最初に高いハードルを飛ぶ〜勉強壁編〜
大沢結希です。
8ヶ月前には、全く話せなかった英語。
I live in Uedaを話すのに3分かかっていた私。
そんな状態から、英語だけで30分のセミナーをするまでを綴っている。最終話まで、もう少しです。
さて、時間のなさをどうやってクリアしたかは、こちら。
あの、魔法のようなノートが無かったら、
この限られた時間のなかで、定着させていくことは無かっただろう。
ちなみに、そのノートの講座は、だいたいいつも満席をいただいてるこちら。
さて、英語は、少しずつ話せるようになってきた。
コーチへのボイスメモなら15分、20分と話せるようになっていた。車の中でも、独り言で英語も話せるようになってきた。
ただ、、できなかったことがある。
他の人と英語で話すこと
・外国人と話す
・英語を話せる日本人と英語で話す
この2つがどうしてもできなかった。
「通じなかったら、どうしよう」
「不可解な顔をされたら、どうしよう」
「発音悪!!!と馬鹿にされたら、どうしよう」
そうおもって、他の方とは、一切話せなかった。
自分の英語コーチには、いろいろアドバイスもらうのだが、どうしてもそこの壁がクリアできない。
そして、
2020年元旦。
私は、家族とお台場方面にいた。外国人、かなり多数。
びっくりするくらい、多数。
「よーし、今年こそやる!勇気をもってやるぞ。旅の恥は・・・だし」と息巻いていた。
そして発見!
地図の前で困っている外国人ファミリー発見!
頭のなかに、ある人を助けるときのフレーズ。
”Excuse me,Do you need some help??”
「よし!」と思ったその直後
あ、、、
私は、極度の方向音痴
日本語ですら道案内なんてできなかったんだ。。
そんなもん、英語なら絶対できない。
とりあえず、英語で道案内する夢は、捨てよう。
ほかに、夢をもとう。
そう決めた。
すると、その2週間後、『夢』のような出来事がおきた。
長男と茨城へ向かう新幹線のなかで、それは起きた。
緊張感のある、『夢』だったのに、
私は大宮駅のホームで、地団駄を踏むことになる。
私は、いつになったら、英語を話せるようになるのだろう、、
つづく