Elliott Smith 『XO』
高校時代、僕は卓球部に所属していた。
部活が始まる前と終わった後に、男子卓球部の部室に立ち寄る日々を送っていたわけだが、そこには歴代の先輩が残していったと思われる、漫画本とか玩具といった私物がいくつも置かれていた。
だいぶ記憶が曖昧だが、可愛い少女が登場するギャグマンガなど、いかにもオタク男子っぽいものが置かれていた記憶がある。他にも、卓球部の部室なのにテニスボールとかけん玉とかがあったり、起動するかどうか分からない古いゲーム機があったり、下ネタが書かれたラクガキもあった気がする。
彼らはなぜ、ああいった私物を、部室に残して学び舎を巣立ったのだろう。
僕の勝手な想像だが、ささやかでもいいから、自分がそこにいた証を残したかったのかもしれない。
名前も顔も知らない未来の後輩たちが、「これを残していった先輩はどんな人だったんだろう?」と、思いを馳せてくれることを願って。
……なんて、大げさだろうか。
かくいう僕も、実はあの部室に私物を置いていった人間のひとりだ。
それは、エリオット・スミスの『XO』というCD。
事の発端は、高校2年の冬、とあるきっかけであのアルバムに興味を持ち、ネット通販で注文したは良いものの、手違いで同じCDを2枚注文してしまったことにある。キャンセルもできなかったため、仕方なく2枚とも買うことにした。で、同じものを2枚持っていても仕方がないし、せっかくだから、もう1枚を部室に置いてしまおうと思い立ったわけである。
卓球部の仲間はほとんど音楽に関心がないうえに、聞いたこともない名前の洋楽アーティストである。当然ながら誰も興味を示してはくれず、結局僕が部活を引退するまで、誰にも引き取ってもらうことはなかった。
こうしてめでたく(?)あのCDが部室に置かれることとなったわけである。
前置きが長くなったが、本作の内容に移ろう。
1曲目の「Sweet Adeline」を初めて耳にした時、何といえばいいのだろう、とにかく不思議な感覚に陥った。
イントロから、アコギのアルペジオだけで、G、F、E♭、C、D、という複雑なコード進行を奏でる。なんとも摩訶不思議な音だ。しかし、独特な響きと同時に、妙な生温かさというか柔らかさも感じる。
ヴァースに入って歌い出す。ここで僕は初めてエリオットの歌声を聴く。
か細くて弱々しい、あまりにも繊細な声。
でも何だろう。とても優しい声だ。耳元でそっとささやく子守唄のように、何よりも聴いていて心を落ち着かせてくれる、そんな気がした。こんなにも美しい歌声は今まで聴いたことがなかったかもしれない。
その声で歌い出す詞もまた、あまりに繊細で内省的であった。
20代になって聴くと、自分の経験に重なるものがあって辛くなってしまう。
アコギとオルガンのみのシンプルな演奏かと思えば、コーラスの部分から、ドラム、ベース、ピアノが出現し、一気に演奏が激しくなる。ちなみにこれらの楽器は全てエリオットが演奏している。そして何重にも重ねたボーカルが、曲に更なる奥行きを与える。大げさに感情を込めて歌ったりはしないものの、それでも胸を打つような何かが伝わってくるのが分かった。
こうしてアルバムの冒頭から心を奪われたのを、今もよく覚えている。
彼の代表曲である「Between the Bars」や「Say Yes」あたりを聴いてもらえれば分かるが、ギターの弾き語りを主軸とし、内省的な曲を繊細な声で歌うといったイメージが強いアーティストだ。その一方で、先ほどのような捻くれたコードをぶち込んでみたり、いわゆる一人バンドで演奏してみたりと、複雑なことを易々とこなしてしまうというイメージもある。
そのためか、全体的には弾き語りを基調とした素朴なアレンジが主体でありながら、どうにも一筋縄では行かない印象の曲が多い。さらには、管楽器やストリングスを取り入れてみたり、たとえば「Baby Britain」や「Bottle Up and Explode!」といった、どこかサイケデリックでポップ性のある曲からも感じられるように、中期ビートルズを思わせる要素も込められている。
安易な例えかもしれないが、『Rubber Soul』と『Revolver』を合わせたような作風を、ひとりで再現して見せたといったイメージが近いだろうか。
高2当時から中期以降のビートルズにハマっていた僕からすれば、本作の魅力に取りつかれることは必至だったであろう。もちろん単なる焼き直しではなく、多彩で実験的な要素がありながら、ここまで繊細で、やさしい音楽を作り出せたという点は、ビートルズにもない彼独自の強みとも言える。
そして特筆したいのは、やはり歌詞だ。
和訳を見てもらえれば分かるが、あまりにも繊細すぎる。これを、まだ30歳にも満たない青年が書いたとは思いがたい。
エリオットは、1997年には「Miss Misery」がアカデミー賞にノミネートされ(実際に受賞したのは、タイタニックで有名な「My Heart Will Go On」)、翌年にはメジャーレーベルに移籍していた。そんな成功を収める傍ら、彼はうつ病に苦しみ、自殺を試みたこともあったという。
ドラッグとアルコールの影響か、それとも成功による重圧か、はたまたプライベートで人間関係に問題をかかえていたのか、実情は知る由もない。
だが、そのような精神状態でなければ、ここまで切実な歌詞は書けなかったのかもしれない。そう思うと一つ一つの言葉が余計に突き刺さる。
ただし、Nirvana『In Utero』だったり、Radiohead『Ok Computer』なんかも、精神を極限まで追い詰められた状態で作られたものだが、それらが持つ「暗さ」とは明らかに一線を画している。
本作には、上記2枚のような攻撃性は全くない。それどころか、聴く人の心をやさしく包み込むような、どこまでも温かい歌である。
でもそれは、あまりにも孤独で繊細な、若い青年であるがゆえに作ることのできた歌なのだ。多くの悲しみをかかえ、人をうまく愛することのできない不器用な青年だからこそ。
このアルバムに感銘を受けた高校生の頃の僕も、心のどこかで孤独を感じていたのかもしれない。そして、そんな自分に誰よりも寄り添ってくれる彼の歌に、救いを求めていたのかもしれないな。
「思い入れのある洋楽アルバムTOP10を挙げろ」と言われたら、必ず本作を入れるくらい、今でも大好きな作品。
本作の発売から25年、そしてエリオットが自らの命を絶って20年が経つ今も色褪せない、このうえなく魂のこもった名盤だと思うのだ。
あのCDは、今も部室に置きっぱなしなのだろうか。
でも、もしかしたら、物好きな誰かがあれを持ち帰って、聴いてくれているのかもしれない。そうなってくれたら嬉しいな。
名前も顔も知らない後輩に、今日も僕は願う。
エリオットの少し捻くれた、でも何より繊細でやさしい歌を耳にし、何かを感じてくれることを。
このCDを置いていった孤独で不器用なひとりの先輩に、少しでも思いを馳せてくれることを。