自分なりの考えを持て
“自分なりの考えを持て”
私が信頼している友人は以前そう言った。
人がこう言っているからそうなんじゃないか、というのではなく「自分はこうだと思う」という気持ちを常に持つこと。
一見、当たり前の事にも思えるが、何事においてもそれができる人間は限りなく少ない。なぜなら人間は「不安」という概念が誰しもに存在しているから。
保険という言葉がしくみ(給付制度)以外に「別の手段を考えておく」といった形で用いられるようになったのも人間に不安という概念が存在するからであり、裏を返せばそれだけ人間は安心感を欲する生き物であるということ。
つまり、自分なりの考えを持つというのは自分自身に不安がない状態で成せるもの、いわば自信の表れである。
先日、「当たり前って実は凄い」という記事を書いたが、自分なりの考えを持つというのもある種その部類に入るのだろう。
世の中、知らない事の方が圧倒的に多いという事を様々なジャンルの人と話すたびに痛感するのだが、知らない事に対していきなり自分なりの考えを持つ必要はない。
まずは知っている人から教えを乞い、知識や知恵を蓄えた上でそれを実践していき、その実践を経て自分が感じた事を「自分なりの考え」として落とし込んでいく。
つまりは何事もしっかり実践しなければ“真の自分なりの考え”は持てないということである。
発信者である友人は競馬を見る上での大事なこととしてそう発していたが、まさしく競馬においても自分の知識量と他人の知識量は違うわけで、価値観そのものも当然違う。
自分の知らない事について、まずは自分で思ったようにやってみて細かい部分を修正していく。何も思いつかなければ知っている人から聞き、それを踏襲して実践してみてもいい。その場合は人のやり方をただ真似して満足するのではなく、必ず自分の考えを見つけることが重要。
特定の馬に対し、とある人が「この馬は大物だ!」と評価していたとしても「自分はまだ大物と決めつけるのは早いと思う」と考えるのは正しい事だし、その反対もそう。自分は大物だと感じていた馬に対し、周りの評価が低くても決して不安に思わなくていい。
周りが高く評価した馬について、自分はその馬の特徴自体が分からないのであればまずはその人の評価を頭の片隅に入れておき、その馬を見続けていって自分なりの評価を形成していってもいい。
いずれにせよ、人の意見を聞いてそれが正解と決めつけないこと。
人を疑えと言っているのではなく「自分なりの考えを持て」ということである。
これが、友人の発言を自分なりに噛み砕いて導き出した「私の考え」だ。