サタンが稲妻のように天から落ちる
イエスは宣教活動を行うにあたって、12人の使徒と呼んだ弟子たちの一団を任命したが、ほかにも72人の弟子たちを宣教に遣わしたという記事が福音書の中にある。引用箇所は宣教から帰った72人の弟子たちをイエスがねぎらうという箇所。72人の宣教が成功裡に終わったことは、帰ってきた弟子たちの報告を待つまでもなく、イエスにはわかっていたことだった。祈りのうちに見て知っていたのだ。
弟子たちを方々に宣教に遣わして、イエスはその間ひとりで寂しいところに行って、祈りのうちに過ごしていた。「サタンが稲妻のように、天から落ちるのを見た」というのは祈りのうちに神秘的な幻視を見たのだろう。この言葉は、1世紀後半に編まれた福音書を成す様々な伝承のうち、 生前のイエス自身にさかのぼることは間違いないと思われる言葉。
福音書の中には、集まってくる群衆から離れて、ひとり寂しいところに退いて、時には一晩中祈りのうちに過ごすイエスの姿が多く描かれている。
宣教がうまくいくようになってきた頃、イエスは祈るために山に行き、夜通し、神に祈った。夜が明けると、イエスは弟子たちを呼び集め、その中から12人を選び、使徒と名づけた。
また、ある時には、わずかのパンを増やして5千人に配った後、強いて弟子たちを舟に乗せて、向こう岸へ先に出発させ、自分は群衆を解散させた。そして祈るために自分だけ山に登った。夕方になってもイエスはひとりそこにいた。その頃、舟は湖の中ほどまで来ていたが、向かい風を受けて波に悩まされていた。イエスは夜明け頃、湖の上を歩いて弟子たちのところに行った。
さらに、ある時には、夜が明けると、イエスは人里離れたところに出て行った。多くの人々はイエスを探し回ったすえ、みもとに集まり、自分たちから離れて行かないようにと引きとめた。しかし、イエスは言った。「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えなければならない。わたしは、そのために遣わされたのである」と。
群衆の前で説教したり、奇跡を行ったり、病人に癒しのわざを行ったりする活動的なイエスの様子に目が行きがちだが、そういった活動の源泉には祈りに没頭して、神の御旨を探し求めるイエスの姿があった。
ところで、イエスなら「わたしがサタンを天から投げ落とした」とでも言いそうなものですね。
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