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モンスター教師の思い出

私が小6の時の担任の先生は、なかなかのモンスター教師だった。

・・・という話を現在小6の長男にしたところかなり好評だったので、せっかくだしnoteにも残しておこうかなと思い書いている。

今から30年ほど前の昔話だ。


その先生は30代前半くらい(たぶん)の男性教師で、その年に私たちの小学校に赴任したばかりだった。始業式で担任が発表されたときは、面白そうな先生が担任でよかったと喜んだ。仮にK先生とする。

K先生は学園ドラマが好きだった。『3年B組金八先生』とか、『アリよさらば』とか。

私は未だにどちらも観たことがないので詳しい内容は知らない。生徒と先生がぶつかり合いながら絆を深め、互いに成長していく青春ドラマらしい。K先生は、そうした物語に憧れを抱いていたようだった。

しかし現実の小学校では、そうそうドラマは起こるものじゃない。

「(ドラマが)起きぬなら、起こしてやろうホトトギス」の精神だったのだろうか、K先生は次第に自らクラスを引っ掻き回すようになる。

最初の事件は、7月のある暑い夏の日だった。その日は土曜日で授業は午前中でおしまい、私たちは早く帰りたくてうずうずしていた。

「帰りの会」では、"今日のひとこと"と称して日直がその日の反省を簡単に発表することになっていた。でも日直のJ君は、人前で話すのがあまり得意ではなかった。適当な話も思いつかず、何も言えなくなり、教卓の隣で黙り込んでしまったのだ。J君はきまりが悪そうに笑いながら、しばらくそこに立っていた。

沈黙を破ったのはK先生だった。

「おいJ。何、ニヤニヤしてんだよ」

言葉は乱暴だったが、私たちはK先生がそのままJ君に何かしらの助け舟を出すものと期待した。ところがK先生は、着席していた私たちにくるりと向き直って怒鳴り始めたのだ。

「お前らもお前らだよ。何で助けてやらねーんだよ!Jが困ってんだろ?」

ぇ・・・え?!わ・・・われわれ?

「お前らさあ、『J君が困っているから、"今日のひとこと" は僕が代わります』くらい、言える奴はいねえのかよ!」

いや・・・小6にそんな器用なことができるわけないだろ(と、今となっては思う)。

K先生はさらに、J君のほうを向いて言った。

「おいJ、結局こいつらはお前のことを友達だなんて思ってなかったってことだよ。困ってるときに助けてくなれない奴らなんか、友達じゃねえよな。結局こいつらはお前のこと、"昼休みにサッカーやるメンツ" 程度にしか思ってなかったってことだよ

この人は一体何を言っているのだろう、と一瞬理解が追いつかなくなった。そして、これはとんでもなく残酷な言葉で、J君を追い詰めるものじゃないのか・・・と私たちが気づいたのと、J君が教室を飛び出したのとはほぼ同時だった。

★★

シンと静まり返った教室で、私たちはどうしたらいいのか分からず席から動くことができない。教室を飛び出していくJ君は泣いているように見えたけど・・・きっと、トイレか何処かに駆け込んだのだろうな、と思った。

K先生もそう考えたらしい。トイレの方向に歩いて行ったが、しばらくして戻ってくると、入り口から教室内に向けて言い放った。

「おい、Jいないぞ。お前らのせいだからな」

ネチッとした低い声だった。

K先生は「お前らのせい」という言葉を、巧く私たち全員の心に焼き付けることに成功した。ガタガタと机や椅子が動く音。みんな席を立ち、教室を出る。J君を探しに行くのだ。私も立ち上がって教室を出た。

どこをどう探したのかは覚えていない・・・ただ暑い校舎内を走り回ってJ君の姿を探したという、ぼんやりした記憶だけ。最終的にJ君は中庭で泣いているところを発見された。人工芝の上で、体育座りで顔を伏せて泣いていた。

クラス全員でJ君を囲み、口々に声を掛ける。

「J・・・あの、ごめんね(???)」
「今度から気をつけるから(???)」
「教室に戻ろうよ」

自分たちの何が悪かったのか(果たして本当に自分たちが悪かったのかも)分からないまま、とりあえず謝る。みんな混乱していて、事態を収拾させるためには謝ることくらいしか思いつかなかったのだ。とにかくJ君を落ち着かせて、教室に連れ戻さなければならないから。

ほかのクラスはとっくに皆下校していて、校内には私たちだけだった。


小学校の職員室は2階にあり、校舎は職員室前の廊下からちょうど中庭を見下ろせる造りになっていた。私はその窓辺に、K先生が立っているのを見た。

いつからそこにいたのか知らないが、私たちが泣いているJ君を囲んで声を掛ける様子を満足そうに眺めていた。

その時、ああこれは茶番なんだ、K先生の娯楽なんだと気がついた。もちろん「茶番」、「娯楽」なんて言葉をはっきり認識したわけではなかったけれど、「K先生は私たちを使って遊んでいる」ということだけは分かった。私たちを利用して、自分が憧れる学園ドラマの世界を体験しようとしているだけなんだなと。

この瞬間から私はK先生が大嫌いになった。

★★★

長時間の説得の末、私たちはどうにかJ君を教室に連れ戻すことに成功した。K先生も教室に戻ってきて、今回の件の総括的な話をした・・・のだと思うが、正直何も頭に残っていない。その後、「帰りの会」の続き的なことが行われて解散・・・ かと思いきや、

「学級委員は残って」

という。まじか。私は学級委員(男女各2名ずつ)のうちの一人だった。


帰りの挨拶が済むと、学級委員以外のクラスメイトは蜘蛛の子を散らすように去っていく。教室内は、教卓にK先生、その前にじっと頭を垂れる学級委員の4人だけとなった。

「・・・あのさぁ」

K先生の説教は、いつも「あのさぁ」で始まった。ただいくら思い出そうとしても、この時K先生が何を話していたのかを思い出すことができない。たぶん、納得できるような話が何ひとつなかったからじゃないかと思う。実際、この日の一連の出来事を学級委員のせいにするのは、いくら何でも無理がある。

心臓が早鐘のように打ち、全身から汗がだくだくと流れていたことは憶えている。暑さと恐怖と混乱で4人とも、ものすごい量の汗をかいていた。

そして、とてもとても喉が渇いていた。無理もないと思う、J君を探して校内を駆け回り、夏の太陽が照りつける中庭で彼を説得し、教室まで連れ戻す・・・その間、一滴の水も飲んでいなかったのだから。

説教が終わり、廊下からもK先生の気配が消えた後、私たちは猛ダッシュで水道まで走り、夢中で蛇口をひねった。

★★★★

その後も卒業まで、こういう事件は何度か起こった。

その全部を憶えているわけではないものの、たいていは謎のタイミングでK先生がキレ始め、面倒な方向へストーリーが進行していくというのがお決まりのパターン。授業の中断もしょっちゅう起こった。

最初は驚き、混乱していた児童たちも、後半になると皆「またかよ・・・」という反応に変わっていった。最終的に、K先生と私たちは険悪なまま一年間の付き合いを終えた。


ただの思い出話で、考察的なものは特にない。流石に30年も経つと怒りも憎しみもない。後悔もない。ただただ、迷惑な先生だったなという印象があるだけだ。


そんな過去もあって、長男(小6)の担任が良い先生であることが、今とても嬉しいというか、ありがたいと思っている。


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