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負けることの大切さ


競走馬の成長過程は人間と同じで、月日を重ねる毎、年齢を重ねる毎、レースを重ねる毎に変化していく。
最初は幼いところが沢山あっても成長して大人になる、悪い部分が解消して良くなる、反対に大人になるに連れて悪い事を覚えてしまう場合もある。
人間でも「小さい頃はあんなにやんちゃだったのに大人になったね~」「小さい頃はあんなに良い子だったのに今では…(笑)」といった事はよくある話。



競走馬はその名の通り「競走」を宿命づけられた生き物。成長というのも競馬をする上で必要なものだけが主にピックアップされる。


昨日のきさらぎ賞で2着となったオープンファイアは、個人的に新馬戦を現地の中京競馬場で見ていた馬。ディープインパクトのラストクロップという事もあって当時は圧倒的支持を集めておりレースでも無事に勝利を収めたものの、自分はパドックに出てきた時から「そんなに良く見えないなぁ」と感じた。
レースでの走り自体はエンジンが掛かったラストのフットワークはそれなりに良いのかな、という程度で今だから言えるが「これが大物と騒がれているのは正直疑問」とさえ思ってしまっていた。

ところが次戦のアイビーSでは、あくまで自分の感覚に過ぎないが一度実戦を経験したからか映像でもひと目見て分かるほど良化していた。別馬になったとまでは言えないまでも新馬戦より明らかに馬が良くなっていたため注目してレースを見ていたが、結果は3着。出遅れや道中の追走など、レース内容を見れば力負けでないのは間違いないが、それでも結果としては負けた事になる。


このように、馬の成長とレースでの着順は必ずしも比例するわけではない
それもそのはず、レースはその時それぞれで相手が変わり、勝ち上がっていけばクラスも上がって当然相手も強くなる。「前はこの状態でも勝てたけど、このメンバー相手ではまともな状態でも五分にやれるか分からない」といった事はザラ。
他にもゲートのタイミングが合わずに出遅れてしまったり、道中不利に巻き込まれることなど、思い通りにいかないケースは山ほどある。

競馬ファンなら当たり前に理解している事かもしれないが、それでも大事なことだと思うのであえて言わせて頂きたい。


馬の成長が必ずしもレースの結果に繋がるとは限らない以上、見ている我々ができる事は「結果と内容、両方をしっかり見てあげる事」に他ならない。
結果はその時の相手関係や展開次第で変わってしまうが、レース内容に関しては馬が成長していればその馬を縦で比較して見た時に必ず良くなっているはずで、馬の成長に比例するものと言ってよい。

この価値観を持つようになってから、自分は特定の馬を応援する際に「勝たなくてもいい」という考えが生まれた。
この一言だけだと誤解を生むかもしれないが、もちろん勝ってくれたらそれは最高に嬉しい。けれど、競馬は勝ち馬よりも負ける馬の方が圧倒的に多いわけで、表現が正しいかは分からないが負ける前提で見ること、つまり「負けて元々」の感覚で見てやる事がいいのかなと思っている。それは勝つことを期待していないわけではなく、負ける事が悪い事ではないと思っているから。
結果は負けたがレース内容は確実に良くなっていた、となれば馬が成長しているのが分かるので馬にとっては良いこと。それを見ている側の自分も汲み取ってあげて、負けた結果をいい意味で重く受け止めないことが大切だと勝手ながら思っている。



人間に置き換えても「失敗は成功の基」ということわざがあるように、何かに挑戦して思い通りの結果は得られなくても挑戦した事自体が自分自身の成長になっているわけで、その挑戦や失敗という経験を次の成長に繋げ、そして成功に繋げる。


すごく大袈裟に述べてしまったが、昨日のオープンファイアを見てこのような内容の記事を書きたいと思い、今に至った次第である。




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