イエスの幼時物語
イエス少年は5歳だった。川の浅瀬で遊びながら、やわらかい泥をこねて、12羽のスズメを作った。それから手を拍って叫ぶと、スズメは羽をひろげて鳴きながら飛んでいった。あるとき、遊んでいて意地悪をされて腹を立てたイエスは、意地悪をした子を呪った。するとその子は全身枯れてしまった。またあるとき、子供が駆けてきてイエスの肩に突き当たった。イエスは怒って子供を呪った。すると子供は忽ち倒れて死んでしまった。それで死んだ子の両親はヨセフのところに行き、イエスの行動を咎めた。ヨセフはイエスを呼び寄せ、ひそかにいましめた。おもしろくなかったイエスは訴えた人たちを呪った。するとその人たちはすぐ盲になってしまった。ヨセフはイエスがしでかしたことを知って、イエスの耳をつかんでひどく引っ張った。それからしばらくして、呪いのもとに倒れた人たちはみな癒された。
あるとき、イエスは屋根の上の露台で遊んでいたが、遊び友達の一人が屋根から下に落ちて死んでしまった。するとイエスは屋根から飛び降りてその子の傍に立ち、生き返らせた。またあるとき、若者が木を割っていると、斧が落ちて足を裂いてしまい、出血多量で死んでしまった。少年イエスが若者の傷ついた足をつかむと、すぐさま直って生き返ってしまった。
イエスが6歳のとき、母親が水がめを渡して、水を汲んで持ってこさせた。ところが人混みの中でぶつかり、かめは割れてしまった。するとイエスは着ていた上衣を拡げ、それに水を満たして、母親のところに運んできた。母親は起った徴をみてイエスに接吻し、心にとめた。
2世紀の終わり頃に書かれたらしい「トマスによるイエスの幼時物語」からのエピソード。「新約聖書外典」(講談社文芸文庫)で読むことができる。奇蹟がなされる一方で、あとで生き返ったりはするが、少年イエスのお気に召さない人物はあっさりと呪い殺されてしまう。悪魔のような少年だ。他にも、字を教える教師に高慢な受け答えをしたり、ヨセフの大工仕事の手伝いで、寸足らずの板を奇蹟で伸ばして寝台を作り上げたという話が載っている。しかしこの文献は当時の読者に喜ばれていたらしい。
新約聖書正典では、イエスの誕生は詳細に描かれている。マリアの処女懐胎に始まり、ベツレヘムの洞窟で生まれたこと、生まれた夜、天使に導かれた羊飼いたちが訪れたこと、東方の3人の博士が贈り物を持って訪れたことなど。しかし他には12歳のときのエピソードが一つ、エルサレムで学者たちに混じって、イエスが賢い受け答えをしていたことが述べられているだけで、すぐ30歳になって布教を始める場面になる。2世紀当時、急速に勢力を拡大していたキリスト教という宗教の教祖イエスの幼少年時代について、多くの人が興味を持っていたのが、「トマスによるイエスの幼時物語」のような文献が成立した背景だろう。