多くの日本女性は日本内外で人格を使い分けているのでは説

愛想が良くないとだめ

日本では、愛想がよくて
謙虚でたまに自己主張して周りへの配慮ができる女性が
よしとされている。これは若手にも言えるので女性に限った
話ではないだろう。

仕事面

仕事面ではそれにプラスして、仕事ができるけど、
愛想が良くて、我が強くないことも求められる。
声は低すぎるとふてぶてしいとされるので「はい!」のような
明るい声が理想とされる。
リーダーが話しているとき、自分の意見は控えるように暗黙の了解があるし
不確かで根拠が薄いことを主張しすぎてはいけない。

しかし日本国外では


こういう振る舞いをすると「自信がないやつ、何考えているか
わからない日本人」扱いされる。

そこで、日本の外では
「恐れ入りますが・・・」「この理解で合っているかは不明瞭ですが・・」
などと前置きせず、自信満々に意見を言う。

英語だと、甲高い声もティーンエイジャー扱いされるので
低い声でゆっくり話す。

自信があるなしに関わらずはっきり主張し、
時には会議の中で必要であれば上司であろうが議論に割って入って主張したりする。

切り替えがうまくできないときがある

私はこの日本内外の組織の振る舞いの別の切り替えがときにできない。
切り替えようとして、振り切ってしまって加減がわからなくなってしまう。
アメリカ人女上司に
はっきり自分の意見をいおうと思いすぎて
相手が傷つく・怒るレベルまで主張してしまったり
(振り切ってしまう。加減ができない。)

対立してしまったりする。
今自分が仕事において日本的組織と、日本人がいない組織二つと
にジョインしているのでよけい切り替えがわからなくなっている。

英語だと人格変わるねって言われる理由

日本的組織では制度的男女差別はないのだが
「求められている女性」像が違う。

英語を話すと人格変わるねって言われるのはそのせいだと思う。

だから日本人の元カレが
日本国外で主張して我が強い私を見たら引くだろうし
(日本国内仕様の私で出会っているし)

日本人以外の元カレが
日本国内でおとなしく猫かぶって何も言わない私を見ても引くだろう
(日本国外仕様の私で出会っているから)

どちらの私も私であるしただ日本的な自分はあんまり好きではない。
言いたいことも我慢して、求められる暗黙の若い女性を演じている部分がある。

日本的自分が残っている

ただ、日本国外で私はいくら主張しても
我が強い部類には入らないらしく、何考えているかわからないよくある
アジア系女性 扱いされているだろうことを経験するのも情けなく感じる。

だから

ハーフ系モデル芸能人


我が強すぎる子は高飛車だと非難されるし、
日本寄りの特に日本育ちの謙虚なハーフ芸能人は可愛がられる。
中条あやみちゃんとか、池田エライザちゃんとか。

結論


人格を行き来している苦労が
社会の中で潜在的なものとして扱われず
顕在化して欲しい。
私は日本が好きだし日本人に生まれて誇りに思う。
しかし外から日本社会の現状について
把握する多角的視点が必要だと思う。


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