べられるわけではなく、中には有毒な種類もあるそうなので、興味本位でヒトデを食べたりは絶対しないようにしましょう。


それから別に何か変わったわけじゃないけれど。


歳をとるほど親子は似ていくもので、母親似だった兄の顔などは歳を重ねるたびに遠い記憶の中の父そっくりの表情を浮かべることがあり、驚いてしまう。
元々父似の私の顔は今、他人にはどう映っているのだろうかと思う。味の好みは全く似ていないのだけれど、いつかヒトデを美味しく食べるようになってしまうのだろうか? それは嫌だなあ。

父とはほとんど親子らしいことはできなかったし、これからその時間を積み重ねることはできないけれど、思い出や日々の出来事の中にふと父の面影を感じると、父が何を思って生きていたのか、感じていたのか、少しだけ知ることができるような気がする。
また続いているんだ。
誰かとの別れや死は、関係の終わりじゃないんだ、と。

合掌していた手のひらを離して、初夏の曇り空を見上げ、
今年の命日にはヒトデの人形でも墓前に備えようか、と思った。

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